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靖国神社は招魂神社:招魂とは「魂を招く」魂を呼び出す」中国の考察資料 その1

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はじめに

日本の靖国神社は招魂神社ダ〜〜の、招魂の術の情報は怪しいと思い、一からすらべ直したいので、まずは本場の中国の情報を翻訳した。考察の答えまではまだ、まずは中国の居情報を出し、次は日本の情報と合わせてまとめていく予定。兵隊の魂を招魂しているのは確かだが、本来の神道と違う〜
などというアレ。
神道が戦争を起こした張本人、天皇が国民に与えた宗教であり超〜邪悪だと気づいていない人たちの考察だけが世の中を回っている。


1.日本の陰陽道

平安時代の中頃から貴族社会に浸透した。初見は小記目録第8巻「御祭事付解除」の「永延二年十月十一日 招魂祭 時」という記述。「永延二年」は988年。人には「魂」というものがあると信じられ、熟睡したり悩み事に屈託したときには衰弱した肉体からその「魂」が遊離すると考えられていた。

屈託
ある一つのことばかりが気にかかって他のことが手につかないこと。くよくよすること。
疲れて飽きること。また、することもなく、退屈すること。

そのため、病気やお産などの際に身体から遊離した魂を屋根の上で衣を振るなどして招き戻す祭祀を行った。生者に対して行う祭祀であり、死者に対して行うことは禁止されていた。禁を破った者は罰せられた(『左経記』1025年8月23日条)。1025年8月の藤原嬉子の死去に際し陰陽師の中原恒盛は招魂祭を行い、祓を科せられそうになったという。

⭕️重要:招魂祭を行い、祓を科せられそうになった。

日本の(朝廷の!陰陽道では死者に対しては行わない点が中国の道教との大きな相違点である。これについては、平安時代前期より、陰陽寮の職掌が拡大して神祇官の職掌とも被るようになり、(天皇の犬の朝廷の役人の!)神祇官が扱う神道の死や穢れに対する忌避が陰陽道の世界にも入り込んだために、陰陽師が生死に関わる問題に関わる事が禁じられたと説明されている(例えば、病気の原因を怨霊や物の怪によるものだと占ったとしても、そこから先は僧侶の加持祈祷に任せるなど)=⭕️仏教の坊主は鎮魂だから!

ただし、これはいわゆる官人(朝廷の役人)の陰陽師に関する話で、民間における活動では陰陽師が物の怪を祓う事例もあるため、民間の陰陽師にまで徹底されていたのかは不明である(また、招魂祭は別としても11世紀後半には(朝廷の)貴族社会でも怨霊や物の怪の排除に陰陽師が関わるようになる)=(仏教坊主よりオカルト術の専門職だから出来るだろ)。

神道と道教は違うなんたら・・天皇・朝廷の術には道教、陰陽五行、中国に有るものは皆入っている。神道(かんらがらの道)に入っている。天皇の国の民、日本人は祓いと鎮魂が良いものだと洗脳されているのだ。

像は南無阿弥陀仏の空也、これで陰気が広がる。

天皇・朝廷は悪党だから恨み晴らそうと来る霊が大量に来る、だから、仏教も神道も鎮魂で祓い。


2.中国の百度百科から「招魂」

風俗儀式

他郷で客死した魂魄は帰り道が見つからないという。この魂は彼の死体のように異郷にとどまり、果てしない悲しみを受けるだろう。彼も線香の祭祀、食べ物の供養、経文の超越も楽しむことはできない。この孤独な魂は最も悲惨な餓鬼になり、永遠に異郷を回り、長く漂泊し、生まれ変わる希望はない。彼の家族が彼のために「招魂」して、彼を待ち望んでいる声を聞かせない限り、彼は声に沿って帰ってくることができない。死者の遺体の手配が整い次第、招魂式が行われる。

中国のテレビドラマ『貞観の治』 44話。
魏徴が亡くなった後、招魂式(古人の魂を招く)儀式の過程を復元したもの。

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