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天才手塚治虫ともう一人の天才水木しげる

今回は「天才手塚治虫ともう一人の天才水木しげる」についてご紹介したいと思います。

漫画界の神と呼ばれた天才手塚治虫の功績は後の漫画家に多大なる影響を与えもはや手塚治虫の影響を受けていない漫画家はいないとまで言われているほど漫画界に絶大な影響を残してきた作家です。

藤子不二雄先生、石ノ森章太郎先生、赤塚不二夫先生など
数々のレジェンドたちもみんな
手塚先生の影響を受けており初期の頃なんかはほとんどが手塚タッチの模写でした。


そんな中、ひとり異彩を放つ天才がいました。

それが「水木しげる」先生です。

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言わずと知れた「ゲゲゲの鬼太郎」の作者であり日本に妖怪ブームを巻き起こした不世出の天才
恐らくボクの知る限りで唯一手塚治虫の影響を受けていない漫画家かも知れません。
(あ、長谷川町子先生もそうかな)

『墓場の鬼太郎』を初めて見た“漫画の神様”手塚先生が
嫉妬に狂ったという曰くの2人
そんな手塚治虫と水木しげるの2人の天才の面白い共通点について
今回はご紹介したいと思いますので最後までお付き合いください。

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それではこの2人の天才を読み解く
共通点と全く真逆の相違点3つ見ていきましょう


まず共通点3つはこちら
①画力は気にしない
②戦争経験者
③マイペース

そして相違点3つはこちら
①誰でもマネできる画とマネできない画
②早熟と遅咲き
③幅広いジャンルと極めたジャンル


こちらを軸として天才の秘密に迫っていきましょう。

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共通点
①画力は気にしない

水木先生は、漫画について、
「最近は絵はうまいけど、話がつまらないものばかり」
「大切なのは、面白い話が作れるかどうかで、いくら絵の練習をしてもダメ。」

と言っています。

漫画は画力じゃなくストーリーが大事と言ってるわけですね。
実際水木先生は
「自分は漫画家にならなくても、小説家になれば直木賞が取れた」と語っており元々小説家志望でもあったそうでストーリーには相当自身があったようですね。


対して手塚先生も
「絵は書けなくてもいい」
マンガとは「面白いと思ったことを書くこと」と述べています。

有名な名言として
「マンガとは落書きのようなもの、落書きというのはデッサンが狂っている方が面白いんですよね。」

と言っておられます。そしてストーリーについては
こちらも零れ落ちるくらいのネタを持っており
「ネタはバーゲンセールするくらいある」と語ったのは有名な話です。

加えて
後輩漫画家たちには「絵の練習をするな、映画を見ろ」とも言っており
インプットしないと本当のアウトプットができないとし
手塚先生自身凄まじい量の本を読み、映画を見ています。
あんなに忙しい中で一般人よりも多くのインプットをしている手塚先生は
もはや異常

とにかく
2人とも画力は重要な要素ではなくあくまでも物語が第一と言ってます。

ただし付け加えておきますが2人ともめちゃくちゃ画が上手いです。
あくまでもマンガとしてデフォルメしているだけで
基本的なデッサン力はズバ抜けており
どちらも写真と見間違うくらい精密なデッサン力を持ち合わせています。
マジでびっくりしますよ。(↓水木先生の昆虫デッサン)

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手塚先生においては医学生時代まだ顕微鏡がそこまで発達していないとき
手塚先生の描いた画を参考に
研究員が見ていたというくらい精密な画が描けたそうで
基本はできて当たり前的な前提条件を表に出さないあたり2人とも恐ろしい天才だと思います。(手塚先生の昆虫デッサン ↓写真じゃありません)

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②戦争経験者


ご存じ水木先生は戦争での悲惨な体験はよく知られています。
南太平洋のラバウルで
1人で3日間ジャングルを逃げ回りようやく助かるも片腕を失います
過酷な状況の中で
軍医がナイフみたいなもので腕を切断し血はバケツに一杯ばかり出たと壮絶な体験記を残しています。

