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歴代天皇が学んだ古代中国の『帝王学』商鞅の『商君書』

13817文字
聖徳太子は商鞅の『商君書』に学んでいる、聖徳太子の先生だね!(^_^;)

今回のnoteで分かること。

  • 学校教育の謎。

  • 日本が、明治から終戦まで戦争ばかりしてきた理由。

  • 日本の中世の奴隷統治の謎。

  • 核家族化の陰謀。

  • 安倍自民の暴走の謎。

  • 今世界で起きている経済構造の改革の中身。

  • 紀元前3世紀の奏国の悲惨な歴史は、日本の歴史とまんま同じ!

  • 歴代天皇は商鞅の『商君書』学んで使いこなしている!(^_^;)


本編を読む前に、「奸民」の珍しい漢字、「奸」の意味を覚えて欲しい。

奸=各翻訳ソフトのようにと翻訳すればスッキリするのだが。悪と言う文字があるのに、を使っているので、悪の意味とは微妙に含みが違う。「よこしま」なのだ。

「奸民」(^_^;)

奸民=よこしまな人民。
奸民正しい道に従わない人民。わるだくみをする人民。
奸民(中国)=法を乱して正業(まっとうな仕事)を禁じられている人。
奸=悪い。悪人。道理に反した行いをする。
奸=正道を犯す。邪悪な人。

よこしま漢字で表すと、「」もしくは「横しま
意味は、「道理にかなっていないこと、正しくないこと」。 単に正しくないということではなく、「道理から外れている、不正である」というニュアンス。
元々「よこしま」は「横を向いていること、横にそれていること」を意味していた。転じて、「心の向きが変わってしまうこと、正しくない方向に向くこと」という意味で「よこしま」。
「邪」は元々「道理から外れている」という意味を表しています。「邪」が「よこしま」と繋がり、「邪」一文字で「よこしま」と読むようになった。

⭕️なので翻訳は、悪ではなく奸(よこしま)の民とした。


商鞅と『商君書』が中国古代社会の進歩に与える負の影響について

論商鞅與《商君書》對中國古代社會進步的負面影響原文網址

はじめに

戦国中期、秦国は商鞅変法を施行して徐々に強大になり、商鞅法家の法派理論を尊崇して高度に集権した統一国家を樹立したが、商鞅とその著作——《商君書》の治国理論は後世社会の発展と文化繁栄に深刻な阻害とマイナス影響を与えた。国家と民がある程度対立関係を形成し、調和のとれない社会的葛藤と影響力の深刻な劣悪な治国管理方針が中国古代社会の多くの矛盾の根源だった。

商鞅 像

周知のように、戦国中期、秦国孝公は在位中に法家勢術法三派の法派代表者商鞅を起用して変法改革を実行し、国力が一統海内を高めた後に中国初の大一統の王朝を設立し、系統的な政治体制を設立して核心的な治国方略を確立し、中国封建社会の序幕を開いた、また、歴代の封建政権が採用した核心的な治国理論は商鞅の思想と著作『商君書』に由来し、後世の政権の運用方式は異なるが、その根本は改まらなかったが、この理論体系は中国の二千年余りの封建社会に計り知れないマイナス影響を与え、社会文化と民族進歩の歩みを深刻に阻害した。

以下は商鞅及び商君書の理論がなぜこのように悪影響を与えたのかについて論述し、読者にかつての中国の歴史にどのような理論があったのかを理解させ、ある人は国家と国民の関係をこのように提唱し、実際の古代専制政治の中で何度も運用されてきた。


一 「一民理論」(One People/ワンピープル理論)

いわゆる「一民/one people」「一/one」は、ここでは動詞、つまり統一の、唯一の意味として使われており、国の中には「民」、つまり「耕戦の民」(耕し戦争)1種類しか存在せず、この種の人々を除いて、他のすべての人は、彼らを追い詰めて生き残ることが出来ないようにすることによって、いわゆる「耕作戦の民」に道を変えなければなりません。もしこの種の人にならなければ、彼を待つのは罰と制裁だ。

