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カードゲームを振り返る

 1996年、4月にマジック・ザ・ギャザリング(以下、MTG)が上陸し、10月にはポケモンカード(以下、PCG)の初版が発売、11月には漫画『遊戯王』でMTGを題材にしたストーリーが掲載され、そのストーリーを起点に遊戯王デュエルモンスターズが生まれる。

上記ムーブメントを先取りコロコロコミックにMTGが掲載され、そのアート性、「大人な感じ」にときめき当時小学4年生だった私は走り回った。

 今でこそおもちゃ屋やコンビニの店頭など、販売されている場所は安易に特定できるが、1996年~1997年はカードゲームブームの最初期、そもそもカードゲームというものが何者なのか誰も見当が付かず「あそこに売ってた」という噂を追いかける日々だった。

 主に兄や年上の知人を持つ友人からそういった情報を聞いて自転車を走らせたが、まだガキんちょである私には強烈に入りずらいマニアックなおもちゃ屋だったりして、入る仲間を連れてきたり、誰かが出入るするタイミングを見計らって入店した記憶がある。

しかし、そういったちょっと立ち入りずらい感じ、あの頃の、カードゲームが持っていた「怪しさ」が好きだった。

DCやマーヴェルなど海外コミックやアニメのおもちゃ、大きなボードゲーム、煙草の臭い、天井からぶら下がっているTシャツ(今思えばAKIRAとかのイラストが描かれてた)、そして一番奥の、一番気まずいレジ下のガラスケースに並べられているカードゲーム。

当時は本当にそんな雰囲気のとこに売っていたのだ。ワンダーグー等でも買えるようになったのは小学生を卒業する間際くらいだ。

ただ、店の端っこの小さなテーブルでプレイしているお兄さんたちは、実際見た目と裏腹にとても優しかった。

「カードやんの?カッコイイじゃん大人だね~」

なんて声をかけてくれて、そういったコミュニティに属す自分を「ちょっと大人」という評価で誇っていた気がする。

 MTGで初めて日本語が記載された第5版が発売されたのが、来日した年の翌年、1997年の3月。

同タイミングで流行っていたガチャガチャ版の遊戯王、PCGと違って、キラなど無く、レア度を示すマークも無く、とても地味な印象を受けたが、その派手さの無い独特の古文書、魔術書みたいな空気感が本当に好きだった。そんな大人なカードふ触れている自分がカッコイイと思った。

 このMTGドハマリ期は、小学3年生後半から本格的に音楽を始める高校2年生の頃まで続き、自身の中でも音楽の次に最も長くハマったものだった。

引退のキッカケは高校1年生の後期、クラスメイトで同じくMTGをプレイする友人とトーナメントルールで本気で戦い惨敗したことだ。

中学1年生から公式トーナメントの予選に参加し成果を挙げてた私にとって、自信があるMTGでボコボコにされたのが爽快で、「あ、もう辞めろってことか~」と気持ちい納得の上での引退だった。ちなみにその時のクラスメイトはその後レコード大賞を受賞する音楽プロデューサーとなり、MTGでも音楽でも事実上ボッコボッコにされた訳である。

それから時を経て親になり、子供がPCGを始め、家族そろって一緒にプレイ出来ることが感慨深かった。

発売当時のPCGはデザインこそ良かったが、長くて大きな展開も無く非常に退屈だった印象があった。しかし現代のPCGは展開が早く、大きな逆転もあり驚いた。

カードゲームのブームが衰退することなく肥大化し続け、誰かしら何かのカードゲームに触れた経験がある現代に正直驚いている。私が現役でプレイしていた頃と今ではコントラストがまるで違う。ホビーを題材にした漫画等で、ありえない人口がその対象をプレイしている描写がよく書かれるが、まるでそれが現実化したようだ。

我が家の子供は5歳~7歳までプレイし、一旦現役を引退した。

一時期は大人顔向けのプレイングを披露して周囲を驚かされていたが、拡張パックや新シリーズ発売の連発を追いかけるのが嫌になり、ある時パっと辞めた。今は将棋やトランプなど、対戦者と自分が互いに公平な環境の上、プレイングで勝敗を決定する魅力に移行したようだ。

アラフォーとなった今、もう以前の様にトレーディングカードゲームには魅力を感じなくなった。

それは今の社会的ムーブメントが持つコントラストを個人的に気に入らないのかもしれない。もしくは各メーカー、モダンなデザインに新調されてゆくことに寂しさがあるのかもしれない。実際に数年前、MTGアリーナをプレイしてみた時に、今のカードデザインにとてつもなく違和感を感じた。

VRになれば、漫画等に夢見たプレイ展開の具現化が叶うだろうし、世界規模の大会が容易くなる。ゲームがeスポーツとして社会性を獲得したように、各カードゲームもエンタメと融合し国境を越えた興行と化してゆくのだろう。

だけど、歳かな、あの当時の様に細々と小さなテーブルで地味にやっていた頃をどうしても恋しく思ってしまう。

カードゲームに限った話ではないが、何事も、不完全で、未知で、手が届かない状態が面白く、明日を生きる活力となる。

容易く知りたいことにアクセス出来て、何事もキッチリ整えられていて、何でも欲しければ手に入る現代は、昔人類が皆持っていた魔法を失ったように感じる。



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