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刀鬼、両断仕る 第二話【真波】下

◇【前回】◇


「決めたわ。テメェは刻んで犬に喰わせる」

 荒刈は大きく前にのめり、腰を落とした。
 無粋は答えず、浅く息を吐く。
 斬られた右足からは、まだ血が流れ出ていた。
 止血の必要がある。けれど、この相手を前にその余裕はない。
 更に、目の下の傷。時間を掛ければ、それだけ不利になる局面だ。
 急ぎ勝負を付け、刀を破壊せねばならない。
 そして目前の刀鬼を討ち、その存在を否定せねばならない。
(……いや、落ち着け)
 脂汗と共に、顎から一滴の血が滴り落ちる。
 血を失ったことで、却って無粋は心の落ち着きを取り戻しつつあった。煮え滾る憎悪の心が、血と共に流れ冷えていったかのように。
(『刻角』の力は、軽さ)
 そして冷えた脳で思考する。
 鋼とは比較にならないその刃は、故に荒刈の動きを阻害しない。
 かといって、その刃が鋼に劣る切れ味かと言えばそんな事はない。十二分に業物といえる切れ味を、荒刈は木の枝のような気軽さで振るうのだ。
 反面、無粋の振るう鉄塊は重さを武器とする。単純に扱えば、その隙を突かれて終わるだけだろう。……ならば、どうする?
 ダンッ! 無粋が考えを纏める間もなく、荒刈は地を蹴り突撃してきた。
 狙いはやはり、足であろう。
(跳ぶ、のは)
 悪手である。既に学んだことだ。
 そこで無粋は、鉄塊を己と荒刈の間に突き立てる。
「っ……!?」
 無粋の得物は、幅広の鉄塊である。
 それを盾とされれば、『刻角』と言えど正面から斬り払う事は出来ない。
「馬鹿にしてんのかァ!?」
 その程度の事は、荒刈も織り込み済みである。
 ずざり。砂埃をあげながら、荒刈は刀を持たぬ左手を地面に着き、両の足を滑らす事でぐんと旋回する。側面に回り込めば、鉄塊の盾など意味を為さない。
 けれど、その頃には既に無粋の姿は消えていた。
「チッ……テメェも意外と身軽だなァ!?」
 見上げ、悪態を吐く荒刈。無粋は鉄塊を支えとし、高く跳んでいたのである。
 恐らくは、鉄塊を突き立てた時には荒刈の動きを予測していたのだろう。
「けど、そーゆーのは……」
 無意味である。荒刈は両の足で地面を蹴り、跳び上がるように刀を突き上げる。
 盾を出そうが、高く跳ぼうが、獣の追撃から逃れる事は出来ない。
 先ほどと同じ展開……と、荒刈は考えていたが。
(いや……これ、違ェな)
 違和感。次いで殺気。思考より先に荒刈の肌と両の足が警告した。
 けれど既に斬り上げ動作に入っていた荒刈は、身体を反転させる事が出来ない。
 思考が追い付いたのは、無粋の脚が鉄塊の上に乗ったと気付いた瞬間である。
「やっ……べ!」
 無粋の跳躍は、回避ではない。
 攻撃だ。得物を支えとし、突き立てたそれの上に立った無粋は――
「――潰れろ」
 ぐいと、足裏で鉄塊の均衡を崩す。
 鉄塊が、荒刈を巻き込んで倒れるように。
「ん、なろッ!」
 鉄塊に加え、それに乗る無粋の重量。
 荒刈の体躯では、それを支えて跳ね除ける事は難しい。動きを抑えられれてしまえば、『刻角』の強みも活かせず反撃の機を失うだろう。