簡単に言えば、国は「民」、つまり「耕戦の民」。すなわち「生産機械」「戦争機械」の一種類だけある。したがって、商君書の理論、さらには法家の理論も、絶対君主と独裁階級の観点に立って考えている。さらにでたらめな国と民の関係が形成された国は人民に奉仕するのではなく、逆に人民は無条件(の愛でw)に国家に奉仕しなければならない。もし人民がそれを出来なければ、待っているのは厳しい懲罰となる。そして国民がすべきことはただ一つ、農業と戦争だ。現在から見れば、少しでも基本的な論理的思考力のある人はこの理論の残酷性を意識することができる。

人は人によって異なり、誰もが異なる追求を持つが、商君書の理論はすべての人民を同じ生存様式に縛り付けなければならない。国はすべての国民が自分の趣味と才能を十分に発展させ、このような国が国民に幸福をもたらすことができるようにしなければならない、このような国こそ道徳の基礎がある、しかし、商鞅の見方は正反対だ。

商鞅はかつて「聖人の国のためにも、一賞 一刑 一教」(『商君書賞刑』)を提案したが、ここの聖人は儒家が言う聖人とは異なる。ここで言う聖人とは君主を指し、商鞅は次のように指摘した。

国君が国を治めるには、賞と罰の統一と教化が必要で、賞罰の根拠は同じ教民の理論で同じで、パッと見はいい理論だが、具体的な実行の中では確かに残念で悲しい方法で、簡単に言えば、あなたは国のために多くの食糧を生産し、戦場でより多くの敵を殺してこそ賜物(報酬)を得ることができる。これは、耕戦(耕し戦争)の民の理論に合致している、賜物の意味は、ある一種類の民の行為に対する報償であり、それは耕戦の民であるということである。

「一教」はハッキリ言って愚民政策であり、真の愚民政策は人に教育を受けさせないのではなく、1つの教育だけを受けさせ、専制政府の教育だけを受けて専制君主の思想だけを受けさせ、1つの思想、1つの観点で民衆を教育し、その他のすべての思想は根絶されなければならない。これが「一教」が示す愚民の理論である。

さらに商鞅は「一民」政策に対して具体的な方法を提案し、「使う民が国に入れば農業に従事し、使う民が国を出れば戦争に従事する。民は農にあり、弄(虐め)れば朴(素直)になり、素直で安住して悪が出る。」(《商君書 算地》)

翻訳すると「内部では畑を作ることしかできず、外部では戦争しかできず、畑を作ることしかできない人は自分の分を守るようになり、壊す事を思い意図する事ができない」となるが、ここの「農すなわち朴」の「朴」の字は実際には愚昧(愚か者・愚鈍で、このような民衆を統治する方法は、国民に思想も視野もなくなり、思想も視野もない人は耕作と戦いしかできない。いわゆる「安住して悪が出」、この種の己の分を守る生存状態にすることができる。

朴=素直木訥(ぼくとつ)日本政府のプロパガンダサイトリンク

商君書の「一民」政策における「一民」の方針は、「民の欲するところは万、利の出る所は一」である(『商君書説民』)

この言葉の意味は、「国民にはいろいろな欲望があるが、国はそのすべての欲望を一つの道から実現させるべきだ。
それは耕作と戦争か、それとも農業と戦争か、言い換えれば、国民が自分の欲望を実現するためには、ただ一つの方法は愚直に「耕戦の民」を実行することだ。全国の国民は欲望を叶えようとして「耕戦の民」を行い、商鞅的のいわゆる「一民」政策を実現した。このような一民方式について商鞅は「一つの穴の者は利が出る、その国は無敵」と総括した。

(《商君書 勒令(くつわで抑える令)》)つまり、国はすべての社会資源をすべて制御し、統一し、1つのルート、1つの方法でのみで発揮することを許さず、国が絶対的な社会資源制御能力を持っていれば、この国家は強大になるだろう。

