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白虎隊十九士の墓「飯盛山」

飯盛山は、会津若松市街の東2キロにあり、城下町を一望に見渡す小高い山で、その頂上には約1650年~1700年前につくられた前方後円墳であり、隠れキリシタンの祠もあり、そして古くは古代四道将軍、弁財天、日本武尊などの神話も残り、1600年以上、連綿と会津盆地を見守る信仰の山です。ここには、白虎隊十九士の墓、各地で戦死した三十一士の墓や、イタリア並びにドイツから贈られた記念碑、さざえ堂、宇賀神堂、厳島神社、白虎隊引揚の洞門、市天然記念物の太夫桜など、数多くの神話、史跡名所が残っております。

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■飯盛山への階段からの会津若松の街並み

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■白虎隊十九士の墓

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■イタリー記念碑
1928年に、白虎隊士をたたえてローマ市民からとして、当時のイタリアの首相ムッソリーニから『白虎隊とイタリアのファシスタ党とは、一脈相通じるものがある。』と贈られた石碑です。

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■松平容保公弔歌の碑
松平容保碑は飯盛山に設けられた白虎隊の墓の近くに建立された石碑で、案内板によると戊辰戦役当時自刃した白虎隊士の殉難忠節に対し九代藩主松平容保公が次の弔歌を詠まれたを現河東町八田野の篤志家八田宗吉氏がこの碑に刻み建てたものである。

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■戸の口堰洞穴
天保年間に会津平野のかんがい用水として猪苗代湖より通水した洞穴ですが、戊辰戦争の折、 白虎隊が鶴ヶ城の情勢を確認するため飯盛山に向かう際、この洞穴をくぐりました。

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■さざえ堂(国指定重要文化財)
1796年に飯盛一族の先祖である飯盛山正宗寺第12世郁堂和尚(によって建立され、西国三十三観音菩薩を安置した六角三層の観音堂です。
その形が さざえの殻に似ていることから俗に『さざえ堂』と呼ばれ、階段のない螺旋通路で上り下りができ、上りの人と下りの人がすれ違うことなく一方通行で巡れる世界にも例のない建築で、国の重要文化財に指定されています。

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■巌島神社
『弁天様』と親しまれるこの神社が、飯盛山の別名『弁天山』の由来にあたります。『飯盛山』という名も、このお堂建設に纏わる神話が由来しております。

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