 もし、そうなればの話だが。

 突き上げの勢いは殺せない。
 故に荒刈は、寧ろその勢いを抑えず、両の足を地面から放し、跳んだ。
 そして瞬時に、倒れかかる鉄塊に左の足で蹴りを加える。
 無論、重みは鉄塊の方が上である。蹴りの反動を活かし、荒刈は無理矢理に無粋と距離を取ることに成功した。
「……逃がしたか」
 すとんと左足で着地しつつ、無粋は不満げに小さく呟く。
 仕留めきれる、と楽観していたわけではない。
 無粋自身、今のは単なる場当たり的な対処に過ぎないと理解していた。
 つまらない小細工。ちょっとした曲芸。一度なら有効かとも思ったが、それで討てる刀鬼であるなら誰も苦労はしない。
 無粋が問題だと捉えているのは、荒刈の動きだった。
 どう掴むべきか、活路を見出せずにいる。その苛立ちが不満となり顔に表れた。
「……あーあ、イカレてんなテメェ」
 間一髪窮地を脱した荒刈はと言えば、苦笑いである。
 今まで戦ってきた中で、あんな動きをしたヤツは見た事が無い。
 そして納得する。この男は、まず間違いなく刀鬼ではない。
 無粋の戦いからは、己の得物への執着を感じられないからである。
「なぁ。テメェのその武器、なんなんだよ?」
 僅かな好奇心が湧いた。
 超常異常の得物は刀鬼の専売特許である。刀鬼でないのなら、どうしてそんな物を持ち歩いているのか。

「……なんでもない。これはただの『無粋』だ」

 無粋の答えは、それだった。
 一瞬、荒刈の思考が止まる。何を言ってるんだ、コイツ。
「それはテメェの名前だろ」
「……」
 答えない。話は終わりだと言わんばかりに、無粋は鉄塊を拾い上げる。
 荒刈には、無粋の言った事の意味が理解出来なかった。
 質問を間違えたか。いやそんなわけはない。
 じゃあ……そのままの意味なのか?
 そして理解が及ばないのは……この場で息を潜めていた、少年にとっても同じこと。

(なんなんだ、この男……)

 少年を窮地から救った無粋は、その後ただの一度も少年に目を向けなかった。
 助けられはしたけれど、助けてもらったのではないのだと、少年は肌感覚で察知する。
 無粋と名乗った男の興味は、荒刈との戦いにしか注がれていない。
 そしてその戦いは、少年がこれまで学び、見てきたものとは明らかに異質なものだった。
 荒刈は彼を刀鬼ではないと断じれたけれど、少年には彼と刀鬼の違いが理解できない。
 それでも……懐の内に隠した鞘に手を当て、少年は期待する。

(この男が、もし刀鬼を討つというのなら……!)

 そして、困惑や期待の視線を注がれつつも、当の無粋はと言えば。
(……どう、崩す)
 一心に、それのみしか考えていなかった。
 最早、荒刈に問われた事さえ記憶の彼方に飛んでいる。
 どうでも、良かったのだ。己の得物の出自などと言う、つまらない質問は。
 大事なのは、『刻角』の刀鬼を一刻も早く討つ事。
 一時は血と共に流れていった憎悪も、戦いの熱と共に噴き上がっていく。
 刀鬼。異常の刀を持つ者。刀に囚われ、人の道を外れた者。
 生かしてはおかない。その全てを否定し、砕く。
(……ならば)
 ようやく、無粋は考えを纏め上げ、深く息を吐く。

 次の接近に、予兆は無かった。
 地面を蹴る音がして、少年は初めて荒刈が突撃したと気が付く。
 けれど無粋は動じなかった。既に心構えが出来ていたからである。
 それはそうだろう。無粋の変わらぬ表情に、荒刈は思う。
 この男は、やはりわけの分からない男だ。
 だが、分かる。この男の存在を認めてはならない。

「なァ、『刻角』ゥ!」

 愛刀に声を掛けながら、荒刈は無粋の足を薙がんと刃を振るう。
 それは先程同様、鉄塊の盾で防がれた。
 地に突き立てられた鉄塊に、荒刈は刹那足を止める。
 旋回は、しない。見上げる視線は無粋の手の在処を求めた。
「許せねぇよなァ!」
 果たして無粋の手は鉄塊の柄を握ったままであった。
 再び跳ぶか。いや今度こそ無意味と知っている筈。
 判断の代わりに、荒刈は一歩飛び退いた。
「お前を砕こうなんて、下らねぇこと考えるヤツはよォ……」
 無粋は跳んでいた。但し先程とは違い、前方に。
 鉄塊を支えとし、旋回する己の背後でも取ろうとしたか。
 荒刈は考えつつ、ニィと八重歯を見せ笑う。
「オレたちでぶち殺してやらなきゃなぁッ……!」
 荒刈が飛び退いたことで、無粋はただ武器を持たない無防備な姿を荒刈の前に晒したのみに終わったのだ。結果、無粋はもう打つ手がない。
 反動をつけ、荒刈は逆手に持った刀を牙のように構え前へ跳ぶ。
 刺突。腰を狙って突き出されたそれを、無粋は止める術を持たない。
「突き刺せ、『刻角』ッ!」

