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50歳になった

とうとう私も50歳になった。いざ50歳になってみると実感はない。ただ年はとったなぁと思う。20歳から30歳にかけて、オーストラリアにワーホリに行き、大学を卒業し、会社に就職した。そして統合失調症を発症。入院し、デイケア、福祉施設に通う。20代の後半は統合失調症の陰性症状でひきこもりの毎日でした。会社の同僚のMさんと病院のケースワーカーのことが大好きだったなぁ。

30歳から40歳にかけて、統合失調症の症状も安定してきて、パートタイムで週5日、人材派遣会社に働くようになった。テニススクールに通い出した時期も同時期だった。リーマンショックで職を失ったり、東日本大震災でショックを受けたけれど、なんとか体調を崩さず、乗り切ってきたような気がする。でも、この時期が一番さみしかったかもしれない。友人が仕事をし、結婚をし、家庭を持つようになって、若い独身の頃のように、
「明日、暇?遊ぼうぜ。」
ができなくなった。
自分も出会いがないかと探してみたけれど、自信がなかったなぁ。統合失調症の障害持ちで、非正規雇用で、自由に使えるお金も余裕がなかった。そんな時代。休日になると、ライブ観戦に行ったり、競馬をしたり、映画館に行き、読書をしたりして一人楽しめることをして、その時代をやり過ごした。

40歳から50歳にかけて、統合失調症の症状は安定してきた。仕事もずっと続いている。以前より僕は体調的にも金銭的ゆとりもが出てきたので、好きだった旅を再開するようになった。海外だと、ベトナム、韓国、バリ島。日本だと京都、大阪、伊勢、名古屋、広島、長野と旅するようになった。学生時代の友人と富士登山もしたりした。コロナウィルス禍の時は人と会う機会が減って、つまららなかったけれど、全体から見ると、わりと楽しい10年だった。

50歳になってみると、これからの自分は何ができるだろうかと思う。先日友人と会って、話していたんだけど、自分たちはロールモデルがいないから、その歳、その時、その場になってみないとわからないという。そうだよなと思う。僕だったら、それに加え、5現主義を加える。現場、現実、現物、原理、原則。QC手法の経営理念と同じだけど、僕はそれほど頭も良くないし、そうやって物事を考えていくんだろうなと思う。

私的な面だと、すこしさみしいなと思う反面、今さら出会いを求めて誰かとつきあうのも面倒くさいかなと思う。気が合う人がいれば、楽しいなぁと思うこともある。ずっと一人だったし、さみしい面も、失敗したなと思う面もあるけれど、責任もなかったし、自由だった。僕の場合、独身だったけれど、周囲に人がいたし、自分の年齢と共にみな年をとってきたから、戦友はいる。好きも嫌いもへったくれもない。ずっと一緒に年をとってきたのだから。

50代はまだ体が動くうちに、できることをやってみたい。旅やテニス。登山。前を向ける気力がある限り、まだまだやってみたいことがあるのだ。


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