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刀鬼、両断仕る 第三話【和葉】下

◇【前回】◇

 刀鬼が扱う刀は、三種に大別される。
 一つは技刀。特異な素材や技法を用いて生み出された、常軌を逸した刀。
 一つは妖刀。厄災を内に秘め、不吉と引き換えに本来以上の力を得た刀。
 一つは神刀。神霊の加護を与えられた、万象の理から外れる力を持つ刀。

 左肩から流れる血に、無粋はそれが紛れもない神刀であると理解する。
 次に考えねばならないのは、『燕女』の攻撃に何か法則はあるのか……という点だ。

「……鞘、お持ちではないのですね」

 ゆらりと刀を構えながら、和葉は黒髪を揺らし呟く。
『龍鱗丸』の鞘を持っていれば、傷は瞬く間に癒えたに違いない。
 もしそうなら、恐るべき相手となる……和葉はそう考えていたのだが。

「要らない、そんなもの」
「そんなもの、ですか。不遜な物言いですね……」

 無粋の態度に、和葉はふぅと息を吐く。
 和葉にとっては都合の良い状況ではあった。だが荒刈から聞いていた通り……この男は、刀鬼の癇に障る部分がある。
「『龍鱗丸』は神より与えられた刀だそうです。貴方の態度は感心出来ません」
「神だろうが何だろうが、それが刀鬼を生むものならオレは折る」
「……それは、それは」
 言いながら、和葉はその場で『燕女』を振り下ろす。
 青い刃が空を斬り、刹那、無粋は悪寒を覚え『無粋』の刀身で身を隠した。

 ギィンッ!

 ややあって、『無粋』が衝撃を受け鈍く音を立てる。
(鎌鼬……ではないな、これは)
 本当に突如として身体を裂かれたなら、『無粋』で防ぐことは不可能だっただろう。ならば『燕女』の能力は……
「……斬撃が、飛ぶのか」
「良い読みですね。といって……」
 意味のないことですが。
 和葉は微笑み、ふわりと刀を振り下ろす。
 その視線の先には……懐をぎゅっと抑える、真波の姿があった。
「真波ッ!」
 咄嗟に、無粋は己の防御を解き『無粋』を真波と和葉の間へ差し向ける。
 ガィンッ! 斬撃が刀身へ衝突し、僅かに無粋の体勢が乱れた。
「貴方は、『燕女』に触れる事すら出来はしません」
 後は、そこを狙うだけ。和葉は淡々と刀を振り上げる。
「っ……!」
 露わになった足の腿が、音もなく斬り裂かれる。
 真波を背に防御姿勢を整えながら、無粋は荒い息を吐いた。
 傷は……浅いとは言えない。ちらと足元を確認しながら、無粋は考える。
「だっ、大丈夫か!?」
 遅れて事態を理解した真波が、懐に手を突っ込み無粋に触れようとする。
「触るな! ……オレの背に隠れて、物陰まで行け」
「しかしその前に傷を……!」
「オレの話を聞いていなかったか……!?」
 鞘の力で傷を癒す事は、我慢ならない。
 それを知った上で、真波は答えに窮する。
 この傷は……戦いに影響する。原因を作ったのは自分だ。
 無理矢理にでも鞘を押し当てるべきか? それとも……

「……使うべきだ、と私も思いますが」

 そこへ、和葉が声を掛ける。
 刀身に隠れながら、無粋は眉根を寄せた。
 何故この女は、自分の不利になるような事を口走るのか。

「貴方が何に拘っているのか、私は存じ上げません。けれど……それは、貴方自身の命を投げ打ってでも守るべきもの、なのでしょうか?」

 和葉は、敗走する荒刈から簡単な話しか聞けていない。
 真波を護ったのは、鈍の大剣を持つ刀鬼狩りの男ということ。
 そしてその男は、己の命を顧みず『刻角』を折った、ということ。
 不思議だった。刀鬼を討ち果たさんとする怖いもの知らずは幾らでもいる。
 しかし、己が身を犠牲に刀の一本を折る事に、何の意味があるだろう。
 どころかその男は、苦境に立ってもなお鞘の力さえ否定する。

