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伝説の最終回!「海のトリトン」原作とアニメ版の違いを解説

今回は伝説の最終回「海のトリトン」をご紹介いたします。
アニメ界伝説の最終回と言えば
間違いなくビッグ3にノミネートされる「海のトリトン」
多くの子供たちを混乱させたトラウマ級の作品を原作との違いと手塚先生の真意はどのようなものだったのか解説しますのでぜひ最後までお付き合いください。



「テレビまんがのトリトンは自分のつくったものではない」

手塚治虫

「原作つまらないから変えちゃった…」

富野由悠季


手塚作品であって手塚作品ではないと呼ばれたアニメ版「海のトリトン」
冒頭に本作を象徴するコメントをご紹介しましたが
なぜこんな事になったのでしょうか。

本作は
1969年9月から1971年12月まで「産業経済新聞」にて連載された作品であり長編作品にも関わらず日刊新聞に1日1ページという形式で2年以上にわたって連載された作品でありました。

あらすじは
トリトン族の最後の生き残りである少年トリトンが、
海の支配者ポセイドン一族と闘う海洋冒険SFマンガなのですが
大枠設定は同じでも原作とアニメでは中身は全く別の作品になっています。

その原因は当時虫プロは経営悪化により内部が混乱しており、
思うようにアニメ制作が進んでいませんでした。
そのとき手塚先生のマネージャーをしていました西崎義展(よしのぶ)さんがアニメ化権利(映像化権利)を個人的に実費で捻出して取得します。
そして自身でTV局に売り込み制作されたのが「海のトリトン」なのです。

後に「宇宙戦艦ヤマト」で大ヒットを飛ばす破天荒なカリスマと呼ばれた西崎さんを筆頭に制作プロデューサーには東京ムービー出身の黒川慶三郎さん
キャラクターデザイン・作画監督には東映系のアニメータで
「タイガーマスク」「マジンガーZ」を手掛けた羽根章悦さん
そしてその総監督を務めたのが「機動戦士ガンダム」でお馴染みの富野由悠季さんと非常に強力というか個性の塊のような集団が作り上げる
虫プロ色が一切ない手塚アニメの制作がスタートしたわけであります。

これで「手塚作品であって手塚作品ではない」と呼ばれた理由がお分かりかと思いますが、現に才能溢れる若き才能たちは
「手塚アニメ」っぽくないないものを作りたい!
何かに挑戦したいという思いが強く意図的に脱手塚を図っていったとも言われています。
原作は手塚治虫ですが制作の権利はすべて西崎さんが持っていたので
明らかに異質な手塚作品が誕生することになるんですね。

手塚作品の丸っこいデザインではなく羽根さんの描く太くて濃く荒々しいデザインはトレンドの劇画調とマッチしてこれまでにない化学反応が起きた手塚デザインになっています。
正直異常なまでにカッコイイ作劇です。
オープニング映像からぶっ飛んだカッコよさなのでこれは是非見て欲しい。


プロデューサーが「宇宙戦艦ヤマト」の西崎さんで
総監督が「機動戦士ガンダム」の富野由悠季さんですから手塚治虫要素なんて微塵もなく各々が自身のエゴを巻き散らして制作されたカオスっぷりが画面ごしにビシビシに伝わってきます。

なかでも最もエゴまみれの傾奇者が冨野さん
簡潔に言えば最終回の脚本を職権乱用で突然ひっくり返しました。
「原作がつまらない」
とぶった斬って最終回のオチを勝手に変えちゃったんです(笑)

制作途中から最後のシナリオは自分で閃いたシナリオを絶対に採用しようと心に秘めていたそうなのですが、これを公表してしまうと確実に却下されると分かっていたので直前まで黙っていて、そして強行突破させます。

その内容も強烈で善と悪が一瞬で入れ替わる驚愕の大どんでん返しという
少年マンガの定石を根底から覆す大技を炸裂させて案の定大炎上。
詳しくはyoutubeで解説動画が沢山上がっているのでご覧ください。

