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遊戯王OCGデュエルモンスターズを振り返る

 私は普段、誰かの悪口と現代の文句をツマミに酒を浴びているが、何やらnoteではカードゲームのオッサンになりつつあるようだ。

しかしこれがまた、思い出せば思い出すほど、楽しい。カードゲーム、好きだったんだなと実感の日々だ。

という訳で今回は、マジック・ザ・ギャザリング(以下、MTG)の他にハマったカードゲームを振り返ろうということで、全ての始まりである遊戯王デュエルモンスターズ(以下、OCG)を個人的な思いでの範囲で振り返る。


全ての始まり

 小学生時代、私の家庭ではジャンプの愛読は許可されていなかった。なので私が遊戯王のカードを知ったのは友人伝いだった。

ミニ四駆やビーダマンをやっていたと思ったら、カースト上位系の友人がある日突然トランプみたいなものに興じ始めるではないか、しかも何やらカッコイイし盛り上がっている。そんな感じで最初に触れたのがガチャガチャで購入出来たバンダイ版の遊戯王である(以下、BYC)。

 先行で始めていた友達が不要な雑魚を大量にくれて、家で眺めているうちは「カッコイイなぁ~」くらいにしか思わなかった。どうやら漫画がベースになってるっぽいが、読んだことがないのでコロコロでは無いっぽい。

そんなこんなで最初はただ持っているだけだったが、ある日家族で焼肉に行った時に店内で自由に読めるジャンプを発見。親としてはゆっくり酒と肉を愉しめるので好都合だったのだろう、その時だけジャンプを許可してもらい読んでいたら、見覚えのあるカードっぽいもので戦う漫画を発見。そう、当時 決闘者王国(デュエリストキングダム)編の遊戯王だ。

内容の面白さにめちゃくちゃハマって、その食事の時に店内全てのジャンプを読了した。10週以上はあったと思う。そして帰宅し、輪ゴムで縛って置いてあったカードを手に取り、「これであの漫画みたいに戦えるのか!!」と少年は目をキラキラさせたのだった。このときめき、興奮が、この後しばらく続くカードゲーム泥酔期の全ての始まりである。

ゲームのおまけ


 ガチャガチャで安くすぐ購入出来るというのもあり、カードは増え、そしてルールもなんとなく覚えていった。と言っても当時のBYCに厳格なルールなんて存在せず、原作のマネっこであったのは間違いない。なので、子供ながらに「ちゃんとしたルールがあればなぁ」なんて思ったりもした。だって闇遊戯出されたら1ターンで終わっちゃうし。

どのテキストが優先で適用されるのか謎だった

だがこの頃発売されたゲームボーイのソフト、初代『遊戯王デュエルモンスターズ』のおまけで付いてきたカードデザインがその希望を大きくした。

ガチャガチャのカードとは明らかに違う質感、固い。そしてちょっとデカイ。

この裏面好きだった

このカードデザインに小学3年生の私達は大いに沸いた。今思えばモデルとなっているMTGの質感をそのまま真似たんだろうけど、その雰囲気、ちょっと暗い感じに、「これはちゃんとしたゲーム化がありえるんじゃないか?!」とワクワクしたのを鮮明に覚えている。

OCGの始まり


 初のOCGのスターターBOX発売がアナウンスされた時、私はすでにMTGにガッツリハマっていたが、周囲の友人達の盛り上がり方に流され近所のデパートで予約をした。そんな「なんとなく」で手にしたスタータボックスだったが、開封してみると一新されたデザインと、ブルーアイズ、炎の剣士の上質なキラ具合にちょっと心が浮ついた。

当時は既に以前書いたMTGが持つ「上質な地味さ」の虜になっていたが、なんだか幼き感度が蘇ってくる、そんな気分だった。

しかし当時既にMTGに触れていた私の内に沸いた次なる感情は「なんか安っぽい」だった。

今なら判る。それは企業の賢明な判断だったと。

当時の遊戯王ブームに瞳を輝かせていたのは、大人ではなく私と同じ小学生だ。先に書いた初代『遊戯王デュエルモンスターズ』のおまけで付いてきたMTGの様な質感でカードを大量に生産するとなると、1枚あたりのコストが上がる。となると、100円のガチャガチャで購入出来ていた頃から大きく販売価格が跳ね上がってしまう。そうなると小学生たちはプレイ出来なってしまうのだ。そして、MTGのサイズ感だと、まだ身体が小さな子供にはシャッフルもしずらい。

