なぜ言語を覚えると不幸になるのか

おのおの自分の考えを検討してみるがいい。そうすれば、自分の考えがすべて過去と未来によって占められているのを見いだすであろう。われわれは、現在についてはほとんど考えない。そして、われわれは幸福になる準備ばかりいつまでもしているので、現に幸福になることなどできなくなるのも。いたしかたがないわけである。

パンセ

 フロイトが孫の観察をしている時、「FORT DA」と言いながら、糸巻を投げたり引っ張ったりしていた。フロイトの解釈的に、このFORT DAというのは不在の母親の代理であるらしい。FORT DAは「いない・いた」という意味で、母親の不在と復活の象徴だ。

 言語というのは「不在」である。「目の前」にあるもの以外を、自由自在に引っ張ってくることができる。「昨日友達と喧嘩をしてツラい」というのは「不在」である。「出来事」は既に死んでいるのに、「不在」という形式で復活させることができる。
 「僕はいつか死ぬだろう」は「不在」である。モノやコトの代理として「言葉」が存在するが、言葉を覚えるということは、上記のパンセの引用のように「現在」を忘れるということである。人間は「現在」していない。不在の海を漂っている。

 ライオン、ウルトラマン、セックス、葬式、赤色、アメリカ、梅干し、「今」存在しないものを、いくらでも想起することができる。できる、というより、言語を覚えた時から、「現在」は死んで「不在」に絡めとられて生きるしかない

勉強したいのでお願いします