コロナウィルス禍と共に統合失調症

2020年1月私は中学時代の友人3人と新宿で新年会を楽しんでいた。まさか翌月にはコロナウィルスに怯えながら生活を送らなくてはいけないとは私たちは考えもしなかった。中国で発生したコロナウィルスとはどんなものか誰もが正確なことは知りもしなかった。私は吞気なものでコロナウィルスは私の生活圏には縁のないものだとまだ高をくくっていた。

しかしコロナウィルスは私たちの生活を一変させた。メディアは街に人がいない光景を報道し、コロナウィルスで連日有名人が亡くなったことを伝え、日本中を震撼させた。私はまだ関係のないものだと考えていたが、環境は変わった。

まず私が勤めている会社では状況がわかるまで、私の勤務は週2回に変わった。休業日は雇用調整助成金がでることになり、生活は維持できた。

4週に1回通院していた精神科の病院は医者と相談して8週に1回に通院することに変更した。

私が利用している就労生活支援センターでは利用者が集まる月一回のミーティングをリアルではなく、パソコンやスマートフォンを使用したオンラインに切り替えた。

あまり変わらなかったのは私が週に1回通っているテニススクールのレッスンだった。テニスは人と人の距離が十分に取れているスポーツで、会話を控えれば問題ないだろうというテニススクールの判断だった。テニススクールのレッスンが休講にならないで済んだことは私には有り難かった。息が詰まりそうな生活にテニスをやることでどれほど気分転換ができたことかと私は思う。

コロナウィルス禍の独特の緊張を強いられ私は日常を過ごしていく。会社では職員同士の会食を禁じられ、業務を淡々とこなしながら日々を過ごした。出社すると体温を測り、発熱がある日は会社を休んだ。事業所内でクラスターを起こさないようにするための施策だった。事業所でクラスターが起きれば事業所は機能しなくなり、取引先はもとより、従業員に多大なる迷惑をかけてしまう。それは絶対避けねばならないことだった。2020年7月に私の勤務は平日週5回に戻るようになる。平日仕事をし、休日にテニスをし、競馬を自宅で楽しむという暮らしを私は続けた。

2020年10月に中学の友人と日程を合わせ、GO TO TRAVRLを利用し、2泊3日の京都旅行に行く。コロナウィルス禍前に京都を旅した時と比べると観光客は激減していた。それなりに観光客はいるのだが外国人観光客はほとんど見かけなかった。観光客相手の店も閉店していることも多々あった。

私の趣味の一つとしてライブ観戦がある。長渕剛さん、浜田省吾さん、熊木杏里さん、藤原さくらさんのライブを定期的に参加していたがコロナウィルス禍でライブが開催されない日々が続いた。2020年11月に熊木杏里さんのライブが日本橋三井ホールで催された。私は参加した。客席は間隔を開け、声援は禁じられ、拍手のみで応援するライブだった。その後、長渕剛さん、浜田省吾さん、藤原さくらさんのライブに参加する。ライブはやはり生で聴くもので、配信で聴くものではないと改めて私は思った。

私は2020年2021年と淡々と変化のない日々を過ごした。私が勤めている職場の近隣の飲食店の閉店をちらほら見かけるようになる。緊急事態宣言もあり、同僚とランチは一緒に食べるが、夜飲みに行くということはなかった。

2021年夏に東京オリンピックが催された。私はもっぱらテレビ観戦で主にサッカーと卓球を楽しんだ。オリンピックというお祭り雰囲気は全くなかったが選手達の活躍は私の励みになった。

2021年夏になると私はワクチン接種を受けるようになる。私は統合失調症という基礎疾患があり、一般の人より比較的早くワクチンを受けられたのだった。緊急事態宣言が開けると中学時代の友人と飲み会を楽しんだ。私の場合、友人と飲むのは年に数えるほどでコロナウィルス禍前には戻らなかった。

2022年に私は大阪と長野を旅した。新幹線に乗っても車両は満員ではなかった。観光地に立ち寄っても、混雑はほとんど見られなかた。

コロナウィルス禍は今現在でもまだ続いている。コロナウィルスは私たちの生活を変えてしまった。このままじゃまずいと私は危機感を抱いている。毎月のようにあった飲み会が全くなくなった。飲食店は減り、旅をしても街にあまり活気が見られない。経済はコロナウィルス禍に加え、ロシアとウクライナの戦争でインフレが世界中に起こり、物価が上がっている。私は統合失調症の当事者だが健常者、障害者にかかわらず、コロナウィルス禍の課題にみな直面している。

私はリアルな人との交流が減った。私は職場に出勤しているからまだ人と交流しているが自宅にいる人は人と交流することがかなり減ったのではないだろうか。マスコミの報道やインターネットの心ない人の書き込みの情報で不安を煽られていないだろうか。最近は物価が上がり、日本銀行の生活意識アンケートでも書かれているように給与が上がらない状況で今後今までのように暮らしていけるのかと生活に不安を感じている人も少なくないのではないか。ましてや障害年金のみで暮らしている障害者の生活の不安は大きいものだろう。コロナウィルス禍前の私たちの生活は本当に豊かだったのだろうか。今現在のコロナウィルス禍の暮らしが日本の社会問題を炙り出しているのではないだろうか。

誰だって自分達の暮らしは守りたい。自分達の暮らしの基盤があってこそ困っている人に手を差し伸べることができると私は思う。あとは現実問題を肌で実感した時、私は何かしようと考える。東日本大震災の時、多くの人が何か人のためにと行動をした。ただ善意だけでは物事は進まない。

私は何か仕組みを考えることができるわけでもない。自分の暮らしを維持して守っていくだけで精一杯である。あえて言えば東京都の地域で暮らす障害者の一人としてこんなことを考えながら日々過ごしていると伝えることだけである。

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