また、一見完璧に見える理論ですが、今日の言葉で言えば、国を治めるには二つの目標があり、第一は国家が強く盛んなこと、第二は人民が裕福で幸福であり、人民の裕福は重要な目標であり、その上での国家の強さこそ真の意味での長期的な強さである。しかし国家が、ただ国家の強大さを唯一の目標としている、それでは人民のこの国の中での生活は裕福ではなく、幸福感もありません。

それに比べて、儒家の治国の考え方は確かに国を豊かで安らかな国にしたいと思っている、孔孟。
老荘などの学派は戦争に明確に反対しているが、対する法派の商鞅と比べると正反対である。人民が国家の中で豊かで幸せであるかどうかは商鞅によって完全に度外視されており、人民の幸せで富裕であることは国家の目標ではなく、国家の目標はただ一つである、すなわち「強大で攻めることが出来る」という国家の目標を、商鞅は絶対化し唯一化する。

法家と商鞅の政治理論の中で国民の安否はその考慮範囲外であり、孟子「民貴君軽(民は王よりも重要である)」の政治理論とは対照的である。

つまり、商鞅一民政策は、国民を国家の強大さと専制の機械と推進力に変え、専制君主と専制支配階級のために完全に考え、しかも国民の自由人格を大量に殺し、社会全体に個性的な発展空間がなく、人格思想の自由解放の可能性がなく、民族と社会文化の進歩に対して深遠な阻害を与えた。


二 「勝民」理論

「勝民理論(民に勝つ理論)」は、すなわち「制民理論」であり、勝は戦勝の意味、制は制約の意味、簡単に言えば人民を制服することである。しかし、個人としての人間には、常に独立した個人の意志があり、それを完全に国家の意思に沿って行動させるには、それを迫るための手段が必要である。監獄、耕作戦、賞罰を含む。

商鞅は「一民」理論を提出した後、自然に「勝民理論」を提出した。勝民とは政府と国家が人民に勝利し、人民を圧服することである。(圧服=強制的に威圧し屈服、服従させる
政府と国民が対立している国の社会的・文化的進歩がどれほど遅く、デコボコであるかを想像してみてください。

商鞅は国家と人民を良いものにすることはシーソーの板であり、商鞅は、国家が強大に上昇すれば人民は貧弱でなければならず、人民が豊かになれば国家は必ず衰弱するので、国家の強大さのために、人民は必ず抑圧されなければならないと考えている。商鞅は国家と人民を一つのシーソーの板とたとえ、商陽は、国家が強大になるには民衆が弱くなければならず、民衆が豊かになって強くなれば、国家は必ず弱くなると考えていた。

そのため、商鞅は「民弱なら国強、国強なら民弱、故に道のある国務は民弱にある」と提案したことがある。(《商君書 弱民》)
この理論は、私たちが今日提案した「国富民強」の観点とは大きく相反しており、このような観点は実に理論の根拠が見つからないが、専制階級による国家統治の綱領となっている。

◉ワシは理論の根拠が分かる・・・キッシンジャーが商君書を読んで、「 全く正しい!」と舌を巻いた話を何処かで読んだことがある!(;´Д`A

簡単に言えば「勝民」「制民」は弱民を必要とし、多くの人が知っている古代の愚民政策は、弱民の一つの方法であり、愚民政策は封建社会全体を貫き、愚民政策が存在する限り弱民政策は存在し、弱民政策が存在する限り商鞅の思想理論は存在し、商鞅の理論が中国の歴史に深刻な悪影響を及ぼしていることがわかります。同様に「勝民」理論は国家と人民を鋭く対立させた。

「勝民」「制民」の大政策の下で、商鞅は具体的な実施形態を提案した。すなわち、「制民五法」の具体的な内容は以下の通りである。

1「弱を以て強を替え、奸を以て良を駆る」
2「一教政策と一民理論を結合し愚民弱民を実施し、制民効果を達成する」
3「個人の資産
剥奪造成、無財産で定まった正しい心が無い社会」
4 「辱民 貧民」 (民を辱める、民は貧しく)
5「殺力--強敵を外で殺し、強民を内で殺す」

