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20200125 レンタルビデオショップ奮戦記

 これはそう、巨大なる桃を子宮代わりにしていたという珍妙奇天烈な誕生秘話を持つ正義の使者が、獰猛な三匹の道連れと共に、鬼をぼっかけ回しては痛めつけ、ぼっかけ回しては打ちのめして憂さを晴らしていた時代の話。あれ、怪奇なる桃を喰らった老鴛鴦が回春の効能を受けて若返り、再び情慾猛々しくえっちらおっちら子種拵えて生まれたんだっけか。
 何れにせよ、世の中には卦体な話があるようで。科学の進歩もまだまだのご様子。

 世相賑わすピーチボーイが悪党共を根絶やすべく南船北馬しては、簒奪品を掲げて凱旋パレードで賞賛を浴びている間、僕はレンタルビデオショップで東奔西走の奉公に精励し、恪勤していた。

 ほんの気持ち程度、更に時は遡上する。僕は掛け持ちのアルバイトを探していた。夕方以降の労働環境は整備されていた。しかし、僕はそれまでの閑日月をどうするでもなく、着の身着のまま風の吹くままにふらふらとして、ただそれを踏み躙っていた。そして、その大体を近所の喫茶店で煙草をふかしながら、週刊プレイボーイを始めとする各誌の袋綴じに人中をびろびろに伸ばして時を無駄にしていた。このような現代人非人的状況の打開をしなければという使命感に駆られた僕は、アルバイト情報誌を手に取る。
 簡素な言葉で業務内容が書かれただけの枠組みに目を奪われた。「楽しい職場です!」系の謳い文句は逆効果だ。「我々は、我々の仲間になれない人は要りませんよ!」と喧伝しているのに他ならない。やい、居酒屋。てめーのことだ。いつもお世話になっております。これからもよろしくお願い致します。
 件の掲載先へ電話を掛けてからはとんとん拍子。面接はないも同然だった。タブララサに限りなく近い履歴書を一瞥しただけで、「便宜上ね、合否は追って連絡しなきゃってなってるけど、合格ね」と、店舗長は僕へ告げた。「何も聞かねェよ。なァ、金……必要なんだろう?」というのに似たシーンを何かの映画で観た気がする。有触れているけれど。この太平洋より大きな器の男——いや、漢に僕はついて行かねばと心に誓った。
「いつでも大丈夫です! 寧ろ、明日から働けます!」
 と、僕は海賊のように声を荒らげ、立ち上がった。
「まぁ、座りなよ」
 と、店舗長は言った。
 そして、僕は”朝昼勤”という役職を受け持つに至る。

 それからの僕は自慢の明晰な頭脳を駆使すると、直ぐ様に業務を身につけ効率化を謀った。会計業務も慣れたものだ。高校生時に飲食店アルバイトで培ったレジスター捌きが役に立った。
 しかし、始めに抱いていた希望——僕の目論見とは多少のずれがあった。
「午前中のレンタルビデオショップなど暇に違いない! ぐうたらして金が貰えるのなら無上のことだろう」
 そう思い込んでいたのだけれど、そうは問屋が卸さない。思いの外に客足は多かった。そして、ぶっ飛んでヤバい奴もいた。
「そうだ、序でとばかりに社員優待を存分に使って映画も観てやろう。どれどれ、真っピンクのド助平文化遺産も好き放題だ、ぐへへ……」
 とも考えていたけれど、それは僕の人間性を貶めることになり得るために言及は避けさせていただく。
 僕は純朴無垢なイノセント青年である。ご理解いただきたい。

 僕の働いていた店舗は、県内をぶった斬って走る大通りに面しているのにも関わらず、何故だか裏通りに入り口を構えるシャイな一面を持っていた。その構造は三階建てで、団子三兄弟的に言えば、長男は薄暗く埃臭い物置になっていて、三男は国内外問わずに膨大な数(当時、一度数えてみたけれど、一万本を超えたあたりで飽きてしまった)のドラマや映画、アニメ作品が所狭しと並べられて、奥まった部分には堆く積まれたレンタルコミックが占有していた。そして、次男が当店舗に於けるメインコンテンツの格納庫である。野郎のためのアルギニンがここにはある。空調機能が壊れているのか、お客人方の滾る思いがそうさせているのか、このフロアはいつも男汁臭かった。
 そう、そこにあるのはショッキングピンクの猥褻物陳列棚ばかりで完成された淫桃源郷なのだ。そして、三男の腹に抱えた貸与品と同等、乃至はそれ以上の所蔵数を誇っていた。国立図書館も真っ青だ。

 その頃の僕はハリソン・フォードだった。雑然の店舗内で、日々をインディ・ジョーンズごっこに興じていた。自身の狭い自室より何倍もそこを熟知していた僕には、お客様の探し物を見つけるなど造作もなかった。朝飯どころじゃない。前日の夜食前に済ませられる。井上陽水など目じゃないね。「夢(隠語)の中へ行ってみたいと思いませんか?」とご案内である。
 そこそこの記憶能力を持った僕は、ルーティン化した反復学習の副作用を受けた所為で、たくさんの固有名詞を大脳新皮質へと刻み込むこととなった。
 そのお陰だろうか、一時期の僕に付与されていたニックネームは、「不名誉ソムリエ」や「汎用自律二足歩行型DMM.com」という有り難みのないものばかりだった。

 僕は時間に関しては喧しい。時は金なりとまでは言わないが、時間というものは有限であり、化石燃料なんかよりもずうっと貴重なものなのだ。今もこうして滔々と流れ失せるものを止める手立てはない。僕はいつだって始業十五秒前には職場に到着していた。誰にも僕の時間は奪わせやしないと、いつだって息巻いていた。
 ここで友人各位への謝罪を差し込ませていただきたい。いつも遅刻ばかりで申し訳ない。この悪癖が治ることは僕も望んでいる。寛解に向けた努力ができればなぁと思っている。ご寛恕いただければ幸いだ。

 いつだって息巻いて、泡食って、ふためきながらの出勤を繰り返す僕にも優しく手を差し伸べる釈迦の如き淑女がいた。
「ほら、急いで! タイムカード押しておいたからね!」
 と、パートタイマーのYさんは笑いながら言った。
 Yさんは美人で人妻で美人だった。彼女が垂らす蜘蛛の糸は宛らワイヤロープで、僕がそいつに掴まると透かさずに電動ウィンチを駆動させて引き揚げてくれるのだ。彼女の好意は最早ラヴと同義であったことだろう。そうでなければ数々あった助力の説明がつかない。勿論、コンプライアンス・ネオテニーを自称する僕とお歯黒の彼女とのロマンスはない。慰謝料請求などノーサンキューだ。そんな金はない。老舗のようにそれは昔も今も変わらない。
 このようなことは、流し続けた浮名が大海にまで及ぶ程の僕には造作もない話で、どうやら光源氏の参考元は僕で間違いないらしい。
 敢えて言う必要はないだろうけど、それは嘘だ。僕の名は沈んだ。しゃかりきコロンブスは遭難して海の藻屑となった! XX染色体との交流が不慣れな僕は、「あっ、あぁ……」と、捨て仮名の余韻が残る感嘆をしながら、不気味な笑みを浮かべて頭を垂れるのみだった。

 何はともあれ、僕は持ち前の労働意欲でレンタルビデオショップ店員という肩書に馴染んでいくのだ。
 これは僕がティーンエイジャーという称号を捨て去ったばかりの頃だった。

 続け!

映画観ます。