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20200110 令和二年の内乱

 2020年。大友克洋が額に開いた千里眼で見ていた「ネオ東京」は結局、やってはこなかった。反政府ゲリラと軍部の衝突もない。超能力者とカルト教団もない、とは言い切れないか。前者は眉唾ではあるけれど、そこかしこに自称している者はあるし、後者について大っぴらに言えば、報復が怖いために口を噤むことにする。暴走族はイカしていない単車を乗り回している。超伝導バイクのテールランプは未だ尾を引かない。

 遂に東京オリンピック開催までは秒読みになった。ネオジオでプレイできた「2020スーパーベースボール」というゲームでは野球ロボが活躍していた。きっと、今季五輪での活躍が見られるに違いない。
 しかし、各種報道や、ワイドショーで報されるのは滞りばかりの進捗で、ほんの僅かな気掛かりがある。ただ、僕にとってはどうでもいい催しごとに変わりはない。僕は地方住まいだし、何よりスポーツとは無縁に生きてきた。野球部やサッカー部、バスケ部を始めとする明々とした連中は僕の網膜を焼き切ってしまう程に輝いていた。あまりにも強い日差しの下では影が濃くなるのだ。僕は影に潜む忍びの如く、暗がりの中でのビデオゲームや活字に逃げたり、うらぶれたりに忙しかった。結果として僕の瞳孔周辺の筋肉は、脆弱な身体と同様に弱体化の一途を転げ落ちた。今では全てのランドルト環が完全円に見えるし、視力補正器具なしでは生活に支障が出る。自由気ままなヒッピーへの憧れと反比例して僕はヒッキーになった。そうなることは正に”It’s automatic”なものだった。どれもこれもスポーツが悪い。
 とか何やら云々斯く斯くむにゃむにゃ然々と、筋違いの外道に足を踏み外した弁舌を宣ったところで、僕に正統性は皆無である。ならば、そいつと向き合わねばならないと僕の闘争心がむくむくと膨れ上がる。それはもう子供らを収容するエア遊具のように。
 新国立競技場で堂々の様で棚引くであろう日の丸が、国旗掲揚されるのを夢想すれば、僕自身を克己啓蒙せねばならぬと思い立った。

「啓蒙をするために必要なものは何か? 強い心か、肉体か? 知識か、技能か、想像力か? 否、否。ただ一冊の啓発本があればいいに違いない!」
 僕は熱り勃つ壮年の嶋大輔より、激烈に立ち上がった。これ程に素早く動いたのは、中学校時代にかけられた、「卒業生起立!」という号令以来だ。

 数多の人間がお洒落なカフェテリアで読み耽っては、写真を撮って、「どうだ、これ見よがし!」と社交的なネットワーク・サービス上で読了を訴えかけるものだから、僕も先人に習う必要がある。彼らは何時だって啓蒙の種を持ち歩くスマグラーだ。焦げた豆の煮汁とスコーンだかを栄養に、発芽を促している。
 ならば、僕が拝読すべき経典は何だ? 門外漢には選択は難しかった。
 思考停止をした僕は、王道的方法を選択し、ベストセラーに手を出すことにした。知らぬ道を行くのはひどく恐ろしい。初手から道を逸れてはならない。重要なのは誰かが読んだものであること。人々の得たものの後を追わなければ、開いてしまった差は埋まらない。酒も自己啓発もチェイサーがあって成り立つのだ。僕は古本屋へ向かって、一番多く並べられたものに手を伸ばした。

 帰宅をした僕は、透かさずに(お洒落ではないが)コーヒーを煎れた。ドリッパーで丁寧に蒸らし、時間を掛けて抽出した1/4透明程の焦げ汁をお気に入りのマグに注ぐ。
 コーヒーの湯気と、煙草の煙。そして、手にしたばかりの啓発本。それぞれの匂いが混ざり合って、ファンファーレが鳴り響く。勢いよくパドックが開くと、僕の新生活が力強く駆け出した。
 僕の指が表紙を開く。一枚、もう一枚とページを捲っていく——。

 それからの僕は、言うまでもなく生まれ変わっていた。
 件の啓発本は数行すらも読まれることなく、購入元の古本屋へと出戻りになった。110円で買い取ったそいつの買取価値は、どこかに落っことしてしまったようで無償での処分となった。所詮、誰かの轍をなぞったところで、僕に意味はないのだ。得たものを消化も昇華もできないのだから、意味はない。働くのを辞めた脳みそは、自己啓発には向いていなかった。「ピーキーすぎて僕には無理だよ」と、脳内の金田正太郎もそう言っている。
 自身を見つめ直すため、今度は姿見でも買ってやろう。
 莫大な経験値を得た。ポケモンならば進化に十二分だ。しかし、僕は痴れ者が故に、退化に忙しい。 

 結局のところ、僕にはロバよりも機能しない両の耳の形をしたお飾りが、顔の横に張り付いているためにこのような不甲斐ない様を晒している。誰それの有難い御高説が響くことはなかった。
「こん畜生め! 己やれ!」
 と、僕自身に発破をかけて、キュートに割れた臀部を蹴り上げることが何よりの自己啓発なのだ。啓発の意味を取り違えていることも仕方がない。
 僕は書を捨てて、町にも出ない選択をする。勿論、寺山修司氏のこともよく知らない。

映画観ます。