マガジンのカバー画像

美しい日本の風景

240
美しい日本の風景写真集
運営しているクリエイター

#九州

イセエビの美味しい「西彼杵半島」

西海、大瀬戸、西彼、大島、崎戸が合併して西海市となった。どこも青い海とのどかな自然。、日帰りドライブには最適。地産地消の新鮮野菜の直売所もあちこちあって楽しいコースです。 ■大島大橋 大島大橋は、長崎県西海市にあり、西彼杵半島と同市大島町の寺島を結ぶ斜張橋である。 1999年11月に供用開始し長崎県道路公社が大島大橋有料道路として管理していたが、2011年4月に無料開放された。 ■大島で横砂級のイセエビ 五島灘の荒波に揉まれながら厳しい環境で育った天然イセエビは、身が引き

知覧の「特攻平和会館」

太平洋戦争末期、旧陸軍の特攻基地が置かれた町です。この特攻平和会館は、その当時、人類史上類のない爆装した飛行機もろとも肉弾となり敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等貴重な資料を収集・保存・展示してあります。当時の真情を後世に正しく伝え、世界恒久の平和に寄与するものです。 会館内部は、とても撮影する気分になれませんでした。 ■三角兵舎 特攻隊員たちが出撃するまでの起居していた半地下式の三角兵舎を会館横の杉林に復元したものです。三角兵舎の中で隊員たちは、日の

エキゾチックな街「長崎市」

江戸時代、鎖国体制を敷いていた日本で、唯一海外との貿易が認められていた長崎。グラバー園をはじめ異国の文化が垣間見える観光スポットが点在しています。 ■グラバー園 1859年の長崎開港後に長崎に来住したイギリス人商人グラバー、リンガー、オルトの旧邸があった敷地に、長崎市内に残っていた歴史的建造物を移築し、野外博物館の状態を呈している。 ■旧三菱第2ドックハウス ドックハウスとは、船が修理などのためにドックに停泊している間、船員たちが宿泊するための施設です。この洋風建築は、18

知覧武家屋敷庭園群

領主島津久峯が、藩主の参勤交代に伴って江戸から戻る道中で接した京の文化を持ち帰ったとされる。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、また同時に国の「名勝」に指定された7つの庭園は、母ヶ岳を借景に、築山泉水式1つ、枯山水式6つの庭園。約270年前の当時の感性を今に伝える。 ■飛鳥Ⅱ世界一周クルーズ旅行記

恋する灯台「長崎鼻」

薩摩半島の最南端に突き出た岬、長崎鼻。浦島太郎が竜宮へ旅立った岬と言い伝えられ「竜宮鼻」の別名を持ち、乙姫様を祀った龍宮神社もあります。またその名にふさわしく、夏はウミガメの産卵地にもなります。 ■開聞岳 開聞岳は、鹿児島県の薩摩半島の南端に位置する標高924mの火山。1964年3月16日に、霧島屋久国立公園に指定された 。日本百名山、新日本百名山及び九州百名山に選定されている。 ■龍宮神社 浦島太郎が竜宮へ旅立った岬とも言い伝えられています。別名「竜宮岬」ともいわれ、豊

本土最南端の駅「JR西大山駅」

JR西大山駅はJR指宿枕崎線の駅で本土最南端の駅です。開聞岳の麓ちかくにあり、駅周辺には人家はなく、 畑の中にある駅です。駅舎もなく、もちろん無人駅で、 少し荒れ気味です。この駅は本土最南端の駅だけあって、鉄道ファンには人気のある駅なのです。 ■幸せの黄色いポスト 開聞岳を正面に望む絶好のロケーション。季節によって花々が彩り、撮影に訪れる人も。「幸せを届ける黄色いポスト」があり、大切な人への手紙を投函すると、思いが届くかも。 ■JR西大山駅 駅舎自体は無人の小ぶりな駅で、

高原のリゾート地「雲仙」

雲仙の地名は、西暦701年に、行基がこの地に開山したとされる「温泉山満明寺」の山号が元となっている。この「温泉」が、かつては「うんぜん」と読まれていたことに由来する。 ■雲仙地獄 雲仙の古湯と新湯の間の白い土に覆われた一帯、「雲仙地獄」。噴気孔からは白い蒸気がもくもくと噴き上がり、あたりは硫黄の匂いに包まれています。ここには30余りの“地獄”があり、江戸時代にはキリシタン殉教の拷問が行われた舞台としても知られています。 ■雲仙仁田峠 島原半島の中心に位置する仁田峠は、雲仙