「……己の、命か」

 和葉の言葉に、無粋はふっと息を吐く。
 その口元は、渇いた笑みを浮かべていた。
「知ったことか。オレは無粋だ」
「……意味が」
「分かられたくもない」
 答えながら、無粋は真波の着物の襟を掴み上げる。
「なっ……おい無粋!?」
「気が変わった。自分で走れ」
 言い捨てて。
 無粋は、真波を、田んぼへ投げ捨てた。
「なぁぁぁぁっ!?」
「死ぬなよ」
 ぼしゃり。音と共に水しぶきが舞う。
 同時に、無粋は『無粋』を盾に姿勢を低くし、走り出す。
「なんと、乱暴な」
 目を見張りながら、和葉は剣先を横に倒し、たんっと地を蹴る。
 死体の背を器用に避けながら、和葉は無粋の周りを大回りに走った。
 腿を斬られた無粋の走りは、さして速くはない。加えて『燕女』の異能によって、無粋は自身の得物を盾のように構えざるを得ない。
 和葉の足で距離を保つのは用意な事だった。駆けながら、和葉は『燕女』を波のように上下へと揺らす。それだけで、斬撃は空を飛び無粋の元へ向かうのだ。
「チィ……」
 それを、無粋も直感的に理解していた。
『無粋』の表面に緩やかな斬撃が連続して衝突するからだ。
 迂闊に護りを外すわけにはいかない。さりとて一挙に距離を詰める事も叶わない。
(だが、これで……)
 ちらと、真波を捨てた田を見遣る。
 ずぶぬれになった真波は、どうやら大人しく何処かに隠れたらしい。
 気は、十分に引けた。後は……
「……借りるぞ」
 足元の死体に呟き、無粋は一本の鍬を手に取った。
 和葉へ向け駆け出したと見せかけ、実際に無粋が狙っていたのは、死んだ村人の手に握られた農具だったのである。
「それで一体、何を……」
「今更だな」
 答え、無粋は片手で鍬を高く放り投げた。
「っ……!?」
 鍬が進む先は、駆ける和葉の目の前である。
 自然、足を止めこれを避ける和葉だが、その一瞬で無粋は和葉との距離を更に、詰める。
「くっ……!?」
 飛び退きながら、和葉は『燕女』を二度振った。
 しかしその斬撃は、『無粋』の守りを突破出来ない。
 接近しながら無粋は更に鍬を拾い上げ、今度は横から直接当てるよう投げた。
「こんなもの……!」
『燕女』の飛ぶ斬撃を前に、その程度の投擲物は話にならない。
 鍬は中空で二つに斬られ、和葉には届かない。
 だがやはり、その一瞬で更に無粋は距離を詰めた。
 二度の投擲で理解する。無粋の目的は、自分の足を止める事だ。
(……退くべきでしょうか)
 一旦、攻撃を止めて距離を取る?
 否、それは悪手だ。恐らく無粋はその間にも投擲を続け、こちらの手を縛る。
 ならばむしろ今は、より苛烈に攻めるべき時。

「そう……ですよね、『燕女』様」

 呟き、和葉は耳を澄ます。
 しかし、その耳に届くのは無粋の気配と風の音のみである。
 和葉は内心落胆しつつ、却って闘志を燃え上がらせた。
(彼女の声が、聞こえないなら……)
 それは、足りないという事なのだ。
 手緩い戦いで、彼女は喜びはしないだろう。
 相手が神刀の素晴らしさを解さない無頼漢なら、なおのこと。

「羽搏いて下さいませ、『燕女』様」

 和葉は足を止め、迫る無粋を眼前に見据える。
 剣先の届く距離。けれど無粋はそれでも更に一歩、踏み込む。
 ……踏み込まざるを得ないのだ。無粋は現状、『無粋』の盾を外せないのだから。
「重荷を負って、地を這う人には」
 そしてその一歩が、あまりに遠い。
 和葉はゆるりと身を翻しながら、刀を静かに振り上げる。
 それとほぼ同時に、無粋の腕は血を噴いた。
(……速い!)
 当然の事ではあった。距離を詰めれば詰めただけ、『燕女』の斬撃は素早く獲物に辿り着く。無粋とて、それを理解していなかったわけではないけれど。
(対応が……)
 遅れるのは、和葉が急に足を止めたから。
 無粋が自身の流れで和葉を圧し止めていれば、感覚は修正され、接近戦においても反応は可能であったろう。

