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20200126 レンタルビデオショップ奮戦記 その弐

 時は戦国末期。
 天下布武の旗印が、野望完遂を目と鼻の先にしながらも、衆道愛しの蘭丸を道連れに炎上する本能寺にて灰塵となった。仇敵討つべしと関白夢見の猿公が鬨の声を上げ、電光石火の働きで狸出し抜き、山崎契機と名声を得る。そうこうして、囲いの日和見主義者らを先導しながらの半島黒星行脚の最中、太閤もまた病魔の一揆を受けると涅槃の検地へ乗り出した。
 群雄割拠の時代は終末を迎えつつあった。これぞ動乱最後の大一番と、東西陣取る三つ葉葵と大一大万大吉が、龍虎相搏つが如くの睨みを利かせていた。次代の日出づる国を司どるべき僭主の証は、何れの元へとさすらうか。牛口となるも鶏後となるなかれ。天下の分け目に不倶戴天の雁首飛ばせと息巻いた。
 法螺の音が鳴り、咆哮が飛ぶ。地鳴りと共に軍配が揺れる。己が想う人の世、和平、信念のため、同志と呼び得る並行世界をかなぐり捨て、目前に迫る彼奴らを斬り捨てんがため、激突の火蓋が切り落ちる。

 その頃、僕はレンタルビデオショップの店員だった。

 年中無休、丸一日営業しっぱなしを売りにするコンビニエンスな奉公先は、午前九時に夜勤従業員との交代がある。僕は寸分違わぬ出勤時間にタイムカードに打刻を済ませ、昨晩までの業務とその引き継ぎについてUさんに伺うのが恒例だった。

 このUさんという男性は年中無休の当店舗と同じくらいに年中無休で働いていた。体力が無尽蔵なのか、休日というものを認識していなかったのか。綺麗に切り揃った刈り上げと、銀縁の丸眼鏡越しに覗ける鋭い双眸は、いつだって輝いていた。夜勤明けの表情も——少しだけ、テカテカと——輝いていた。温厚鷹揚な語り口で、的確且つ簡潔に物事を説いていただける様は理知的で、理想的な先輩像そのものであった。そして、備え付けの固定電話が鳴るや否や、彼は一目散に受話器へと駆け、それを手に取ると、「毎度!」と威勢のよい応答をする。僕が異性であれば、そのギャップに胸がきゅんと高鳴っても可笑しくはない。
 何よりも僕がUさんに心惹かれた理由は別にあった。彼はそこはかとなく”向井秀徳"に似ていたのだ。一度も伝えたことはないけれど。
 物心ついた頃には、既に"Number Girl"というバンドの虜囚であった僕の胸がときめいたことを鮮明に覚えている。これぞ正しく、"OMOIDE IN MY HEAD状態"なのか。違うか。季節問わずに襟付きのシャツを着こなしていたのも要因の一つだろう。
 僕は一度だけ、「Uさんは、ギター弾いたりしませんか?」と、尋ねたことがある。
「なんで?」と、透かさずに聞き返された僕は、
「あっ、いえ、なんでもないです」と、口を噤んだ。

 僕はUさんを忘れない。時々、一寸だけ猥雑なアニメを、一寸だけ恥ずかしそうにレンタルしていたことを忘れない。思い出を有り難う。

 業務の引き継ぎが終わると、大抵に品出しがあった。”新作”という肩書を持つ一泊二日品を棚へと並べに行く。僕はアニメ関連の光ディスクを担当することが多かった。
 そして、当店舗の一階フロアでは、それらを奪い合う三つ巴の争いが恒例行事となって繰り広げられていた。なんと安上がりなちんまりスペクタクル戦争巨編だろう。
 時代と土地の条件さえ合致するならば、その光景は魏・呉・蜀のそれに近い。

 まず、何より最有力の三人組がいる。非常に判別がし易く、西遊記(玄奘三蔵だけは欠けていた)そのものだった。ここでスターティング・メンバーの発表をする。
 孫悟空はいつだって先頭を歩いていた。彼が群れのリーダーだ。赤いポロシャツにオーバーサイズのカーゴパンツを履いて、ウェストポーチが接着剤で固定したかの如く腰に張り付いてた。時折に彼は、「いひ……」と嗤った。僕はそれを聞く度に、「旭化成みたいだなぁ」と、思っていた。
 猪八戒は純金に染め上がった頭髪に西部警察風の黒眼鏡を装着し、カットソーのボーダー柄が線となって消えるのでは? という懸念が湧くくらいに肥大した腹を引き擦っていた。そして、これまたウェストポーチは張り付いていた。
 沙悟浄はとてつもなく華奢な体をしていた。それだけ。
 こう呼び始めたのは僕ではない。先人が勝手にそう呼んでいた。

 彼らは店内に足を踏み入れると、直ぐ様に数分後の開戦を控えて、簒奪の算段についての軍略会議を進めていく。
「いひ、俺はあっちに——」
「じゃあ、今日は俺はその棚に——」
 と、彼らの鼎談があまりにも愉悦に映るものだから、僕はいつも聞き耳を立てていた。僕も仲間に入りたい。
 そして、彼らはいつも大量の簒奪品でパンパンの財宝袋を小脇に抱え、ややもすれば破顔一笑するほくほくの表情で戸口から消えていく。売り上げへの貢献、誠に有り難うございマァス!

