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学校教育は教育ではなく奴隷への洗脳 (NO.4)

キリスト教は「異教は悪魔の教えである」として凄惨な殺し方をするほど神は悦ぶとされました。」


GHQ戦後教育はキリスト教

キリスト教をキチンと学ばないと、学校教育問題の本当のヤバさの問題は理解できません。キリスト教が奴隷と気づかない奴隷支配の最強・最高の基本です。他は模倣しているだけです。

難易度上がると思いますがお付き合い下さい、まずは読んで下さい。m(_ _)m

南アメリカでは、先住民を征服し、厳しいカトリック主義の下で生活させました。
「イエズス会は彼らを監視しています・・・彼らは小さなミスを罰する・・むち打、断食、牢獄、広場の略奪品、教会での公の懺悔、これらは彼らが使う罰である。」「犯人は懺悔者の服を着て教会に護送され、自分の過ちを告白しました。その後、彼は刑法に従って公共広場で鞭打たれた・・・犯人はいつもこの刑罰を受けていましたが、つぶやくだけではなく、感謝の気持も込めて・・・罪を犯した者は、罰を受けて和解したので、彼を殴った者の手に口づけをして、こういった。「この軽い罰によって、私を脅した永遠の苦しみから私を開放してくれた貴方に、神の祝福がありますように」。


米空軍、核ミサイル発射担当将校にキリスト教で聖戦教育/朝日新聞

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WEB記事は消され、新聞は手に入らないがここに朝日新聞社記者のツィートが残っています。リンク https://togetter.com/li/170397

アメリカ米空軍が有事の核ミサイル発射を担う将校向けの訓練の一環として、キリスト教の「聖戦」論を20年以上にわたり講義してきたことがわかった。「憲法の政教分離原則に違反する」との指摘を受け、今年7月末に突然、取りやめていた。

 ◉2発の原爆による死亡者数は、2019年8月時点で、広島31万9186名、長崎18万2601人の合計50万1787人。

◉カトリック神父ジョージ・ザブレッカは、原爆投下の成功を祈って、プロテスタントの牧師2名と一緒に手を振り見送りました。

◉チャールズ・W・スウィーニーは、カトリック教徒でした。1945年8月9日、長崎市にプルトニウム型原子爆弾ファットマンを投下したB-29爆撃機「ボックスカー」の機長で、当時大佐であった。
http://www.kamesan.jp/deta80.htm

◉原爆を投下した爆撃機エノラゲイの機長はカトリック信徒。自分の良心ではなく、上からの命令で行動した。また、これは機長個人のことではなく、当時のカトリックでは、個人の良心よりも疑いを持たずに従うことが重要だと教えていた。(今もだ)http://tomabechi.jp/archives/50868404.html


キリスト教は善悪の概念が「人類」と180度違う。

キリスト教では、イエスを神と受け入れるものが善人で、それを拒絶した異教徒(違う宗教、または無宗教の人)はキリスト教の神の怒りを受けて裁かれるべき罪人です。キリスト教では、信者は善人であり、未信者は罪人・悪人ということになります。

ローマ5:6-11)御子を信じない者、御子を救い主として受け入れない者は怒りの日に裁かれるのです。

●パウロ 主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、来てください・・。

キリスト教は、旧約聖書の神の人類の虐殺命令を実行するための宗教です。

キリスト教は二枚舌の宗教。

平和の時代には「隣人愛を語り」殺戮が必要な状態になれば「神の殺戮命令」が生き返ってきます。

平和の時代の「隣人愛」は新約聖書の方です、「神の殺戮命令」が旧約聖書で、「人類への騙し・詐欺」が新約聖書になります。※これは後ほど別記事で説明します。


和尚ラジニーシの「反逆のスピリット」 引用抜粋

非常にキリスト教、一神教、従順・服従の危険性が分かりやすい説法なので読んで下さい。

原子爆弾を広島と長崎に落とした男は、自分が何をしているのか、ただの一瞬でも考えなかった。彼の頭は完全に洗脳され、まったく機会的だ。彼は命令されて来ている。彼は従っているのだ。服従はもっとも重要な掟だ。軍隊においてでばかりでなく、教会においても、政治家の世界においてだけでなく、聖職者の世界においても。

服従ーーただ従うーーそして彼は従った。ほんの少しでも知性と「個性」を持っている人間なら、少なくても2度は考えただろう。自分は何をしようとしているのか? と。10万人の人々が3分以内に殺されることになるのだ。だが、彼は原子爆弾を2つの都市に落とした。20万人の人々。

彼は軍隊に戻り、翌日「休めましたか?」とたずねられて、こう言った。「どうして?私は命令に従ったんだ。よく休んださ。私は従順な人間なんだ」

服従は奴隷の世界では最高の価値がある。どの教育システムも、どの社会、文化、文明も、服従を価値あることとして主張してきた。そして私はあなたがたにいうが、人類を不幸にしてしまったのはこの服従なのだ。この危機の全体は服従ゆえのものだ。人々は何に服従し、何に服従しないかを選ぶことが出来るように、知性的でいる用意が出来ているべきだ。


アダムとイヴと蛇

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人間は知識の樹の実を食べてしまった。彼は知恵の源泉で酔っ払ってしまった。宗教は彼がその力を使うのを防げようとしている。彼らはアダムとイブを防げた、その同じ神からの使者なのだ。これらの使者が人間を無知なままにとどまらせた。あらゆる人間を無知なままにとどまらせた。なせだろう?
 なぜなら、人間が無知であれば、彼らを簡単に奴隷にできるからだ。

彼らは自分の知性に反しないために、神にさえ逆らうという度胸(ガッツ)を持っていた。それはもっと賢くなろうとする知性的な努力だった。

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