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「狂気とエロスの問題作」「ばるぼら」実写と原作を比較する。

今回は手塚治虫の「狂気とエロスの問題作」実写版「ばるぼら」
サブスク解禁と致しまして改めて本作のご紹介をしたいと思います。

手塚治虫と言えば
「漫画の神様」と呼ばれ「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」に代表されるように児童漫画家のイメージが強いかと思いますが
実はそうではない作品を多数残している作家であります。

むしろ世に知られていないだけで、
そうではない異色作、問題作が多数存在する作家でもあり
その中のひとつ「ばるぼら」という作品がご子息「手塚眞」さんの手によって稲垣吾郎さん二階堂ふみさん主演で実写映画化されました。

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この「ばるぼら」はアダルトでエロティシズムが同居した曰くの問題作とされておりその過激な描写は2020年劇場公開より話題を振りまき、
2021年6月DVDが発売されるも即完売。
再販を望む声の中、ついに10月1日にアマゾンやネットフリックスなどの動画配信サービスにて解禁されたわけであります。

今回はその「ばるぼら」の魅力を原作と実写映画の両面から
お届けいたしますのでぜひ最後までご覧いただければと思います。


それでは本編いってみましょう。
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今回の解説以前にも「ばるぼら」の解説動画を配信しておりますが
今回はサブスク解禁をより楽しむための内容になりますので
一部以前の動画内容と被るところもあろうかと思いますがご了承ください。
宜しければ以前の記事も併せてご覧になってみてください。


それではまず「ばるぼら」のあらすじを超簡潔にご紹介しておきます。


主人公は異常性欲に悩む小説家「美倉洋介」が
「ばるぼら」という小汚い娘を街で拾ったことから人生が一変します。

実はこの娘こそ「芸術の女神」と呼ばれ関わった男に
「才能」を与えるミューズでありました。


しかし「ばるぼら」は身なりは汚いし、言うこと聞かないじゃじゃ馬娘
美倉は手に負えず彼女を手放すのですが、
そうすると小説が書けなくなってしまいます。

美倉は、ばるぼらを失ったことで廃人同然となり
彼女が女神だったことに気づきもう一度「ばるぼら」を探すのですが、
ばるぼらはすでに別の男のものになっていました。
さぁ果たして、ばるぼらを追い求め美倉はどうなってしまうのか?

芸術とエロスが融合した狂気のカルトサスペンスが炸裂する本作
衝撃の結末はぜひ本編にてお確かめください。
というのが本編あらすじであります。

ちなみにこの記事はネタバレを含みますので
まだご覧になられていない方はご注意ください。

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本編は妖艶で怪しい雰囲気がプンプン漂う世界観が特徴で
多くの方が想像する手塚治虫のマンガとは正反対の異色作であります。
本編が連載されたのは1973年7月
手塚治虫が超絶なスランプだった時期の作品であります。
同時期にアニメ制作会社「虫プロダクション」
版権と出版を扱っていた「虫プロ商事」が続けて倒産
債権回収や経営問題に振り回され
とても漫画なんて描いている状況ではないドン底の中での連載

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まさに最悪の心理状態で描かれた作品であり
本作は当時の手塚治虫の深層心理が潜んでいると作品であると
連載当時から囁かれていました。

まさしく本編において
「魔女に魂を売ってでも才能を手に入れたい」と望む作家の姿が描かれているので手塚治虫本人の願望が強く表れた作品と言えると思います。

しかし今回は表面的に語られる「ばるぼら」という作品とは
別の思想、別の視点から
もう少し踏み込んで作品の精神性と実の息子である眞さんが実写映画化にて再現した表現について掘り下げてみたいと思います。


では、まずなぜ「ばるぼら」という作品を描いたのかについては
オッフェンバッハのオペラ「ホフマン物語」からのインスピレーションで本作を描いたと手塚先生自ら語っておられます。

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手塚先生はこのオペラのレコードを死ぬほど聞いていたそうですが
実は1951年に「ホフマン物語」は映画化されておりまして日本ではあまり評判にはならなかったそうですが手塚先生はとてもお気に入りで
「わが生涯の青春映画」と絶賛しております。

さらに奥さんも結婚前にこの映画を見ていて
とても印象に残っているとして
二人意気投合して京橋のフィルムセンターまで出かけ再上映を見るくらい
好きな映画でもあり思い出深い映画なのであります。

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そしてこの「ホフマン物語」の作者のオッフェンバッハ自身が
「ばるぼら」執筆時の手塚先生の状況と非常に良く似た境遇でありまして
故にこの作品に手塚先生自身の状況を投影したんだとボクは思っております。