島原市武家屋敷の町並

長崎県島原市の武家屋敷街は、狭義では江戸時代に島原藩徒士が居住していた島原城外郭の西側の当時鉄砲町と呼ばれていた地区の一部で町並み保存地区に指定される「下の丁」を指す。 広義では上新丁、下新丁、古丁、中の丁、下の丁、新建、江戸丁の7つの地区と城内の一部の総称である。武家屋敷、武家屋敷通りとも呼ばれる。 ■通りの中央に湧水 通りの中央に湧水が流れ、路面は舗装せず、両側に重厚な石垣塀が続く。茅葺きの武家住宅も三軒残り、市の管理の元で一般公開されている。 ■武家屋敷篠塚邸 江戸

憧れの温泉地「黒川温泉」

一度は訪れたい憧れの温泉地「黒川温泉」。山間の小さなこの温泉地には、懐かしく心が安らぐ田舎の風景と豊富な温泉があります。30軒あまりの温泉旅館は離れの宿が多く、おこもり滞在にぴったり。 ■街全体が一つの旅館のよう。通りは廊下、旅館は客室 田の原川の渓谷の両側に約20軒のこぢんまりとした和風旅館が建ち並ぶ。温泉街としては川の流れに沿って、東西に延伸しつつある。 渓谷にある温泉地であることから収容人数は少なく、旅館組合の主導で歓楽的要素や派手な看板を廃して統一的な町並みを形成す

学問の神様「太宰府天満宮」

919年、左大臣藤原仲平が勅によって社殿造営を行いました。数度の炎上を経た1591年に小早川隆景が再建します。五間社流造り、檜皮葺で、正面には唐破風状の向拝が付く、桃山時代の豪壮華麗な様式で、右には飛梅、左には皇后梅が配されています。現在国の重要文化財として指定されています。 ■本殿 国の重要文化財に指定されている本殿は、金や朱を用いた美しくも大胆な桃山時代の建築様式を採用しております。ひさしが前方だけでなく後方にも伸びている両流造、正面五間とはその規模を現します。正面の屋

若松島の「キリシタン洞窟」

若松島の里ノ浦のキリシタンは、明治初めの五島崩れの際、迫害を避けて船でしか行けない険しい断崖の洞窟に隠れたが、焚き火の煙を船に見つけられて捕縛され拷問を受けた。この洞窟は後にキリシタンワンドとよばれ、1967年入口に十字架と3mのキリスト像が設けられた。 ■ハリのメンド 『メンド』っていうのは『穴』っていう意味で、針の穴みたいな形してる。キリスト様を抱いたマリア様に見えるとも言われてます。 ■洞窟 ここに隠れていたのは、3家族12人。約4か月もの間、洞窟で暮らしていたのだ

柳川の「川下り」

縦横に堀を巡らせた水郷・柳川市。江戸時代に防敵を目的として整地され、今なお残るその美しい掘割は柳川の生活に根付いています。ここでは九州を代表する観光体験「川下り」。船頭さんの案内をBGMに、四季折々の水景を楽しむ約1時間の旅。 ■詩聖・北原白秋の石碑や銅像 途中、柳川市出身の詩人・北原白秋の詩を記した石碑や、作詞した童謡「待ちぼうけ」の銅像などがあり、船頭さんが詩を読んだり、童謡を歌ったりしてくれます。コースの色んな場所に設置されている。 ■橋の下を船頭さんは上手にしゃが

世界遺産の「仙巌園・尚古集成館」

350年以上の歴史がある島津家の別邸は、1658年に島津光久が景勝地であった磯に造営。その後、島津重豪をはじめとする島津家歴代が整備などを行いました。桜島を築山に錦江湾を池に見立てた雄大な借景庭園で、琉球国王から贈られた望嶽楼など中国文化の影響も。 ■尚古集成館 尚古集成館は、反射炉跡や旧鹿児島紡績所技師館(異人館)などとともに、「旧集成館機械工場」として上記の「旧集成館」に含まれる。尚古集成館は、同じく鹿児島市内の定番スポットである「仙巌園」と同じ敷地内にあり、入場料を払

パワースポット「高千穂峡」

高千穂峡は、宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井にある五ヶ瀬川にかかる峡谷である。国の名勝、天然記念物に指定されている。パワースポットである。 真名井の滝、玉垂の滝、あららぎの滝などが高千穂峡で有名な滝。 ■真名井の滝 日本の滝百選に指定されている名瀑で、約17mの高さから水面に落ちる様は高千穂峡を象徴する風景です。 天孫降臨の際、この地に水がなかったので、 天村雲命(アメノムラクモノミコト)が水種を移した「天真名井」から湧き出る水が水源の滝と伝えられています。 ■玉垂の滝 流し