しかし当時の私はそれを理解出来ず、プレイすることもほとんどなかった。その後ブームを先見した友人がMTGとの交換を交渉してきたのでそれに応じ、私はよりMTGに没入してゆくこととなる。

最強のマーケティング


 プレイしなくなったとは言え、OCGの登場翌年にプロモーションも兼ねて始まったアニメは見続けた。よく友人と風間くんが演じる遊戯と津田さんが演じる海馬を真似てはしゃいだものだ。

しかもほとんどプレイしなくても購入はしていたのだ。

理由はよろしくないが、当時ブースターパックの僅かな外見の違いからレアの封入を当てる「サーチ」という行為がむちゃくちゃ流行した。その悪しき流行が今の「レジにダミーを持って行って実物と交換する」という購入システムをスタンダード化したのだ。

しかしこの「サーチ」が、当時は本当によく当たったのである!

もはや90パーセントを越えていたのではないかというレベルでよく当たった。なんならただのレアでは満足せず、パラレル、シークレットを当ててこそナンボな空気感があったレベルだ。

だから理由はあまりに邪だったが、アニメの放送中に最新のエキスパンションのCMが流れたら物凄く胸が躍った。しかもそのCMが3Dアニメーションで製作されておりカッコよかったのである。

そして何より、過去に興奮して読んでいた原作のストーリーに登場したカードがOCG化されるという、夢が続々と叶っていくような高揚感はMTGに無いものだった。

当時誰もがカード化できると思ってなかった


最高のごっこ遊び


 今思えば、全ては漫画 遊戯王のごっこ遊びだったと思う。今は世界中で愛されるTCGとなったが、初期はルールにも曖昧なところが多く、ぶっ壊れ展開も少なくなかった。

だけどもOCGがくれたものは、ゲームプレイングの細かな実積等ではなく、カードゲームが持つ根本の魅力だろう。

カードゲームが友情を生み、白熱・興奮を生み、感動を生むことを教えてくれたのは間違いなく漫画 遊戯王であり、OCGだ。子供だった私にとって、最高に楽しいごっこ遊びが、その後の知的なテーブル上の決闘にシフトし、こうして今オジサンになってもいい思い出だったと振り返ることが出来るのだ。

漫画 遊戯王の最終話、主人公の遊戯がこれまで別人格(闇遊戯)とされてきたアテムを倒した時、胸がジーンっとした。最後まで見届けられた感動と、最高の思い出に感謝があふれた。

今でもバラエティなどに出演した風間君の声を聞くと、「おお、遊戯だ・・・」と胸がときめくのである。私と同じ世代にとって遊戯はずっとヒーローなのだ。

最高のごっこ遊びから始まったカードゲームは、間違いなく私にとって最高の少年時代を体験させてくれた。その全ての始まりは遊戯王だ。




最後に、人命救助の末この世を発たれた 漫画 遊戯王の作者 高橋和希先生へ、敬意と感謝をここに記す。

私は小学2年生の時、父の仕事の都合で転校を経験した。

転校した先で上手く馴染めず、いじめられていた。

そんな私を気にかけ遊びに誘ってくれた数少ない友人と遊戯王のカードを始めて、カードゲーム自体の魅力に憑りつかれた。

その後MTGに転向し成果を上げ、カードゲームブームが重なり、いじめられていたはずの私は一躍学校の人気者になった。

そのまま私は多くの同年代、多くの大人と交流を深め、社会性を身につけ、語りつくせない最高な思い出を重ねた。

全ての始まりは、遊戯王だった。

高橋先生、あなたが作った漫画と、ムーヴメントに私は救われた。私にとっても貴方は最高のヒーローです。ありがとうございました。


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