このように伝説と言われるほどのインパクトを残した作品となりましたが
アニメ史においては、かなり重要な作品でもあります。
「テレビアニメで最初のファンクラブが作られた作品」とか
後の「宇宙戦艦ヤマト」や「機動戦士ガンダム」のルーツであるとか
「オタク文化」の先駆けになったのではとか話題の尽きない本作ですが、正直手塚先生の手元を離れてしまっているのでここではあまり触れません。

ですがこれだけはちょっと補足しておきます。
それはやっぱり主題歌。これは外せない。
「GO!GO!トリトン」ですよ。
「終わりには~嗚呼~」ってめっちゃカッコイイ
なんすか嗚呼…。って。
もうクセになるくらいに聞きまくった最高のオープニングです。


今では高校野球の応援歌でも定番曲になるくらい愛された楽曲になっていますね。でも、こんなめちゃくちゃカッコイイオープニングですが実は第6話まではエンディング曲でありました。
え?
ですよね。
なんと第6話まではエンディングとオープニングが逆だったんです。

理由はオープニング映像の制作が間に合わず先に仕上がっていたエンディングをとりあえず流しとけ!と言うむちゃくちゃな理由なのですが、この昭和の無茶ぶり加減が最高です(笑)
しかしこんな勇ましい曲がエンディングですからね
もはや違和感しかありません。
マジでビビります。

ちなみにエンディングの「海のトリトン」ってほのぼのとしたメルヘンチックな歌ですから(歌は南こうせつのかぐや姫)
どう考えてもおかしいですやん(笑)
第6話以降は案の定みんなやっぱりね…ってなるんですけどそりゃそうでしょって感じです
とにかくオープニング曲は武者震いするカッコイイアニソンなので是非聞いてみてください。

さて、それでは、わんぱくなアニメ版ではなく
原作がどのようなものだったのか見ていきましょう。

まず原作でしか出てこないキャラたくさんあります。
最も衝撃的なのは原作の元々の主人公だった矢崎和也という人間の少年
主人公キャラをアニメ版では根こそぎカットしていますからこれはぶったまげます。

あとは「丹下全膳」
これは丹下左膳と当時人気の「あしたのジョー」の丹下段平をパロったスパルタジジイですけどこれも出てきません。

丹下全膳


と言うより原作ではたくさんの人間が出てきて人間社会とのかかわりが多いですがアニメ版では人間との接触は完全カットされ
終始、海の中での出来事になっています。
原作ではトリトンが人間と人間ではない者との狭間で揺れる手塚っぽい作風なっているのに対しアニメ版ではアトランティスとポセイドンという完全対立の図式になっているのが大きな違いと言えます。

そしてアニメでは最終決戦で炸裂するオリハルコンの短剣
この世のすべてを破壊する威力を持つといわれる本作の重要アイテムですが原作ではそんなもの存在しません。これはアニメ版を見たあとに原作を見た人が一番驚くところかもしれません。


そもそも手塚作品全般に言えることですが、
こういう一撃必殺的な武器を所持する作品というのはほとんどありません。
ここら辺は非常に東映らしい、富野さんらしい改編と言えます。

でも仮面ライダーやウルトラマンのような必殺技やライダーベルトみたいなアイテムやロボットアニメに代表される武器や防具がない手塚マンガはユーザー視点で見ても配給会社からしても致命的な弱点だった事でしょう。
そもそもマンガの「面白さ」というものをストーリーにほぼ全振りしている手塚マンガには少年たちが求めるチャンバラアイテムとか、なんかよく分からんけど身体に装着するアイテムなどは、ほとんどないのでその点は圧倒的に不利なマンガでした。
ましてや大声で技の名前を叫ぶなど手塚マンガでは皆無です。