大好きな作品の作風
怪奇,猟奇に充ちたロマンとフェチズム、倒錯した愛情表現に加えて
作者自体の私生活まで似てるとなったらそりゃあ
誰でも運命的なインスピレーションを感じて当然ですよね。
ほぼ間違いなくこの作品以外の面でも
インスピレーションを感じていることと思います。


そしてなんと、実写映画化した眞さんもこの映画が好きなんですよね。
遺伝なんでしょうかね。
お父さんとお母さんの好きだった映画を息子も大好きって
すごい繋がりを感じます。

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そして眞さんはこの「ホフマン物語」のアート的、芸術的野心作の系譜を受け継いで見事に実写「ばるぼら」でも映像美の美しいアート作品に反映させています。

原作「ばるぼら」では
やたら裸になるシーンが多いので映画でも稲垣さんと二階堂さんのお二人も
惜しげもなく全裸を晒し散らかしているんですけど
でも、全然エロくありません。

むしろ官能的で美しい、これはカメラマンのクリストファードイルの映像というのもあるんでしょうけど
文学的、芸術的な美しさを感じさせてくれています。

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上品な美しさ、下品な浮浪者のばるぼらを描いているのにめちゃくちゃ上品さを感じる映像美
エロティックなシーンが多いにもかかわらず品格のあるエロチシズムに仕上げてあるのはこの「ホフマン物語」のアートな影響を見事に体現させてくれているといえるでしょう。

親子二代に渡って影響を受けた「ホフマン物語」の
芸術性をどのように引き継いでいるのかも本作の見どころになっておりますのでぜひ注目してご覧になってみてください



そして作風のテーマである浮浪者の設定は
明らかに1967年永島慎二の「フーテン」の影響ですね。

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フーテンって60年台から70年にかけて流行った今でいうニートみたいなもので定まった仕事や住所を持たない人のことでプータローとかヒッピーとも言われます。

有名なのは1968年から始まった「男はつらいよ」のフーテンの寅さんですが

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その影響でフーテンって自由気ままで柔らかい優しいイメージが先行してしまっておりますが元々は「精神の均衡を失っている」という意味なので
「ばるぼら」みたいな作風で使われる方が
正しいフーテンに近い表現なんですね。

谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』でも息子の嫁に性的興奮を感じるマゾじじいの倒錯した表現が描かれておりますし
むしろ社会不適合者といっても過言ではない精神状態がフーテンなんであります。

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本作「ばるぼら」でも「ばるぼら」が
浮浪者(フーテン)として描かれていますが
主人公の一人である美倉も相当に倒錯した人物として描かれています。
異常な性欲に悩む孤高の小説家にこの浮浪者女が絡みつくという
非常にカオスでサイコな作風は異様な世界観を放っています。

舞台の新宿も美倉のサングラスをかけた中年男性という設定も
永島慎二「フーテン」っぽいと言えますね。
実写の稲垣さんのサングラスの奥に潜む変態性、目の演技
これは非常に良かったですね。

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何を考えているか分からない苦悩と狂気の演技
内側に秘めた体温、冷めた感じや狂った熱量なんかは演出でできるものじゃないと思います
見てて伝わってきますよ。
この温度感ってやつは…。

稲垣さんっぽくもありまさしく美倉になり切っていました。


そして原作の美倉の人物像
これは手塚先生本人が投影されていると囁かれていますが
ほぼ間違いなく投影されているでしょう。

この美倉とばるぼらの関係性こそ
当時の手塚先生の苦悩と葛藤を歪んだ性癖に置き換えて描かれています

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異常性欲という形で創作意欲を吐き散らし
互いに自分を見失う危険性をも孕んだ本能的衝動を
見事に表現していると言えます。

これは本質的には「常人には理解できない」という意味で
本編のばるぼらの奇怪行動も常人には理解しがたく
常識人にとっては理解できない存在であるというメッセージとも取れます。
手塚作品がスランプで世間からそっぽを向かれ
人気が低迷している様を異常性癖に置き換えて表現されています。

そしてここで異常性欲として手塚先生おなじみの
人形愛、獣姦、が炸裂します。
なにより興味深いのが実写版では死姦が描かれていたことですね。

これは実写版ラストが原作とは違いちょっとハードな締め方をしておりまして美倉が死んでしまった「ばるぼら」とやっちゃう描写があるんですけど
原作では見てるだけになっています。
親父の人形フェチを息子が超えてくるという
ちょっと驚きの展開であります(笑)

父、手塚治虫の変態性の上を行く変態性を息子が受け継いで
進化させた異常な変態性を炸裂させるという猛烈な展開が繰り広げられます
でも何度も言ってますが全然下品じゃない