ここで重点的に論述する第一点は、まず先に、弱もって強に替え、奸(悪)をもって良を追い払う方針が、中国の専制社会の最も暗い面をもたらし、体格がたくましく思想が先進的な国民は、商鞅の目の中では強民すべて、必ず抑圧する対象であり、それから商鞅は『強を去るには強者もっては弱、弱をもって強者を去るが強』を提出した。

(《商君書 強を去る》)この理論は、これは非常に邪悪で卑劣で卑しい理論であり、商鞅にとって非常に重要な政治的格言でもある。

この言葉の意味は、一部の「強民」で他の「強民」消滅させる国家は強くないが、「弱民」を利用して「強民」を弱めると、国家は強大になるということです。前述したように商鞅の理論は、民が強い国は弱いので、弱い民を利用して強い民を制圧すること、つまり弱さを強に替える。

そして、「奸(悪・よこしま)をもって良を駆る」という説法はもっと不思議で、さらに考えられないほど暗いものです。商鞅は提出した「国は善民で奸民を治める者は、必ず乱で、削られ終わる。国は奸民(悪民)で善民を治める者は、必ず治め、必ず強くなる。」

(《商君書 強を去る》)商鞅は、国家は奸人によって管理されなければ強くならないと考えている。このような不条理の理論なのに、同様に専制統治者の認可と実施を得た。ひいては中国封建社会の庶民が常に清官(心が清く私利私欲のない公平な役人)の出現を待ち望んでいることを見ると、それは悲しみと言わざるを得ない。

奸民と奸臣が道を為し、善民が悲しむ、これはとても古代社会の真実の描写で、今日に置いてこれは典型的な暴力団で、しかも対抗できない暴力団である。

清朝末期の思想解放の先駆者である龔自珍は、非常に深い文章を残した。「當比の世も、優れた人や優れた民が出て、そして百の才能ない督に縛られ、虐殺に至る。」(《乙丙之際著議第九》)見張って取り締まる。[難読]基督(キリスト)

今の世の中、才能のある士人や庶民が現れたら、彼らの周りには何百人もの才能のない奸邪(よこしまでねじ曲がった)人が彼を監視し、そのため最後に才能のある華の人すべてが縛られ、殺される。
このような局面の発生は確かに商鞅の理論によって直接現れ、先秦から清末まで2千年余りを貫き、このすべての暗黒現象は商鞅の不条理な政治的観に由来している。

商鞅は孝公にこう言った「昔の天下を制する者は、必ず先に民を制するなり、敵に勝つ者は、必ず先に民を制すなり。ゆえ民衆に勝つことの本質は、民を制すること。」(《商君書 弱民》)

こうした視点が、天下統一を目指す秦の歷代の支配者、さらには後世の王朝の支配者にまで、商鞅の思想、すなわち人民と国家を対立させる思想、国家に民を服従させる政策を貫徹させ、不動のものとさせた。そして、このような一つの観点が、天下を統一しようとした歴代秦君、さらには後世の各朝の統治者も商鞅の思想を揺るぎなく貫徹し、このような国家に国民を圧服させる令を実施している。

「勝民」理論は人民を圧服することにあり、このような思想理論は国家政府と社会国民の関係を深刻に歪曲しており、中国古代社会の大きな害毒である。


三: 虐政 重刑理論

虐政 =人民をしいたげ苦しめる酷い政治

前述で述べた「一民論」「勝民論」、これらの理論を実行する方法は、政令と法律でしか実行できない。商鞅の政令と刑に対する態度は、国民に対するその理論にかかっている。「一民」「勝民」の政治方針を実現するためには、厳しい刑罰と厳しい法を実行してこそ、国民に対する強いコントロール力を達成することができる。そのため、商鞅の刑法に対する見方は、
「重い刑で軽い賞、すなわち上は民を愛し、民は死ぬ。重い賞で軽い罰、すなわち上は民を愛さず、民は死なず。」(『商君書去強(強者を去る)』)

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