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普通に生きられないなりに

田舎で生きるのが好きだ。

ゆっくりとした時間が流れていて、広い空間で自由に全身を伸ばすことができるあの感覚。

都内の大学に通っている私は、いつもそれとなく窮屈さを感じてしまっていた。

現在3年生になり、大学生活も後半へと差し掛かった今、そろそろ次の人生のことについて真剣に考える必要が出てきた。

周りの友達は企業説明会に参加していたり、インターンに申し込みをしていたりと、就活に向けて早々と動き出している話をよく聞く。

そんな現実を目の当たりにしたくない私は、目も耳も塞ぎながら、自分自身の答えをひっそりと探すことにした。


思えば、今までの人生、当たり前のことができないまま生きてきた。

学校にもちゃんと通っていなかったし、バイトも何個もすぐ辞めた。

集団で生きること、周りに合わせることが苦手で、とにかく色々なことから逃げてきた。

はっきり言って、そんな私が就職などできるはずが無かろう。

辛うじてどこかに受け入れてくれるような企業があったとしても、こちらがその環境に馴染むことができずに即退職してしまう可能性の方が高いだろう。

だから、就活は死んでもしない。

というか、できない。


そんな社不の私だが、一丁前に望んでいることもある。

それは、自分含め、居場所がない人たちのためのコミュニティ施設を開業することである。

それは、学校に行っていない子供だとか、独りが寂しい大学生だとか、社会人だとか。

自分と似た環境にいる人たちの支えになることである。

人を助ける前にまずはお前がどうにかしろよ、と思うかもしれない。

全くもってその通りなのだが、この夢を叶えることで、自分自身も救われるのだ。

自分を助けながらも、誰かを助けることができる。

そんな仕事のデザインを探している。


集団で生きることが苦手な人は、決して1人で生きることが幸せだと思っているわけではないと思う。

少なくとも私はそうだ。

辛い時に気兼ねなく話せるような仲間がいて、そこにいつでも帰ってこられる場所がある方がいいに決まっているのだ。

だからこそ、いつでも戻ってこられる、みんなの秘密基地のようなコミュニティを作りたい。

そんな社不の私なりの、大きな夢である。


ただし、現実問題、就活をしない大学生など、同年代の人たちの中ではかなりマイノリティである。

親にも迷惑をかけるし、社会的にも評価が得られないかもしれない。

そうやって周りと比べていると、自分という存在がどんどん小さくなっていくように感じる。

ただ、そんな自分だからこそ、できることがあるのかもしれない。

人にはそれぞれ向き不向きがあって、それぞれが輝ける場所が必ずあるはずだ。

昔から人と比べられるのが苦手な私にとって、これからの人生は我が儘に生きていけるチャンスかもしれない。

しかし、これから先うまく生きていけるという保証も無いし、夢が叶うのかも分からない。

それでも時間は過ぎていく。

普通に生きられないなりに、正解を探してみる。

あなたのサポートのおかげで人生頑張れますっ 宜しく頼んますっ