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本編のエロティックな表現は当時流行のハレンチ描写として描いたのではなくまさしく作品として必要な描写
まさに本作における肉体と精神の関係性を
より芸術的、文学的に描くための必要描写として描いています。

眞監督も「セクシャルでセンシティブなシーンが多め」と語っているように
本作においてエロチシズムは必要不可欠な描写であり
これを描かないことには、やはり人間の本音や欲望の精神性を
描いたことにはならないんですよね。
故にこの
異様な世界観の役に入り込んだ主演2人の好演が本当に見事でありました。

ここら辺のアブノーマルさ
混沌とした掴みどころのないダークなエロチシズムは
原作、実写版共に見どころのひとつであります。



そして物語は途中からオカルト要素が入ってきて
ちょっとキワモノのテイストが漂ってくるんですけど
これは1973年の『ノストラダムスの大予言』がヒットした影響とも言われていますが実は振り返ってみるとオカルトが本格的に流行る前に取り入れているんですね。

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ばるぼらが1973年7月で『ノストラダムスの大予言』は同年の11月です。
TVでは『あなたの知らない世界』
『川口浩探検隊』がこの後に流行りだします。

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映画では
エクソシストが1974年
オーメンが1976年
と実はかなり先鋭的にオカルト描写を取り入れていたことが伺えます。
振り返ってみるとかなり早い段階から
手塚先生はオカルトを意識していたようですね。

流行りものに敏感な手塚先生らしい作品ですけど
毎度のことながら早すぎて誰もついていけないなんてことも多々ありますので何とも言えないのですが(笑)
本編「ばるぼら」でもオカルト要素が混じりこんで来た辺りから
異常性欲の件が希薄になってきちゃって本編が迷走しだします(笑)

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これはスランプ期に描かれた作品だけに
自分はまだミューズに置き去りにされていない、時代に取り残されていない
…という苦悩と葛藤を秘めた描写が表に出てきてしまったのだと思います。

そして煩わしい人間関係に振り回されて
マンガもろくに描けない歯がゆさ…。
マンガを描くことでしかこの状況を打破できないのに
そのマンガすら自由に描けない。

本編の背景が歪んでいる描写が多いのも
このような締め付けられるような環境であったことも
決して偶然ではないと思います。

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これこそ本人は意識していなくても
圧倒的な絶望の中、マンガを描き続けた精神状態が無意識のうちに滲み出てしまった深層心理が垣間見える描写でしょう。


そしてリアルな現実に対して、非現実な象徴として
オカルト、カルト、を取り入れ何が現実か見まごうような歪んだ世界観を描いてしまう描写も揺らぐ精神状態を象徴しているのではないでしょうか。

これは読んでいても感じるんですが
明らかに路線変更したなって分かっちゃうんです(笑)
というか迷走してるなぁって…

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だって最初の設定から段々かけ離れて行っちゃいますからね。
トレンドになりつつあるオカルトを入れちゃえと思ったのか
当時の歪んだ精神状態がそうさせてしまったのか
その真意は分かりませんが
このオカルト要素の想定はおそらく最初の設定にはなかったことと思いますよ(笑)

そのくらい精神的に不安定な時期だったんですよね。


…でもそんな情緒不安定な時期もついに終わりを迎えます。

「ばるぼら」の連載が始まって4カ月後…
ついに手塚治虫の底知れぬ才能が炸裂します
あの名作「ブラックジャック」の連載がスタートするんですね。
このドン底からあの名作を生み出すわけですから恐ろしい才能であります。

そしてこの「ブラックジャック」連載以後、手塚先生は大復活を遂げ
長く絶望のスランプ期を脱却することになる訳であります。

つまりこの「ばるぼら」はブラックジャックの前哨戦
創作の苦しみとの脱却前の最後の作品なのであります。

ちなみに同時期に並行して連載していた作品には
「ブッダ」「鳥人大系」「火の鳥乱世編」「ユフラテの樹」があるのですが
もっと補足すると
「ばるぼら」連載前にはあの超ド級傑作「奇子」を連載していて
「奇子」連載終了のわずか2週間後に
この「ばるぼら」の連載がスタートしています。

もはや今となってはこれら連載群の何を以てスランプと呼ばれていたのかも
意味不明なくらい良質な作品を残しているんですけどね(笑)
むしろボクはある種のゾーンに入っていたんじゃないかと思うほど
好きな作品ばかりであります。

とにかくこの時期はスランプと呼ばれていましたが
手塚治虫の信じがたい才能と壮絶な創作への執念を感じることができる時期でもあります。


人生のどん底とも言える絶望的な状況の中で
狂気的で変態的な創作意欲で書きなぐった手塚先生

手塚先生本人も本作「ばるぼら」を「狂気の変容」とみなしているように
芸術と隣り合わせの狂気を退廃的なエロスや異常性欲とをミックスさせて見事に変容させた作品に仕上げています。