「掴めません。届きません。彼女は気高い『燕女』なのですから」

 飛ぶ鳥に追い付けないように、無粋の動きは和葉を捉えられない。
 和葉は無粋の背後を取り、振り上げた刀の刃をくるりと回す。
 このまま振り下ろせば、無粋の身体は斬撃を避けられず両断される事だろう。
「それでも」
 和葉が刃を下そうとした、瞬間。
 無粋が後ろ手に隠したそれに、気が付いた。
「撃ち落とす事は出来る」
 小石、だ。無粋は前を向いたまま、それを指でピンと弾いだ。
「っ!」
 躱す、否、斬る!
 迷いを振り切りながら和葉は『燕女』で小石を断つ。
 神刀の斬撃は、ただの石一つで止まりはしない。貫いてそのまま無粋の背を斬るだけだ。……いや、待て、その無粋は何処へ消えた!?
 戸惑いを顔に出す前に、和葉の腹に無粋の足裏が直撃した。
「ぐ、ぅ……!?」
 一瞬の躊躇いが、和葉の手を鈍らせたのだ。
 その間に無粋は武器から手を放し、地面に転がると共に彼女の腹へ蹴りを当てた。
「っ、ぅ」
 痛烈な一撃である。よろめき体勢を崩した和葉。その腕を無粋は抑え、顔面に肘鉄を喰らわせる。
「がっ……!」
 無粋の手は万力のように和葉の腕を抑えていた。
 これでは、『燕女』を振る事は出来ない。斬撃を飛ばす事も、当然出来ない。
「捕えたぞ、鶏を」
「……『燕女』、さまを……」
 侮辱するな、と和葉は棘のある声で言う。
 それは、彼女が初めて見せた怒りの感情だった。
「『燕女』様は美しい方だ! 私は、私は……彼女の願いを叶え、そして……!」
 叫びながら、和葉は暴れる。
 だが鍛え上げた無粋の体に対し、和葉はやはり無力だった。
 膂力の差は覆せず、無粋の価値は揺るぎないものであると、思えたが。

「もう一度、貴女様のお声をっ……!!」

 手首の力だけで、和葉は『燕女』を天高く放り投げた。
「っ……!?」
 無粋が見上げる。それは無粋が行っていたような投擲とは事情が違う。
 中空で回転する『燕女』は、それに合わせ無数の斬撃を周囲に放つのだ。
 無論それは、『燕女』の真下にいる無粋と和葉の元にも。
 無粋は頬や二の腕に斬撃を受けつつも、咄嗟に和葉の腕を放し、飛び退いた。
 和葉はしかし、その場に留まり続ける。……結果、何度かの斬撃が彼女の髪や肩を襲い……左の腕を、跳ね飛ばす。
「ぐっ、ぅぅぅっ……!」
 声を、堪えながら。
 和葉は落下する『燕女』に残った手を伸ばした。
 一歩間違えば、刃で腕を断ち切られる。けれど『燕女』は、残った彼女の腕に刃を浴びせることなく、その手の平へとするりと帰る。

「……あぁ」

 瞬間、和葉は恍惚の表情を浮かべた。
「聞こえた。聞こえた。聞こえましたよ『燕女』様!」
 だくだくと血を流しながら、それでも和葉の顔は紅潮する。
 苦痛に歪んでいるべき表情は蕩け、虚ろな目で目前の無粋へと向き直る。
「私も嬉しゅうございます。貴女様に喜んでいただけて」
「……お前。何を、言っている」
「聞こえませんか? そうでしょうね、貴方のような方に『燕女』様の声は」
「…………」
 無粋には何も聞こえない。
 和葉が勝手に狂ったようにしか、見えない。

「飛びたい、飛びたい、飛びたいのと『燕女』様は仰っていました。私には聞こえました。だから私は『燕女』様を鳥籠からお出ししたのです、止める父を斬ってでも!」
「殺したのか、親を」
「止めるんですもの。飛びたがっておられたのですもの。『燕女』様に触れてはならぬと父は申しておりましたが、それは『燕女』様を独占せんが為でしょう」
 私には聞こえました、聞こえましたと和葉は繰り返す。
「『燕女』様のあの甘い声をもう一度聞くために、私は彼女を手に取りました。殺しました。私が強くなればなるほど、より美しく『燕女』様を舞わせられると信じて!」
 ですから、と和葉は右手で『燕女』を構えた。
 腕は震え、握るのもやっとの有様だと、無粋は思う。
 だのに彼女からは、これまで以上に悍ましい気配が漂っている。
 油断をすれば、一瞬で死ぬ。
 理解して、無粋は『無粋』を手に取った。

「ですから、無粋様、死んで下さいませ。『燕女』様が楽しむために」
「……お断りだ」
「だめです。貴方も斬られれば分かる筈です、『燕女』様の美しさが……」

 言葉は、もはや通じないだろう。
 無粋は口を噤んで、相手の出方を待つ。
 出血は既に限度を超えていて、十数秒もすれば動けなくなってしまうだろう。
『無粋』を盾に、それを待つのも手かと思ったが。

