見出し画像

二十歳のころ 第十二章

バスはモンキーマイアに到着した。僕はバスを降りた。日本人のバックパッカーの一団は宿泊案内所の受付に行き、バックパッカーズの宿泊の手配をしている。
モンキーマイアの宿泊先は概ね二か所に分かれていた。一つはバカンスを楽しもうとしているカップルや家族連れなどを相手にしている宿泊施設。もう一つはお金を節約しながら旅をしているバックパッカーを相手にしている宿泊施設。僕はまぎれもなく後者だった。僕も受付に行ってバックパッカーズの宿泊の手続きを済ました。
バックパッカーズはドミトリーの宿泊施設である。つまり見知らぬ人と同じ部屋を共有する。僕は大学でユースホステルクラブに所属していた。全く見知らぬ人と相部屋になったことはあるが一人でドミトリーに泊まったのは初めてのことであった。
僕は勝手がわからないので同部屋になった日本人のバックパッカーの行動を真似した。まずはバックパックを降ろし、自分の寝るベッドを確保する。貴重品は身につけベッドで一息つく。各自各々時間を過ごす。僕はバックパッカーズで同部屋になった人とどう話しかけていいかもわからない有様だった。しばらくすると同部屋の何人かが順番に外に出た。僕も部屋にいてもしょうがないと思って、外に出た。
もう時刻は夕方だった。モンキーマイアはイルカの餌付けが出来るビーチである。波は穏やかだ。人々は思い思いにビーチでゆったりとした時間を過ごしていた。僕はビーチに座り、インド洋に沈む夕陽を一人眺めた。ゆったりとした気分になっていく。自分はようやく旅に出たんだとぼんやり考えたりもした。
夕陽が沈むと僕は部屋に戻った。日本から持ってきたCDを無性に聞きたくなったのだ。CDは長渕剛の昭和とJeepを持ってきていた。尾崎豊の回帰線を持ってきていた。ブルース・スプリングスティーンのライブアルバムを持ってきていた。僕はCDプレーヤーをバックパックから取り出そうとした。ところが見つからない。いくら探してみても見つからない。誰かに盗まれたのか。それともどこかに置き忘れたのか。
「すいません。バックパックに入れていたCDプレーヤーが見つからないんだけど誰か見かけていないですか?」
「いや。見かけていないよ。お前。本当か?それどんなやつ。」
「バックパッカーズではそういった話はよく聞くからな。」
各自思い思いに過ごしていた雰囲気はがらりと変わった。僕は焦りだした。
「もう一回探してみます。」
僕はバックパックを引っ掻き回した。きっとあるはずだ。僕は願った。するとシャツの間にCDプレーヤーがある。僕はCDプレーヤーを盗まれないようにシャツを丸めしまいこんでいた。そのことを完全に忘れていた。
「すいません。CDプレーヤーありました。」
「人騒がせな奴だなぁ。まあ何事もなくて良かった。」
同部屋のバックパッカーもみんなで彼の意見に同調する。ここに泥棒がいるかもしれないという疑惑からここには泥棒はいないに変わったのだ。僕らはこれをきっかけにお互いに打ち解けだした。
同部屋になった日本人のバックパッカーはみんなワーキングホリデーのヴィザでオーストラリアに来ていた。みんなそれぞれにオーストラリアのワーキングホリデーを楽しんでいた。僕は初めて日本で描いていた生のワーキングホリデーの体験談を聞いた。
オーストラリアの旅の話。英語の話。仕事の話。オーストラリアで苦労した話。オーストラリアで差別を受けた話。
僕の話の番になった。僕は説明した。一ケ月前にオーストラリアのパースに来て語学学校に通ったこと。まだ先の予定は決めていないこと。これからダーウィンに行っていずれは東海岸に行って仕事と住まいを探すつもりだと話した。
「ワーホリ始めたばかりか。まだお前には時間は十分にあるんだな。もう俺はあと二ヶ月しかオーストラリアにはいられない。本当はもっとあちこち旅して回りたかった。この旅が終わったら日本に帰国する。そう思うとさみしいよ。」
「俺もオーストラリアのラウンドが終わったら日本に帰国する。会社辞めてオーストラリアに来て良かったよ。やっぱり日本を出て初めて分かったことっていっぱいあるよ。」
「ところでお前。オーストラリアにいくら持ってきた?」
僕は答えた。
「一万五千ドルくらい。オーストラリアドルが安い時に口座作ったから。」
「いい時に来たな。俺が来たときはオーストラリアドルが八十円超えていたよ。じゃあ。節約していけば働かないでずっと旅していけるかもな。」
僕は初めてバックパッカーの学校の扉を叩いたのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?