 ……そう。確かに持たなかったのだ。

「先に鼻を折る」

 着地した無粋は、言いながら自身も荒刈との距離を詰める。
 切っ先は確かに腰を貫いて、けれど無粋は、止まらない。
「はっ……ぐっ!?」
 宣言通りに。無粋は膝蹴りを荒刈の鼻へと叩きつける。
(っ……!?)
 痛みに視線が眩む中、荒刈は混乱した。一撃は確かに無粋の腰を貫いたのだ。
 手ごたえはある。返り血の感覚もある。なのに何故。

 理由は簡単である。
 無粋はそれを、受け入れる事にしたのだ。

(なら、引き抜いてっ……!?)
 荒刈は刀を抜こうとするが、腕が動かない。無粋が万力のような握力で押さえているからだ。自然距離を保ったまま、無粋は荒刈の体に数発の膝蹴りを立て続けに打ち込む。

 一度は、荒刈によって斬られた右の足で、である。

「ぐ、ぐぁっ……!?」
「肋骨も折れたか。傍目では分からないな」
「テメ……死ぬぞ……!?」
「その前にお前の心を折り、殺す」

 血はだくだくと流れていた。止血しなければ、否、したとしても既に命の境にいるだろう。見る間に無粋の身体は青ざめていき、けれど蹴る脚は止まらない。
 十度、二十度と蹴りは繰り返される。荒刈が残った腕や足で反撃しようとすれば、無粋もまた残った腕でそれを受け、喉元に手刀を叩き込む。
 抗うには、体躯の差が大きすぎた。
「『刻角』を放せば今は開放してやる」
「……ふざ……」
「なら次は腕を折る」
 刀を握る腕は容易く折られた。
 ごり、という音と共に荒刈は悲鳴を上げ、反射的に『刻角』を握る手を開いてしまう。
 瞬間、無粋は荒刈を蹴飛ばした。
 反吐を吐きながら転がる荒刈を見下ろしつつ、無粋は腰に突き刺された『刻角』を、当然の如く引き抜いて。
「か、え……」
「最期だ」
「……め、ろ……!」
 痛みに喘ぎながら、荒刈は叫ぶ。
 鼻を折り、肋骨を折り、腕を折ったこの男が最後にすることなど、明らかだったから。

「やめろ……『刻角』がねぇとオレは……!」
「人に戻れ。そして死ね」

 地面に叩きつけた『刻角』を。
 無粋は鉄塊によって、砕き折った。

「――あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッ!」

 悲鳴が上がる。腕を折られた時よりも更に大きな悲鳴。
 肩で息をしながら、無粋はしばしそれに聞き入った。

「……オレは、『無粋』だ」

 そして、確認するように呟く。

「クソッ……クソッ……クソクソクソッ! クソッタレ! ゴミクズ野郎! テメェなんなんだよ! 刺されてんだろ独りで死ねよッ! なんでオレの『刻角』持ってくんだよォォ……ッ!!」
「……知るか……オレは……お前と勝負してたつもりはない……」
 ただ、ただ、刀鬼を討とうとしていた。
 荒刈の攻撃を突破し、『刻角』を折る事が目的だった。
 結果として……致命傷を受けたとしても、刀鬼を討てないよりは断然良い。
「これで、刀鬼を減らせた……」
 無粋はそういう男であった。
 端から個人の勝ち負けになど興味がない。
 一振りでも多くの異常な刀を討ち滅ぼす事に、己の全てを掛けていた。
「……オレは、『無粋』だ……」
 ただ重いだけの鉄の塊。磨き上げられなかった鈍の刃。
 粋を極めた鬼の刀を無に帰し、否定する存在。
 人間としての命など、勘定に入れていない。

