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20200204 ロマプロ

 今日の就業中にふと思い出したことがある。
 それは、小学校低学年時代の僕が詩人であったということ。

 どうということもない十把一絡げの青洟垂れではあったけれど、ほんの僅かに詩人だった。その証拠は疾うの昔に紙魚に喰われたか、バクテリアに分解されて見当たらないのだけれど。
 当時の僕は、自室に据え置かれたブラウン管のガサガサの画面で、任天堂謹製のコンシューマー・ゲーム機を遊戯すること以外に興味を持たない木偶の坊主だった。
 そんながきんちょが国語の授業で詩を綴ることになった。
 本文の詳細については覚えてはいないのだけれど、主題に関してはよく覚えている。僕は、「野良犬になりたい」と唱っていた。この頃から既に厭世の種が僕の心中で芽生えていたとは、なんとも照れ臭い話だ。あまり褒めないで欲しい。
 野良犬になり、野良犬を纏め上げ、野良犬の徒党を組み、野良犬を捨てた諸悪の根源である心亡き人間への謀反を企てるという筋書きだった。ような気がする。多分。
 何をとち狂ったのだろうか、教室担任はこの大日本国転覆計画のアレゴリーじみた拙作を甚く気に入ったらしかった。
 事後報告だったのだけれど、僕の拙作を地方新聞社が行っていた詩の公募へと送りつけたと言う。そして、それが紙面に載ると言うのだ。全て事後報告だった。なんというプライバシーの軽視! 時代かしらね。レジスタンス運動の縮図を載せる新聞社も新聞社だ。デッドボールを食らい過ぎて、判断機能に支障があったに違いない。
 僕の所属小学校と本名、それに内なる思想家が呟いた「野良犬になりたい」という他者啓発が縦書きされた枠を見つけた時、少年は何を思ったのだろうか。
 なんだかしょうもない賞状を手渡されたけれど、すぐに捨てた気がする。

 それから二、三年の後に僕は石川啄木の歌集を読み始めていた。”一握の砂”を一握して砂を噛むような毎日を過ごしていた。どうやら齢が二桁の大台に乗るか乗らないかの内から、現在の僕を構成し始めていたらしい。結局、歌人になることはできなかったのだけれど。
 2020年の冬、僕はロマンティック・プロレタリアンを自称している。
 語呂がいい。

映画観ます。