二十歳のころ 第六十一章

僕はユースホステルに滞在しながらフラット探しを続けた。しかし結果は駄目であった。ユースホステルで親しくなったワーホリも日が経つにつれてシドニーを離れていく。
僕は日本に帰ろうかなと思い始めた。オーストラリアに来て半年が経過した。今、日本に帰国しても誰も僕を笑わないだろう。僕は語学学校を経験した。ホームステイも経験した。オーストラリアの旅もした。航海の経験もした。ニュージーランドでヘリスキーもした。何のつてもなしに一人でここまでやってきた。十分じゃないか。
でも同時にこうも考えていた。自分の出来るところまでワーキングホリデーをやってみよう。最後の最後までオーストラリアのワーキングホリデーを経験しよう。
最終的に僕は旅を続けることにした。何はともあれとにかくパースまで行ってみよう。パースまで行ってどうしようもなかったらその時に帰国すればいい。
僕はグレイハウンドのオフィスに行き、メルボルン行きのチケットを買った。シドニーを離れるのだ。僕はユースホステルで知り合ったワーホリに別れを告げ、メルボルンに向かった。
メルボルンに着き、僕はバックパッカーズで一泊した。僕はいつものようにバックパッカーズでメルボルンの情報を仕入れる。翌日にグレートオーシャンロード経由アデレード行きのツアーが出るという。僕はそのツアーに参加することにした。オーストラリア第二の都市メルボルンに滞在する未練はなかった。僕は旅を終えたいのだ。
アデレード行きのツアーは地点から地点に移動する二泊三日のツアーであった。男女半数ずつの十人くらいの構成である。ツアーガイドは皆と仲良く旅をしていきましょうと挨拶をした。
僕らは初日にグレートオーシャンロードを訪れた。夕暮れの時間帯、僕らはグレートオーシャンロードを観光した。絶壁に打ち寄せる波の音。海は黄金色に光る。僕はグレートオーシャンロードの絶景にしばし心奪われた。僕はシドニーで旅を諦めないで続けて良かったと心底思った。そして同時にもう旅は終わりだなと僕は確信した。
僕らはバックパッカーズに宿泊しながらアデレードに着いた。特に心に残る深い交流はなかった。というのもツアーの最中、欧米から来た女性の旅行者の一人が宣言をした。
「私、ツアーで親しくなろうと思っていないの。だから構わないで。」
女性陣は彼女の意見に賛成した。今まで僕はツアーを男女仲良くしながら時を過ごすものだと思っていた。しかし知り合ったばかりの彼女にそこまで言われると、僕ら男性陣は女性陣に対して親しくなろうとは思わなかった。考えてみればたかが二三日の観光ツアーで常識を持った男女が親しくなるなんてありえない。彼氏や彼女がいるかもしれない。誰もがアバンチュールを望んでいるわけではないのだ。男は男同士、女は女同士、カップルはカップル同士でそれぞれ旅を楽しんだ。ツアーというものは本来そういうものなのかもしれない。つまり彼女は先に宣言することにより余計な気を使わないで欲しいと願いを込めたのかもしれない。何はともあれ僕はアデレードに着いた。
アデレードのバックパッカーズに十日間ほど滞在した。何故それだけ日数がかかってしまったのか。僕はアデレードからパース間をバスではなく、インディアンパシフィック号という特急電車で横断したかった。僕は駅に行き、駅員に空席を尋ねると十日間先まで空きがないと説明された。僕の旅は急ぐ旅ではない。僕は十日先でも構わないと了承をした。
アデレードは僕にとって居心地がいい都市であった。バックパッカーズの宿泊料金も安い。物価も安い。アジア料理を主体としたフードコーナーもある。極めつけはカジノがある。長期滞在するには事欠かない都市であった。僕は最後の旅の滞在をのんびりと過ごした。

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