ああああああ

20200112 オポチュニストの夢見たアルトゥリズム

 先日、知人のNさんからの連絡があった。
「今度、遊びに行きましょう」
 漠然としたその問いかけに、僕はどう応えたらいいものかと遅疑し逡巡し右顧し左眄していた。僕は交友関係に仲立ちがあると、上手く立ち回ることができずに立ち尽くすばかりだった。
 Nさんは僕の友人の友人で、女性だった。

 前述の友人との関係は昵懇、乃至は莫逆と呼ぶに相応しいように(僕の視点では)思える。かれこれと十年近い付き合いになるだろうか。過去には僕の生誕祭を開催してくれたりと、あまりにも優しくしてくれるものだから、何か裏があるのでは? と猜疑心が湧いてしまう程だ。杉下右京譲りの小さいことが気になってしまう、僕の悪い癖がそうさせる。その際にいただいた「A10」の名を冠する半自動自慰補助器具は、タミヤ製ミニ四駆のモーター駆動音より喧しく作動した所為で、本懐を叶えることもできずに映画やアニメのBlu-rayボックスと一緒に陳列され、その運命を栄転させることもなく与えられた使命を今も遵守している。
 それに比べ、僕とNさんとの間柄には、特別に仲をよくしていた過去はなく、じっくりと会話を交わしたという記憶もなかった。決して、当人を嫌っているという事由はない。敢えて言うならば、僕は彼女のことはあまり知らない。勿論のこと、二人きりで過ごしたこともない。

 僕をステディの奈落へと突き落とした、あの(元)彼女に振られてからというもの、僕の生活は一変した、ということがある訳もなく、元のうらぶれたものへの出戻りをしただけだった。僕には、自身の姿が高速道路傍の雑木に放り捨てられ、雨晒しの刑苦を受ける成人誌のそれに酷似して見える。用済みな上に、次の有用性も備えていない。傲慢で自己中心的な悲哀の殻の中へと、僕は引き籠もることに妄執し、従事していた。張り巡らせた規制線の中で、僕は自衛権を掲げるのみだった。
 もし仮に、この独り相撲戦記譚を熟読する奇妙奇天烈な諸兄諸姉がいるならば、きっと気になっていることだろう。僕が家畜人ヤプーに身を窶すことを厭わないとさえ思えた彼女について──というよりも、この僕が如何に濫りがわしく、不甲斐なく、惨めで、愚鈍で、野鄙で、尾籠で、ノータリンで、すかたんで、下劣で、蒙昧かについてを。その詳細は以下でご参照いただきたい。元の日付から、多少の加筆修正を施したディレクターズカット版である。

 それからは自棄糞なもので、僕はウェルダンどころか焦げ付いて炭化していく日々を送っていた。まあ、別にいいさと、身勝手を許される身になったのだからと、自縛の果てに自爆をするようでは元も子もないと、自分を説得していた。暇を暇にしたまま日がな一日を無下なるものにさせて、街を跋扈闊歩しながら無上を享受するロマンチカ共を、愚の骨頂と心の内で呼びつけながら時間を躙り潰していた。鳴りもしない携帯端末は屑鉄と同価値にまで落ち着いた。

 その折での連絡に僕は、豆機関銃で撃ち落とされた鳥類の気分だった。
 いつしか、僕は友人関係について及び腰になっていた。現状維持をモットーにしているくらいに、僕は変化を恐れている。異性なら尚のことそうだ。距離感が上手く測れなくなっていた。
「女なんて知るもんか! 僕はこのまま男寡を満喫して、死んでやるのさ。ついでに僕に一瞥くれるようなあの野郎も始末してやろう。無縁仏だろうが、集団墓地だろうが葬い場所はどこだっていい」
 と、酒を飲んで、友人に向けて所信表明を豪語した手前の面子もあった。悪辣な物言いではあるが、正気を失った訳ではない。いつだって僕の話し方に品性はない。
 結局、僕は軽率短慮な自縄自縛のエゴイズムに後ろめたさを感じながらも、呼び水の誘引に絆された。発展家を目指したっていいじゃないか。

