東京のいい人。

世の中はどう変わろうが、いつの世にも変わらないものがある。それは男と女の出会いである。東京に出てから、私には出会いという出会いはなかった気がする。私が気づいていないだけかもしれない。私は統合失調症を発症して東京に上京した。東京に出てから、しばらくの間、私は出会いというものを考えるどころではなかった。何しろ、私は統合失調症で一時は「死」を考えていた。私はかろうじて「死」を思い留まったが、療養には長い期間を要した。統合失調症を抱えどう生きていくかが一番の問題だった。療養中、私の想い人は病院のケースワーカーだった。その想いは成就するわけでもなく、私の障害が軽くなるにつれて、離れていった。

私が東京で働くようになり、職場で何人かの女性と知り合うようになる。リーマンショック前の3年間は、人の出入りが激しい職場だった。私は障害者雇用の事務補助でアルバイトだった。私の職場は障害者に理解があったが、私を男として見ている女性社員は少なかった。私はいろいろな思惑の中から外れていたし、一日6時間会社で過ごすだけで精一杯だった。職場の同僚と飲み会をしたり、ボーリング大会をしたり、テニスをして楽しんだことはある。今、考えると出会いがないわけではなかったが、職場の仲間以上の存在ではなかった。いつか会社の上司に愚痴をこぼしたことがある。ずっと会社で働いているけど出会いがないんですよ。と。するとこう言われた。
「当たり前じゃないか。一人の子に親切にしたら、周りからひいきしていると言われ、大変なことになるよ。」全くその通りである。私の職場では職場恋愛が禁止ではないがそれはそれで大変そうである。

私は働き出してから、テニススクールに通うようになる。休日に週に一回テニスをする。もちろんテニスは楽しいし、会社以外の人と出会うことも多い。出会いが全くないということはなかった。しかし私の通っているテニススクールは夫婦で通っている人や、主婦の人が多かった。私はテニスを始めたばっかりだったし、自分をオープンにして、話すことはなかった。テニススクールでは仲良く話すが、残念なことにテニススクールを離れての付き合いはなかった。

東京に出てから、私は出会いを求めて街コンに参加したり、地域の活動に参加もした。知り合って、FBの知人になったりもしたが、それ以上に発展しなかった。マッチングアプリとかは私は条件外なので試しもしなかった。アルバイトで精神障害者だとわかれば誰が相手にする?見知らぬ人が条件だけ見て相手にしてきたら、どういう人か逆に怖くなる。

そんな私はやりきれない想いを誰かにぶつけたかった。間違いなく最初はケースワーカーだった。あるいは推しのアーティストだったかもしれない。熊木杏里さんにメールを何回も送り、CDはもちろん購入し、東京のライブは欠かさず参加した。あるいはチェリストの五十嵐あさかさんだったのかもしれない。カフェで催されるライブに足を運んだ。その中で私ができたことといえば顔を覚えられ、常連さんであることだった。さみしい男だなと思う。東京に上京して、男と女はどこで出会うのだろうか?こんなにたくさんの男と女がいるのにすれ違うことの方が多いのかもしれない。

東京のいい人。いつ私は出会うのだろうか?もしかしたら通り過ぎてしまったのかもしれない。


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