「では行きましょう、『燕女』様!」

 和葉は楽し気に笑って、『燕女』を投げた。
「っ……!?」
 回転。先程とは違い、縦に円を描くように『燕女』は回転していた。
 その斬撃は地面を抉り、無粋を上空から襲う。
 その位置を見定めながら、無粋は『無粋』を斜めに構えるのだが。
 ダンッ! その刀身を、和葉が強く踏みつけた。
「それっ!」
『無粋』を踏み台に跳んだのだ。そして中空で『燕女』を掴み上げると、刀と共にくるくると回転を続ける。
 血飛沫が舞い、飛沫は斬撃によって更に散る。
 霧雨のように注ぐ赤い血が、無粋の手足を染め上げた。
 その間も斬撃は注ぎ続け、和葉は着地。
 けれど斬撃は留まらず、地表スレスレをふわりと撫ぜる和葉。
 足を、刈られる。回避のため小さく跳んだ無粋だが、そこが隙になった。
 倒れこむように無粋の側面に回っていた和葉。振りかざした刀は、既に無粋を捉えていて……
「『燕女』、様ぁ……」
 ……しかし、無粋へと斬撃が届く事は、無かった。
 その前に和葉が尽きたから、である。
 血の滲んだ地面に、ばしゃりと倒れこむ和葉。
 彼女は少しの間立ち上がろうともがいたが、叶わない。
「……あぁ、だめですね。ここまでみたいです、『燕女』さま」
 だらりと力を抜き、和葉が仰向けに転がった。
 日は既に落ちきり、空には星が輝いている。
 和葉は『燕女』を空に翳し、無言でじっと見つめた。
「……」
 満身創痍になりながらも、無粋はそんな和葉へと近づいていく。
 止めを刺すためだ。……けれど、そんな彼に「待て」と声が掛かった。
「もう勝負はついただろう、無粋」
「……だが、刀が」
 声を掛けたのは、隠れ潜んでいた真波である。
 なおも戦いを続けようとする無粋に、真波は「やめておけ」ともう一度言う。

「……ふ、ふふ……お優しいのですね、貴方は」
「もうじき死ぬものを痛めつける必要はない……と思うだけだ」
「……」

 ため息を吐き、無粋は観念して『無粋』を地面に突きさした。
 刀は、後で折ればいい。この女が死んだ後に。

「申し訳ありません、『燕女』さま。わたくし、がんばったのですけれど……」
「どうしてお前、刀鬼なんかになったんだ」
「……刀鬼というのは……結果、そうなった……だけのことです……」

 真波に問われ、和葉はぽつぽつと言葉を返す。
 きっと皆さまそうなのでしょう、と付け加えて。

「荒刈さまは……生きるため……わたしは彼女の声を、ききたくて……」
「人の命を踏みつけにしてまでか」
「あぁ、はは……それは……そう、思えてしまいましたから……」

 許されたいとは思わない。
 自分なりに公平に、誠実に接してきたつもりではあるけれど。
「……『燕女』さまが、一番でしたから……」
 たった一度。
『燕女』の刀身を目にした時、幽かに聞こえた甘い声が。
 和葉という人間を、鬼の道へと堕とした。

「……あなたがは、どう……なさるのでしょうね……」
「……どういう意味だ」
「お分かりに、なりませんか……?」

 和葉の呼吸が段々と弱くなっていく。
 それでも『燕女』を握る力だけは弱めずに、彼女は笑みを浮かべてこう告げた。

「きっとおふたりも……なられますよ」

 己の命を顧みず、ひたすらに刀鬼と戦う無粋。
 父のため『龍鱗丸』を取り戻さんとする真波。

「刀鬼に……なられます」

 力と刀。特に真波は危ういと、和葉は思う。
 けれどそれを伝える力は、和葉には残っていなかった。

(まぁ……良いのですけれど)

 彼らが刀鬼になるのなら、それはそれで。
 気掛かりは、きっとこの後『燕女』が折られてしまうだろう、という事だけ。

(和葉は、貴女を握るのに相応しくありませんでしたね)

 自分でなければ、『燕女』はもっと飛べていただろうか?
 悔しい。悲しい。情けない。腹立たしい。
 どうして自分なぞが手に取ってしまったのだろう。魅せられてしまったのだろう。
 間違えたのだろうか。父上の言う通り、大切に仕舞っておけば良かったのだろうか。

(あぁ、『燕女』さま……)




『      、   』




 声は、和葉にしか聞こえない。


【続く】

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