オンボロ人生からの脱却 〜3〜
もともとストレスは感じやすい方だった。
友人関係だったり家族関係だったり、いつも円満でいられるほど私は器用ではなかった。
それなのに、2年生になれば楽しい生活が送れるだなんて、どこにも根拠は無かったのに思ってしまっていたのは何故だろう。
2年生の始まりは、まずまずだったと思う。
クラスの子とも普通に話せていたし、なんとなく自分の居場所があった。そこまで楽しいとは思えていなかったけども。
しかし結局、1度治ったはずの体調も、2年生が始まって1ヶ月程度でまた崩れ始めた。
それも何故体調が悪くなったのかは分からなかった。
私はまた学校へ行けなくなった。
あぁ、この先の人生もこれを繰り返すんだろうか。
これを繰り返して何十年も生きていかなきゃいけないのか。
10代のまだまだ未熟な私には、ここから希望を持つ方法なんて一切思いつかなかった。
そんな中でも、週に1回は必ず学校へ通うようにした。
朝になるといつも、立てないほどの目眩と吐き気に襲われていたので、それが治まるまでは部屋に引きこもっていた。
医者からは、精神安定剤、睡眠導入剤、胃腸薬、頭痛薬を処方されていた。
なんだかどれもしっくりこないなとは思っていたが、とりあえずもらったものは全部ちゃんと飲んでいた。
昼になると、少し体調が回復することがあるので、そういう時は電車に乗って学校にはどうにか行くようにしていた。
週1だけでも学校に行っているだけ偉い。
そう自分に言い聞かせないと、生きていくことなんて信じられないほど難しかった。
親にも理解されなかった。
体調が悪いのは気持ちの問題だと。お前の意思が弱いせいだと。
もちろん反論はしたくてたまらなかったが、自分でも何故体調が悪いのかがわからなかったので、カードは何も揃わなかった。
そんな私のことを両親が理解できないのも当たり前だ。
その事実が余計自分を苦しめていた。
「どうしてこんな風になっちゃったんだろう」
このセリフが1番自尊心をズタボロにした。
確かにそうだ。その通りだ。
どうしてこんな風になっちゃったんだろう。
明らかに今の自分は、これまでの自分に比べたら完全に落ちぶれている。
ただ苦しむだけで1日が、いや1週間が終わっている。
どうして?いや、それもわからない。
私だってこうなりたくてなっている訳ではない。
そんな毎日を送り続けていて、これからのことについて両親と話す機会が徐々に増えてきた。
やれ学校に行けだ、お前の気持ち次第だ、そんな強引なことばっか言われたって、話は進みやしねぇよと思っていたが、そんな話を進めるための資料を私は持っていなかったため、永遠に話は進まなかった。
それが1ヶ月ほど続いたある真夏の日の昼過ぎ頃。
全てが嫌になった私は家を飛び出した。
携帯も財布もカバンも何も持たず、半袖半ズボンにサンダルを履いて自転車を全力で漕いだ。
ひたすら漕いだ。とにかく遠くへ行きたかった。
もう家に帰ることができなくなるくらい、遠くを目指した。
広い田舎道だった。
不思議と暑くない。
寧ろ涼しいくらいだ。
風が気持ちよかった。
恐らく全力で漕いでいたからだろう。
何もこわいものはない。
自由だ。
このまま力尽きるまで遠くへ行こう。
それから、5時間は経っただろうか。
空が暗くなり始めた。
はっ、と我に返る。
蒸し暑い。
喉が渇いた。
汗が冷えた。
視界がぼやけて見えない。
自転車を止めた。
というより、漕ぐ力がなくなった。
田舎道のど真ん中、そのまま寝転んだ。
空は晴れているのかよく分からない。
道は綺麗だった。
頭がぼーっとする。
何も考えられない。
このままじゃまずい。
やばい、死ぬかも。
どうしようか。
周りには、少しの街灯の明かりと、遠くの方にコンビニの光がぽつんとある。
しかし、コンビニは今から向かうのでは到底たどり着けそうにない。
やばい、死ぬかも。
でも、もういいかもなぁ。
まぁ、自業自得だよなぁ。
初めから全部、なかった事にしちゃおうか.........
その時、たまたま1台の車が止まった。
「何をしているの?大丈夫?」
40代くらいの夫婦が声をかけてくれた。
喋る気力もない。
私は何も言葉にすることはできなかった。
あなたのサポートのおかげで人生頑張れますっ 宜しく頼んますっ