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【映画所感】 ディア・エヴァン・ハンセン

諸般の事情により現在、無期限活動停止中の“すれ違いコント”の猛者、アンジャッシュ。彼らが思いつきそうなシチュエーションがそのまま高品質なミュージカルになったかのよう。

数々の賞に輝いたブロードウェイの傑作ミュージカル『ディア・エヴァン・ハンセン』。満を持しての映画化らしい。主演に迎えられたのが、ミュージカルの初代エヴァン役だったベン・プラットということだけでも、制作サイドの“やる気”を感じる。

普段あまりミュージカルを積極的に観ることをしているわけではないので、偉そうなことは言えない。しかしながら、スペイン語圏特有のアイデンティティやそのルーツに迫ったミュージカル映画『イン・ザ・ハイツ』は、今夏に観た映像作品の中でもズバ抜けて楽しいものだった。

ニューヨーク・マンハッタン近郊に暮らすドミニカ共和国やキューバ、プエルトリコからの移民たち。ラテンの陽気なリズムが、圧巻のダンスシーンに華を添え、珠玉の楽曲たちが物語を盛り上げる。これぞ王道。まさに理想のミュージカル映画。

アメリカの移民政策をテーマの大前提に掲げる『イン・ザ・ハイツ』に対して、本作『ディア・エヴァン・ハンセン』は、登場人物それぞれが内包している非常にミニマムでデリケートな悩みがテーマの中心にある。

『ディア・エヴァン・ハンセン』を観終えて、個人的には、ピクサー長編映画の中で異彩を放つ作品『インサイド・ヘッド』鑑賞時に近い感想を持った。

『インサイド・ヘッド』自体は、一人の少女の頭の中の様々な感情がキャラクター化され、実生活の場面場面での判断が脳内でどう処理され、問題解決に当たって感情たちがどう立ち回るのかがコミカルに描かれていた。

それに対応して現実世界では、孤独だった少女のこころの成長を真摯に提示してみせるといった離れ業。名作と呼ぶにふさわしいアニメーションだった。

『ディア・エヴァン・ハンセン』では、様々なコンプレックス、SNSを含む人間関係、家庭環境に起因する問題、直接的な悲劇など、現代社会が抱える病理が、主人公エヴァン・ハンセンを通して語られ(歌われ)、解決の糸口を探ろうと登場人物たちがもがく。

各々が抱える葛藤をミュージカルの娯楽性の中で癒やしていく手法は、さすがブロードウェイ仕込といった安定感で、最後まで飽きることはない。

自分の預かり知らぬところで、“セラピストに出された課題=自分宛ての手紙”が独り歩きするところから、物語は始まる。内気で友達もなく、ほとんどコミュ障の高校生エヴァン・ハンセンの運命は、思いがけず好転していくかに思えたが…。

あれよあれよと言う間に、好意を寄せていた女の子ともなんだか良い雰囲気に。我が世の春到来。2000年代初頭なら、2ちゃんねる伝説のスレッドとして『電車男』と並び称され、さしづめ『手紙男』として後々まで語られる存在になっていたかもしれない。

しかし、些細な嘘と良かれと思ってとった行動が綻びとなり、やがてSNSが無慈悲に傷口を広げていく。果たして、誤解は解け当事者たちに再び希望は訪れるのだろうか?

キョドりながらとつとつと語られるセリフにメロディーが被さり、朗々と歌い上げていくエヴァン・ハンセン。

演じたベン・プラットの風貌が鼻筋から目元にかけて、どことなく稀代のHR/HMシンガー、ロニー・ジェイムス・ディオ(Rainbow~Black Sabbath~Dio)を彷彿とさせることから、勝手に歌唱力にお墨付きを与えている自分がいた。こちらは見るからに自信なさげなロニーなのだが、その分親近感は半端ない。

居場所を求めながらも、本当の自分を隠し匿名の一人として生きているのは、エヴァン・ハンセンだけではない。成績優秀、生徒会活動を熱心に行い、いつも友人たちに囲まれているように見えた優等生のアラナ(アマンドラ・ステンバーグ)も例外ではなかった。

アラナがエヴァンに自分の秘密を打ち明けるシーンは、この映画のハイライトと言えるだろう。そこにはアメリカの若者を蝕む、こころの闇が垣間見て取れた。

ここまでを読み返してみて、なんと支離滅裂で散漫な『ディア・エヴァン・ハンセン』の感想だろうと、猛省することしきり。それでも、派手さや絢爛さとは無縁のこの作品に、今後のミュージカルの可能性を感じずにはいられない。

どうなのだろう? もし『ディア・エヴァン・ハンセン』がミュージカル映画ではなく、普通のセリフ劇の映像作品であったなら…。

良質の作品になったことは確かだろうが、観客を選ぶようなエンタメ要素薄めの地味な映画になっていたのではないだろうか。そんなことを考えながら鑑賞するのも一興だと思う。

ブロードウェイの懐の深さを知るには、最適の映画だ。お勧めする。


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