「しんどい」と「楽しい」

4時43分。
夏の終わりを感じさせるのは明け方。
日が昇るのが遅いので、窓から陽の光はまだ見えない。


最近、ずっとしんどい。
語彙を失うほどにはしんどい。
身体の不調で言えば右肩が少し痛んで原因不明の蕁麻疹が顔に出ているくらいだが(軽視していいのかどうかは置いておいて)、例の如く心がしんどい。

人と比べることを辞めたいとは常々言っている。が、口では言えてもできるかどうかは別の話だ。
先日後輩の女の子が成人式の前撮りでユニセックスな服を着ているのを見ただけで羨ましくなってしまった。些細な事も周囲と比べてしまう"時期"なのかもしれない。

比較するには体力がいる。
不必要な心の負担なので当然と言えば当然なのだが、あまりにも疲弊している。
休日何もしないことに負い目を感じているはずなのに、何も出来なくなる程に沈んでしまうのだ。

でも仕方がないじゃないか。
羨ましいものは羨ましいし、悔しいものは悔しい。私だってあのライブに出たかったし、周囲に認知されたいし、自分の知らない所で悪い話よりいい話をされたい。欲、欲、欲、みんなそうじゃないのが不思議なくらいに貪欲で強欲。その癖何かを掴もうともがく事をしないのだからどうしようも無いのだ。余りにも人間臭い、それも最底辺の。

「どうして自分だけ…」と思う事もあるが、「なんで自分じゃないんだ、悔しい」と思うことの方が多い。ニュアンスの違いのみかもしれないが。

そもそも私に趣味がないのは、そういう人と比べてしまう部分が大きく影響しているのだろう。
私は歌を歌うのも、絵を描くのも好きだが、ただ好きなだけ。趣味と呼べるほど没頭できない。
没頭するというのは突き詰めるということであって、それ即ち自分より完成度の高い物を目の前にすると成果を恥ずかしく思ってしまうのだと思う。文字にしてみれば、負けず嫌いだとか完璧主義だとかそういう聞こえだなと我ながら思うが、そういった言葉に嵌る程の人間性も持ち合わせていないと思う。

思えば昔好きでずっと追い掛けていたジャニーズ(スマイルアップ(笑))のファンを降りる時もそうだった。
周りと比較して自分はそのジャニーズが好きだったし、知識が多いことでファンと名乗れていたが、出演番組をひとつ見逃してしまったのをキッカケに「あの番組にでていた○○君はもう見られない、という事は私よりも○○君の知識が多い人がいる。私はファンとは言えない。だったらファンなんて辞めてしまおう。」と言った感じ。
非常に言い訳がましい。何かを理由に継続していた事を辞めたかっただけなのだろうか。よく分からないな、自分というものが。
そういえばあの頃から、好きなアーティストが居てもファンだとは名乗れなくなったな。



さて、人と比較してしまう性分に頭を悩ませていることに対しての解決の糸口は見えなさすぎるので、別の「しんどい」についても綴ろう。

まず、2行で言えることで言えば食欲が止まらないということ。3合くらい飯食ってる。凄い。

そして私のしんどいの代名詞と言えばそう、好人(はおんちゅ)。いつもコイツだ。

最近2度寝した時見た夢に信じられない大ダメージを喰らった。
1度寝目、元彼と仲直りする夢。
別に喧嘩別れという訳ではないのだが、何となく気まづくて喋らず終いの元彼と、ひょんな事から会話をして家に荷物を取りに行く夢。
元彼には新しい彼女がいて、その子とは特に仲良くなる訳でもなかったが、元彼と以前の様に話すことが出来て心の取っ掛りが取れたような気がした。未練があるとか無いとかではなくて、ただ先輩として好きなので、また普通に会話ができるようになった事がかなり嬉しかったのだろう。目が覚めて夢だと悟った時は、取っ掛りが3倍量になってのしかかってきたものだ。辛すぎてもう一度眠りについたのだが。
2度寝目、好人に振られる夢。
ファミレスで別の先輩と話していると、好人を呼ぼうという話になってボックス席に座る。
からかうように「ぶっちゃけ好人は私ちゃんとかどうなの?付き合うとかはないの?」と茶化された質問に対して、「ああ、まあ付き合うとかは無いかあ。」とケラケラ笑う好人。
付き合うとかは、無いのかあ。と。
変な振られ方をしたし、確かその後好人は彼女からの電話でファミレスを後にしたと思う。
夢の中では「仕方ないか」と何故かスパッと諦められていた私は、その他大勢の先輩達にヘラヘラ笑いかけられながら飯を食べていた。目が覚めて数分後から心臓が痛すぎて、暫し動けなくなった。

こんなに連続的なダメージを受けると、そりゃあ「しんどい」。
その日は好人とエンカウントする予定(バイトの業務的に偶然を装った必然を作り上げた時間)があったので考えすぎたのだろう。

ちなみにエンカウントは大成功したので最高のひと時を過ごすことは出来た。(その後急激に謎病みしてしまったのだが、それは昨日のnote「愚か者」に心情を綴ってあるのでそちら参照)



好人のラジオで「複数の肉体関係のみの付き合い」を肯定する趣旨の話をしていた。
おいおい、待ってくれよ。
私も、そりゃ私も大人ですから、別に肯定派ですよ。
でも、でもさあ。
貴方が肯定することで私は諸々勘ぐってしまうじゃあないか。
複数を肯定してしまったら、私以外にも居るんじゃないかと、思ってしまうじゃあないか。
辛いぜ、私だって。確かに私は無条件で貴方を好いているよ、都合がよくたっていいって思ってしまっているよ。
でも、分かっていない、何も分かっていない。
私を分かってない、何も。なにも。

…否、何も分かっていないのは私なのだろう。
知らないふりをしているだけだ。
好人の好意は私に向いていないのだ。
夢の通り、私は複数分の1でしかないのだ。

それでもいいと、好きを口に出したのは私だ。
本当は分かっていたはずなのに、自分を特別だと思い込んで飛び込んで行ったはずなのに。
覚悟を決めろ、そうだろう。
憧れは傷つきたくないという距離、好意は傷ついてもいいという覚悟。


そう、そうなのだ。
何も分かっていないのは私だ。
世界を自分中心に捉えすぎている。
人生はそれぞれにあって、皆が自由なのだ。
縛ろうとするな、自分の意思を押し通すな。
勝手すぎる思考を遮断しろ、ご都合主義に解釈するな。


たくさんの戒め。
このnoteを書いている時、私の感情も同時に動いているので、戒め達のおかげでかなり落ち着いてきた。


結局ね、恋と私の本職は一緒なんですよ。
全て自分がはじめたこと。
辛い、辞めたいと思ったら、何時でも自分で辞められる。辞めちゃえばいい。
それでも続けるのは「楽しいから」だ。

「しんどい」と「楽しい」の比率が毎日毎日変動している。が、常に後者の方を強く感じているのは間違いない。偽りなく、本当に間違いない。
この比率の値が逆転した時が潮時なのだ。
そう考えると、まだまだ全然大丈夫だなと思う。


幾ら冬の訪れを感じる陽の昇り方だとしても、流石に5時半ともなると明るくなってきた。
さあ、明日は何をしようか、どんな楽しいことをしようか。

生きづらくたってしんどくたって、
私は毎日が楽しいのだからいいじゃないか。

心地の良い眠気が迫ってくるのを感じる。
今日はこの辺りで眠ってしまおう。
暖かい布団に包まれて、明日へのワクワクを胸に。

ね。

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