 Nさんからの招待状の返送を保留し続け、話題逸らしに終始していたのを止めた僕は、
「あぁ、この前お誘いいただいたことなんですけど、予定が空いたので大丈夫ですよ」
 と、しらばくれ甚だしく連絡をした。当たり前だけれど、予定などなかった。それから数分もせずに彼女から返事が届いた。
「よかった。デートですね」
 僕は背筋が凍った。

 好意との向き合い方は難しい。まるでモテる風な言い回しではあるけれど、口が裂けても僕が引く手数多だった過去はない。異性との関係性を思えばたじろぐことばかりだ。人並みには女性との交際関係を築いてきた筈なのに、僕は恋愛が下手だった。僕には意中の令嬢へと思いを吐露した過去が一度だけあって、それが初めてお付き合いをする経験となった。分別があるかどうかもわからない時期のことなので、今となってはお遊びの範疇から出やしないのだろうけれど。それ以降は全て告白をされて、受け入れて、振られるという綺麗なルーティンが構築されていた。最早、僕は怯懦にも似たものを覚えている。
 僕がNさんに会い、彼女曰くデートをするというXデーまで、僕の携帯通信機器は引っ切りなしに震えていた。交際相手でもいない限り、鳴ることを忘却していた順最新のスマートフォンも、次々に舞い込む仕事に喜んでいたことだろう。彼女は僕の好きな食べ物が何かとか、好きな女の子の服装はどんなだとか、色々の質問をぶつけてきた。
 面白いくらいに男というものは単純明快な生き物で、その気にされてしまえば、その瞬間から脳下垂体に舵を取られた難破船のようになる。

 そうこうしていれば、当日になった。僕は電車を乗り継いで、Nさんの元へ向かった。あちこちと出歩いて、なんやらを見て回った。日が暮れると、
「お酒飲みに行きませんか」
 と、Nさんが言った。僕は促されるままに居酒屋へ入り、そこそこに酒を飲んだ。
「そろそろ、終電なんで——」
 と、僕が席を立とうとした時、
「よかったら、うちで飲み直しませんか」
 Nさんのその問いに、僕の心は狼狽した。それでも、僕の脳下垂体が行けと信号を送る。僕はテストステロンの誘引と戦った。

 気づけば僕はNさんの住むアパートにいて、注がれるままに酒を飲んでいた。
 彼女は色々の便宜を僕に図ってくれた。僕はこれからのことを考えていた。目前に並べられた据え膳から僕は目を背けて、如何に波風を立てないかばかりが気がかりになっていた。
 そうしている内に僕の恐れていたことは起こる。彼女が厠へ行って戻ってくると、僕の隣に座ったのだった。

 それからの僕はあの手この手を駆使して、Nさんを寝かしつけた。そうして、自身の外套に包まれながら僕はソファに寝転がると、どっと襲いくる疲労とアルコールで一つ二つと瞬きする間に意識を飛ばした。

 翌朝、僕は目覚めると矢庭に彼女へ一日のお礼を告げ、家を後にした。

 別にどうでもいいと思っていた記憶が掘り起こされた。振り払おうとした面影が足枷になった。悲しくなるくらいに僕は過去の亡霊に妄執している。
 僕の隣に座ったNさんは、「好きです」と、僕の顔をじっと見ながら言った。僕の口から出た言葉は、「ありがとうございます」だけだった。なんという狡猾さだろうか。僕は自身に辟易とした。
 それでも、自身には、「仕方がなかったのだ」と、言い聞かせることしかできない。
 Xデーに見た景色は酷く退屈なものだった。居酒屋で呑んだ酒に至っては、振られたばかりのあの子を思い出した。「そういえば、これ、あの子が好きでいつも注文していたよな」なんて考えてしまった。
 いつか、僕の外套に染み付いた煙草の匂いが薄れていくように、感傷が薄れて消えていくまで、僕の腐り切った日常との付き合いは続いていく。

 あの子が好きだったあのお酒は酷く不味い。

映画観ます。