「『刻角』が無けりゃオレはただのクズだ……マトモに飯も食えねぇ……『天刃』でもいられねぇ……折角殺して奪ったのによォ……!」

 荒刈は、折れた『刻角』の欠片を手に慟哭した。
 刀鬼であるという事実は。彼を彼たらしめていた自尊心は。
 刃と共に、粉々に砕き折られたのだ。

「……自害でもするか。先にオレが、殺すが……」
「――ざっけんなよッ!」

 無粋の言葉に、荒刈は刀の破片を握りながら反駁する。
 もし向かってくるならば、その時は鉄塊で頭蓋を割ろう。そう考える無粋を余所に、荒刈は刀の破片を懐に突っ込み、立ち上がる。
「……なんで、そこまで刀鬼を恨む」
「刀鬼は……人を、脅かす」
 無粋の声が、小さく震える。
 失血が多すぎたのだ。意識が遠のくなかで、それでも無粋は再度鉄塊を握り締める。
「刀鬼は、人を顧みない。……強すぎる刀が、そうさせる」
「『刻角』もそれで、だから折ったって?」
「……たとえお前が死んでも……『刻角』が残っていれば、同じことだろう……」
「ああ……そうだよ。前の持ち主も、オレも、他人の事なんざ知った事じゃねぇ。『刻角』がオレをそうさせてくれた」
 だから、と荒刈は無粋を睨みつける。
 刀鬼を否定し、今の自身を否定した男を。

「……テメェを、これで殺しても、意味がねぇ」

 折れた刀では。ただの人間の力では。
 刀鬼を否定した無粋を、否定し返すことが出来ない。

「……テメェを殺すのは、刀鬼だ」

 だから、それだけを答えて。
 荒刈は無粋に背を向ける。戦う意志は、今は無かった。
「……待……」
 無粋自身は決着を望んだが、それも叶わない。
 いよいよ血の足りなくなった無粋は、意識を失いその場に倒れこんだ。

「…………」

 そして最後に、荒刈はちらりと少年の事を見て。
 折れた腕を抱え、走り去る。

「………………」

 残された少年は、無言のままに無粋の傍へ膝をつく。
 見る間に生気は失われ、呼吸さえ止まろうとしている、異質な男。
 懐に手を当てて、しばし少年は考え込む。
 それで、良いのだろうか。この男は、信用していい相手なのだろうか。
(きっとこの男は、異常だ)
 或いは刀鬼よりも、制御出来ない存在かもしれない。
 それでも、と少年は思う。他に手段はない。それに……

「……父上。私は、この男に賭けます」

 ……結果として、自分はこの男に助けられたのだから。

 *

 夜半。梟の声を耳にして、男は意識を取り戻す。
「ここ、は……」
「目覚めたか」
 呼びかけられ、男は警戒しながら声の主に目を向ける。
 齢十歳ほどの、少年だ。どこかで見た覚えがある気がした。
 焚火にあたりながら、少年は心配げな目で男の身体をじっと見る。
「治っては……いると思うが」
「……っ……?」
 言われて、気が付いた。
 男の着物にはべったりと血が張り付き固まっているが……身体に受けた筈の傷が、跡形もなく塞がっている。

「無粋、と名乗っていたな」
「何故オレは生きている」
「助けたからだ、私が」

 男……無粋は不審げに目を細めた。
 助けた。けれどこれは治療と言っていい代物ではない。
 もっと強い、何かの力。

「理由を説明する前に、話をさせてくれ」

 少年は火に顔を向けながら、ぽつぽつと無粋に語る。
 その手は懐を抑え、その眼は火ではないどこか遠くを見つめていた。

「私の名前は真波。ここより北にある滝河という国を治める、皆守家の長男だ」
「……そうか」
「けれど国は、乗っ取られた。領主であった父も恐らく、殺されたろう」
「……っ!」
「国を襲ったのは、『天刃』と名乗る刀鬼たち。奴らは城を襲い、私の一族に代々伝わる神刀『龍鱗丸』を奪おうとした」

 けれど、と真波は続け、やや押し黙る。
 数秒の後、彼は懐から布に包まれた一本の鞘を取り出した。
 蒼い鱗の並べられた、美麗な鞘である。

「この鞘には、治癒の力が宿っている。どんな傷も瞬く間に治す力。……この鞘がなければ、『龍鱗丸』は真の力を発揮しない」
「オレを治したのは……それか」

 真波は頷き、ようやく視線を火から無粋へと向けた。
 震えた、弱弱しい視線だ。
「……無粋、殿。どうか頼めないだろうか」
 けれど視線の震えは、すぐに収まる。

「国を奪った『天刃』の刀鬼共を、私と共に討ち倒してくれ」


【続く】

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