実写映画でもこの狂気の模様を
稲垣さん演じる変態小説家が、ばるぼらを演じる二階堂ふみさんに溺れていく感じなど退廃的で耽美的な狂気感が滲み出た作品に仕上げていますので
ここら辺の親子二代に渡る「狂気の変容」も本編の見どころのひとつと言えますのでぜひご覧になって欲しいと思います。

そして物語のラストでありますが
原作のタイトルでは「大団円」と銘打たれております。

大団円って「めでたくおさまる最後の局面」って意味なんですけど
これはどのように解釈すればよいのかちょっとためらっちゃいますね。

確かに手塚先生にしてはキレイなラストを迎えた作品であると言えますが
決してめでたしめでたし…というラストではないんですけどね

作家は芸術のために魂をかけろってこと?
すべてを投げうってでも理想を追い求めろってことでしょうか
これは如何様にも解釈できるラストでありますが

原作の最後では美倉の絶筆「ばるぼら」という作品の通して芸術の存在感
価値観、芸術品としての在り方を示し
冒頭のシーンへとループする仕掛けになっております。

本作ではある意味で手塚治虫の
芸術、創作意欲、作品に対してのひとつの答えを示したとも言えるでしょう。
故に間違いなく
手塚治虫の芸術観や人生観を語る上で外せない傑作になったのは
間違いありませんが皆さんはこの大団円
如何様に解釈されましたでしょうか。
読者それぞれの解釈がもしかしたら大団円という答えなのかも知れません。

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そのラストにおいて実写版でひとつ興味深いシーンがあったので追加しておきます。

廃人寸前になった美倉が「お前のすべてを書く」と言って紙と鉛筆を持って何かに憑りつかれたようにむさぼり散らかして小説を書き続けるというシーンがあるのですが、映画ではチラシか何かの裏に書きなぐっているんですけどシナリオでは「紙」としか描かれていないんですよ。

チラシの裏って書いてないんです

原作でも原稿用紙に書いているので、これ眞さんの演出ですかね。
だとしたら相当ニクイ演出だと思いました。
まさに創作の狂気を感じさせてくれる素晴らしいシーンでありました。

ぜひ注目してご覧になってみてください。


原作マンガを実写映画化されると比較的残念な仕上がりが多いんですけど
本作は非常に素晴らしい出来であると共に親子二代に渡って引き継がれる
狂気とアブノーマルなエロスがどのように表現されているか見比べてみて欲しいと思います。
別の監督さんと違って本物の「血のつながり」のある監督なので
精神性の根っこの部分、手塚イズムの部分が他の誰よりも骨太で繋がっているのでまさに手塚治虫の狂気が素晴らしい形で表現されておりました。
ぜひこの機会にご覧になってみて欲しいと思います。


そして
眞さんは今度手塚作品を実写化するならという質問に対して
「人間昆虫記」「火の鳥」「ファウスト」辺りがいいかなぁとポツリと言っておられましたので、いづれも現実化すると非常に楽しみなので作品でありますので非常に楽しみであります。

というわけで
サブスク解禁「ばるぼら」のご紹介でした。


そして原作の方は
『ばるぼら オリジナル版』をオススメしております。


『ばるぼら』を雑誌連載当時のまま復元した「完全オリジナル版」です
過去の単行本に収録されなかったトビラや削除されたページなど全て連載時のまま復元。
単行本化の際に改変されたり削除されたセリフも全てオリジナルに戻している最高の復刻版です。

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しかもこの復刻版のすごいところは
この製版のために生原稿を使用しており
最新のデジタルスキャンで版を起こしておりますので
雑誌掲載時をはるかに超えたクオリティでご覧いただけます。
これは古くからのファンにとってはたまらない代物ですね。

また巻末には手塚作品お得意の
全集未収録と単行本初収録の大人向けダークファンタジー短編を5編も収録されています。

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そしてさらに
有識者による詳細な解説と分析コメントも掲載されておりますので
より深く「ばるぼら」の世界観に没入できると思います。

サイズはB5判サイズなので圧倒的な迫力で読めるのも嬉しいですね

このようにファンなら欲しくなっちゃうマニア心を擽る逸品になっておりますのでお求めの際はこの「オリジナル版」もぜひ検討してみてください。

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という訳で今回は
アブノーマルに満ちた狂気とエロスのデカダニズムの傑作「ばるぼら」のご紹介でした

最後までご覧くださりありがとうございました。


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