 残る二組——といってもそれぞれは個人であったために、スパルタ兵の如く善戦はするものの、やはり数のゲバルトを前に快勝することはなかった。
 なんとかして一、二本の”新作"を掴み取った惜敗の彼らは、「絶対に、絶対にこれだけは見るんだ……!」という、世界の救世主のような、精悍な表情でレジカウンターまで足をお運びになる。宛らアルマゲドン終幕直前の厳かさだった。僕は、「後生大事にし過ぎて、よもや帰宅しても観賞しないのでは?」と懸念していた。店内の有線放送でエアロスミスは流れなかった。
 僕がお勤めをしていた期間でたった一度だけ、貸し出し処理をするべく商品を受け取ろうとした際に、手を離してもらえずに綱引き宜しくの駆け引きをレジカウンター上空で競い合ったことがある。僕の推測の域を出ることがないが、やはり彼らはケースを開けることなく返却期限日を迎えている気がする。
 路傍の石にも劣る無力で無気力の店員風情に、彼らを救うメソッドはない。この大日本国は資本主義の本流から抜け出せない。金を落とす人間には逆らえないのだ。経済と地球は一緒くたになって回るのだ。

 常より、神仙三銃士一同はレジカウンターから奥に向かっていく棚の間で順番に並んでいる。最適化されたナビゲーション・ルートに従って、僕が手前からジグザグに歩き品出しを進める想定の元で、鼻息荒く立ち竦んでいたのだろう。彼らは首尾よく手分け作業に移り、それぞれが切望する宝物を掻っ攫う。その後に、それぞれの懐へと再分配する意向なのだ。組織犯罪も驚愕の巧妙さ。そして、孫悟空は手下より多くの報酬を得る。根を張るマニュファクチュアはここでも生きている。そして元締めの総取りはずうっと変わらない。創業から一と半世紀、今も昔も変わらぬ取り分の旨さ。

 なんとなく、ただなんとなく、僕にはその光景が退屈だった。ほんの少しだけ。僕の温厚篤実で質朴な性根は、ちっぽけの悪戯を思いつく。アニメという大枠から更に細かなジャンルで区分けされた棚から棚へと、口を開けた予定地に”新作”を置きさえすれば僕のなすべきことは完結する。品出しの順序など僕の意のままだ。
 とある日に、品出し作業を控える僕の眼前には堆く積まれた貸与品があった。パッケージで拵えたバベルの塔だ! 今にも神の怒りに触れそうなくらいに高い。天界の神の怒髪が天を衝くとすれば、天の上に天があるのかしら。どういうこっちゃ。しかし、あれ程に嵩張った積荷を見たのは久しぶりだった。きっとその頂から望む景色は荘厳に違いない。
 非生産的な悪ふざけの決行を僕のペルソナが囁いた。
 山盛りに積み上げた過積載のそれを逆手に乗せ、顎を上支えにして僕はカウンターから飛び出した。パドックから連れ込まれた発馬機のゲートが開かれてしまえば、進むより他はない。
 僕は孫悟空が待ち構える棚へ行き”新作”を置く。次いで猪八戒の元へ、そのまま沙悟浄へと導線を引いた。真っ先に西遊記ご一行の棚を済ませてからは、ぐしゃぐしゃに配り始める。あっちゃこっちゃ娑婆中に飛び火するように、僕は棚から棚へ通路から通路へ、好き勝手に歩いて、曲がって、立ち止まって——。
 ふとすれば僕の逆手に乗せられた積載物は軽くなっている。僕は背後の気配に気づきながら、品出し作業を続行する。棚の隙間へと“新作“を滑り込ませれば、ぬうっと脇から手が伸びる。僕は視線だけをそちらに向けた。
 そこにあるのは彼ら! 僕の歩く道程を逃さず辿る、孫悟空、猪八戒、沙悟浄! 彼らは天竺目指して三人珍道中の最中だった!
 ……否! この瞬間、僕は玄奘三蔵だったのだ! 夏目雅子や深津絵里に僕はなっていたのだ! 四人揃えばなんとやら、牛魔王などちょいと一捻りよな!
 彼らは僕の後を追う。隊列だけはドラゴンクエストのそれを想起する。光ディスクの峡谷を長蛇の陣が前へ前へ突き進む——!

 品出しを完遂した僕はレジ業務に従事する。
 件のご一行が支払いを済ませていく。いつも決まって孫悟空が殿を務めてレジカウンターに立つ。彼は大量のケースを僕の前に並べると、いつも通りに僕に尋ねた。
「——は明日、店頭に並ぶかな?」
 僕は少しの所要時間についての断りを入れ、当月の入荷予定表を取り出した。それを眺めながら、彼をちらと一瞥する。彼は興奮冷めやらぬような、寧ろ明日の愉悦を既に見つけたような表情で僕の答えを待っている。彼は時折爪先立ちになって、ぴょこぴょこと伸縮を繰り返す。ざあっと紙面を流し見た僕は、
「あー……今のところ店に来てないんで、わかんないッスネー」
 と、いつも通りに腑抜けた声音で答える。
「そっかぁ。はーい」
 と、いつも通りに彼は言って、支払いを済ませ颯爽と去っていく。僕は知っている。僕の対応が彼らの行動を煽動したり、抑制することはない。
 きっと、彼らは明日も来る。いや、確実に来る。何故なら彼らが来ない日はないのだ。
 それでも明日はやってくると、鈴木結女が歌っていたのだからそうに違いない。

 ある日を境にして、猪八戒が来店しない日が続いた。なんだか不思議になった僕は、
「いつものご友人さん? ですかね、最近来られませんね」
 と、孫悟空へと尋ねてみた。
「今ね、入院してるんだって」
 と、返ってきた言葉に僕は息を飲んだ。彼のあの体格だ。ひょっとすればひょっとするぞ、と胸中に暗雲が立ち込めるような気になった。思わず口を吐いて出た軽はずみな言葉を呪った。
 それから数日が経ち、店舗内には松葉杖と歩く元気な猪八戒がいた。

 僕がレンタルビデオショップ店員を辞めるまで、彼らは当店舗を贔屓にして通い続けていた。
 もしかすれば、きっと今も。

 続け!


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