ブラックジャックが大声出して神業を繰り出していたら想像するだけで違和感しかありません(笑)
今ならジャンルの多様性として受け入れられるところもあるかと思いますが
当時のトレンドとしてはちょっと手塚マンガのスタイルは時代にマッチしないものであったのは確かです。


あとは「変態、変身」です。
冨野作品は徐々に大人になっていくような成長の過程を描いていくパターンを得意としていてアニメ版でもそのような描き方をされています。
しかし原作では、一気に4~5歳成長するという手塚版のド変態メタモルフォーゼが炸裂しておりそもそも相まみえることが困難な設定です。

一時的に冬眠みたいになり変態を終えて一気に成熟するという格の違うド変態っぷりをみせつけている稀有な作品ですから、さすがの冨野さんもこの手塚先生のエロチシズムにはカスリもしていません。
ここはまさに手塚治虫の独壇場と言えるでしょう。

あとはラストの「締め方」
アニメ版はご存じ、善と悪がひっくり返るトンデモ設定でしたが原作ではいくつかパターンがありまして
「連載版」では最終決戦でポセイドンが不死身のため宇宙ロケットに閉じ込め宇宙の彼方へと飛び立って道連れというアトムパターン
その後、「単行本版」ではトリトンがポセイドンを一室に閉じ込め自分ごと基地を爆破してくれと頼み大爆発して海の藻屑と化すオチに変更になりました。

しかしその後、
死なない不死身のポセイドンを爆発させるっておかしくない?
って意見がありまして講談社版漫画全集では当初の「連載版」に近づけた、宇宙に飛ぶバージョンに戻されております。
やっぱり死なない設定にはジョジョのカーズみたいに宇宙空間に連れて行くしかないという結論のようです。

というわけでざっくりですが原作とアニメ版の違い見て参りました。
色んな違いが確認できたと思いますが
実は当初手塚先生は「初期SF三部作」のあとに「動物三部作」なる構想があったようで「海のトリトン」は
「ジャングル大帝」のような展開だったのではと言われております。


トリトンも早々に父が亡くなり
受け継いだ意思を最後はレオのように自己犠牲の精神で愛する者を守り
その意思はさらに次世代の者たちに引き継がれてゆくという親子三代のドラマを「海のトリトン」でも継承しています。
白いイルカも、白いライオンと被るのも考えすぎかもしれませんが
もしかしたら手塚先生の中で何か秘めたるものがあったのかもしれません。

あとがきにも、「はじめの構想からどんどんはなれて~」とありますので
描いていくうちに意図しない方向へ進んでいったのは間違いないと思われます。
それが良いことなのか、悪いことなのか
手塚先生自身がこの「海のトリトン」のことについてあまり多くを語っていないところをみると、、、、、、、、そういうことなのでしょう。

最後に「青いトリトン」 (海のトリトン オリジナル復刻版)をご紹介しておきます。
「海のトリトン」は最初「青のトリトン」というタイトルでして
「海のトリトン」になる前の復刻版となります。
新聞連載時の原寸大、1回=1ページの形で収録のうえ、これまでの単行本では活字に置き換えられていた手塚先生による貴重な手書き文字のセリフも、
そのまま再現されているというこだわりっぷり。

青いトリトン

日刊新聞連載時の掲載年月日・曜日も添えて、
連載時のフォーマットを忠実に再現されているこだわり。
さらに、手塚先生が自ら描いた、幻のパイロット版アニメ「青いトリトン」用絵コンテ・2種も初公開。これは冨野さんらが制作する前段階の虫プロ商事で制作されていたプロットであります。

超貴重な絵コンテの、
現存する全ページを初公開収録されたまさにA級のお宝本です
是非チェックしてみてください。


というわけで今回は「海のトリトン」のご紹介でした。
ここまで作家たちの個性が分かれた作品も珍しいと思います。
原作とアニメ、どちらが優れているというより両方に良いところあります。
当然それにも好き嫌い別れると思います。折角なら両方見比べてみてご自身のお好きなところを探して見てはいかがでしょうか。


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