手塚先生も学生時代に大阪大空襲を体験し
雨あられのように降ってくる焼夷弾から
奇跡的に生還した経験を持っています。

多感な少年時代に真横で仲間や友達が無残にも死んでいく様を見て
この世のものとは思えない、地獄絵図とも言える凄惨過酷な状況を生き抜き
まさに九死に一生を得た体験というのは2人の作品に大きな影響を与えています。

2人の作品のバックボーンが戦争体験からきているのは
漫画としても色濃く反映されおり
「生きる」こと「命とは」を単なる娯楽だけではなくメッセージとして
サンプリングされているので多くの読者の心を掴んでいるのでしょう。


そして2人とも自伝的戦争マンガを数多く描いており
手塚先生はいつもの手塚タッチでやんわりと
一方、水木先生の方はもう壮絶な体験談を残しております。
いかに現代が平和であるのか、打ちのめされるくらい素晴らしいマンガですのでぜひ機会があれば読まれてみると面白いと思います。

どちらも図書館にも置いてありますので教育の一環として
お子様と読んでみるのもよろしいかと思います。


両先生のおすすめの戦争マンガをリンク貼っておきます
総員玉砕せよ! (講談社文庫)

敗走記
生きるとはなにか、死とはなにか。深く考えさせられます。

生きるも死ぬも自然なこと『河童の三平』


③マイペース


天才の特徴でもあるマイペース、唯我独尊
お二人も例に漏れずマイペースです。

水木先生は「自分のやりたいことしかしない」というルールを設けて徹頭徹尾、自分のペースで、自分の好きな仕事を思い切り楽しむタイプ
どんなに忙しくても8時間寝るスタイルを貫き93歳という長寿を全うされました。

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一方手塚先生のマイペースは
自分の願望のためならすべてを蹴散らすタイプ(笑)
自分のやりたいことは他人を巻き込んででもすべて自分がやる
普通なら潰れてしまってもおかしくない狂った状況でもやり散らかす
当然ついていけなくなってしまう人も続出するんですが
なんせ当の本人が一番パワフルなので有無も言わせぬ状況を作って突き進むスタイル

60歳という短い生涯でしたが残した功績は常人の150年分あると言われているくらい凄まじい仕事量でした。

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やはり多くの天才たちに共通していることとして己の信念を貫くということ
異常な程、ストイックで自分のリズムを乱さない
これは他人の意見を聞くと挑戦できなくなるという裏返しでもある言えるでしょう。


続いて相違点


正反対のところ3つ見ていきましょう

①誰でもマネできる画とマネできない画


水木先生の画と言えば一目見て「水木しげる」と言えるその独特のスタイルですね。
もうどこからどう見ても「ゲゲゲ」の作者と分かってしまうくらいのオリジナリティ、好き嫌いの好みもはっきり分かれてしまうほど超個性的なタッチは独特すぎて誰にも真似できないくらいに異彩を放っています。

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一方の
手塚先生の画は後のマンガ家に多大なる影響を与え
手塚コピーが増殖するくらいパクリマンガで溢れました。
パクリと言いますか影響が大きすぎてみんな漫画家を志すと手塚タッチから始まっちゃうんですね。

藤子不二雄先生とか石ノ森先生のデヴューの頃なんてまんま手塚タッチですからね
あの白土三平先生や、つげ義春先生たちですら最初は手塚タッチからスタートしています。

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手塚タッチって実際描いてみると分かるのですが
シンプルすぎるが故に簡単ではない事に気づかされるんですけど
誰でも真似したくなるほどのデザインなんですよね。
本当に数えきれないほど数多くの漫画家たちが
手塚先生の画を真似するところから始まり
後に自分のオリジナリティへと変化させていっています。
とりわけ手塚タッチというのは漫画家の登竜門的なデザインであり
水木先生とは全く違うものであると言えます。


