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戦時中の日本(とドイツ)の原爆開発について新たな事実が判明

5130文字
これの続きです。この記事のラスト当たりの、

>『事実としてあるのは、1945年5月、ドイツの潜水艦U-234が半トンの酸化ウランを積んでキールから日本に向けて出航したことである。』驚いちゃって。探したら情報あった。

日本の原爆実験成功はどの記事元の人も疑っているけど、コッチは本当と話しているね。ワシは機密解除されたという文章は読んでないので、確定は出来ず。ドイツなら原爆の燃料作れそうだね。

戦時中の日本(とドイツ)の原爆開発について新たな事実が判明

By リチャード・ベンキー1997年6月1日午前12時 (太平洋標準時)
AP通信
ニューメキシコ州ロスアラモス-

第二次世界大戦末期、捕獲されたナチスのUボートがニューハンプシャー州ポーツマスに到着したとき、アメリカ国民はその船の中に何が入っていたのか、その意味を知らされることはなかった。

ドイツの潜水艦は、原爆の原料である酸化ウラン1,200ポンドを積んで日本へ向かっていた。乗っていた日本人の将校2人は自決を許された。

その2ヵ月後、アメリカはニューメキシコ州の砂漠で、日本の2つの都市を消滅させる前段階となる原子爆弾を初めて爆発させた。

その原爆を作った人たちはもちろん、一般の人たちも知らないうちに、日本は独自の核兵器を作ろうと躍起になっていた。

その証拠の中には、アドルフ・ヒトラーが4月30日に自殺した直後の1945年5月19日に北大西洋で降伏したUボートに積まれていたウランもあった。

現在機密解除されている資料では、潜水艦のマニフェストを含め、日本軍向けの10個のケースに560kgの酸化ウランがあり、日本軍の将校2人が貨物に同行していたことが判明している。

「ドイツは崩壊していた。ドイツは崩壊寸前で、良質のウランをたくさん持っていた。誰かがそれを日本に持ち込もうという狂った考えを持ったんだ。」と、カリフォルニア大学「グローバル紛争研究所(Institute on Global Conflict)」の名誉所長で物理学者のハーバート・ヨーク(Herbert York)は言う。

「日本軍将校は、自殺する権利を与えられると主張した。」

ドイツのテレビ局Zeit-TVは、自殺して海に葬られた日本人将校を回想する乗組員のインタビューを放映しました。

酸化ウランはテネシー州オークリッジに運ばれ、アメリカの爆弾計画であるマンハッタン計画への供給を強化したと考えられている。

1945年8月6日に広島に原爆を投下したB-29、エノラ・ゲイ号で日本に向かっていたウランの一部がそこに到達した可能性がありましたが、その可能性はなかった、と米エネルギー省の記録員スキップ・ゴスリング(Skip Gosling)は述べている。しかし、8月9日に長崎に投下された原爆はウランではなくプルトニウムを使用していました。

日本が爆弾の製造に苦心していたことは、何十年も前から知られていた。日本がどこまで進んだのかは不明である。

また、ハリー・S・トルーマン大統領が日本への原爆投下を命じた際に、日本のプログラムを知っていたかどうかも不明である。マンハッタン計画の科学者の何人かはインタビューで、戦後まで日本の原爆計画について何も知らなかったと語っている。

「誰も知らなかったと思う」とヨークはサンディエゴで語った。「日本人が何かしているとは思っていなかった。私たちはドイツ人を心配していたんだ」。

日本の核開発について知っていれば、トルーマンの原爆投下決定に批判的な人々の考えも変わっただろうか?

ロスアラモス(Los Alamos)で30年間働いたエンジニアのスティーブ・ストッダード(Steve Stoddard)氏は、「もし明確な証拠があれば、原爆を使用した政府への批判を表明している人たちを、ある意味なだめるのに役立つと思う」と言う。

反核団体「ロスアラモス研究会」のグレッグ・メロ(Greg Mello)氏は反論する: "信じられないほど無関係だ"。

広島に投下された原爆は、約13万人の死傷者を出し、街の9割を平らにした。長崎の原爆は約7万5千人の死傷者を出した。

当時の軍部は、日本への侵攻は200万人の命を奪うと見積もっていた。

メロ(Mello)氏は、日本の原爆開発は決して脅威ではなかったと主張する。
しかし、

ワシ:ここから日本の原爆実験の話に変わる

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