というよりそんな状況で全く手塚治虫の影響を受けなかった水木先生がすごいんですけどね(笑)


②早熟と遅咲き


手塚先生のデビューは1946年
水木先生のデビューは1958年
漫画家デビューは水木先生の方が8年遅く
しかも水木先生は1922年3月生まれで手塚先生より5歳年上なんです。
そしてブレイクのキッカケとなる『墓場の鬼太郎』連載は1965年で
本格的にブレイクするのはその2年後の1967年、
つまり当時では相当の遅咲きなんですね。

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一方の手塚先生はほぼデビュー作の「新宝島」で彗星のごとく登場し
当時としては異例の40万部を超す大ヒットを飛ばし一躍有名になります。
続けざまにヒット作を連発し、あの「ジャングル大帝」執筆中はまだ大学生だったという異例の早熟っぷり
早熟といいますが以後、亡くなるまで40年間一線で活躍される超人ぶり。
とにかくのっけから凄まじい勢いで日本漫画界の歴史を塗り替えていった天才です。


そんな遅咲きの水木先生に対し
狂ったように嫉妬した手塚先生もえげつないですが
年上とは言え業界の大先輩に「なんか邪魔だなぁ」と言い放つ
水木先生もエグイ!

非常に対照的な2人を物語るエピソードだと思います。


③幅広いジャンルと極めたジャンル


水木マンガと言えば「妖怪」
「妖怪」と言えば「水木しげる」
と誰もが口を揃えて言うほどの妖怪ジャンルにおける第一人者

妖怪なんて当時おどろおどろしく伝承の類で恐ろしいものであったものを
エンターテイメントとして昇華させたことは
日本文化においても文化功労者の一人であります。

民俗学的、哲学的にも優れ誰にも親しみやすく分かりやすく
時に人生について深く考えさせられる作品を生み出したこと、
これはすごいことであります。


一方手塚先生は
あらゆるジャンルを網羅したマンガ界の巨人
ファンタジー、SF,少女漫画、歴史マンガ、文学漫画、悲劇、サスペンスなどなど
今では当たり前と言われるジャンルを次々と生み出していき
漫画というカルチャーを大きく引き上げました。
ボクの知る限りではスポーツもの以外のジャンルはすべて描いたのでは
と思えるくらい多岐に渡り作品を残しています。

加えて新たなタブーに挑戦していくことも大好きで
ありとあらゆるタブーにも挑戦しています。
手塚先生の事を児童漫画家のイメージを持っておられる方であれば
恐らくぶったまげるくらい禁断のマンガも描いておられます。

性教育マンガ、ハレンチマンガ、BLなど
こちらも今でこそ当たり前のジャンルもここでは言えないマンガも
ほぼすべて手塚先生がやり散らかしてきたんじゃないですかね(笑)。

とにかくジャンルというものに縛られない
それが手塚治虫という漫画家のスタイルです。


というわけで共通点3つ相違点3つというポイントを絞って
天才2人の偉大さを辿ってみました。


どちらの作品もユーモアで親しみやすい作品でありながら
深く読めば哲学書にも匹敵するマンガ
単純なようで難解。
読む人の心をえぐるような多くの作品を数多く残してきた2人の作品を
今一度読み返してみてはいかがでしょうか。


ちなみに手塚先生と水木先生は仲が悪かったのではという声もありますが
これについてはお2人は否定しておりますので
互いに刺激しあっていたというのが正しい解釈でございます。
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はいというわけで今回は手塚治虫と水木しげる2人の天才の共通点についてご紹介いたしました。
手塚先生の天才性を語る上で
あえて今回は水木先生と比較してみました。
どちらが優劣ということではなくどちらもとんでもない天才ですので
天才の共通点を辿ることで新たな再発見ができるのではないかと思います。


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