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【現代批評】父親なんて誰でもいい

「アフリカでは、お父さんが誰か分からない」

っていう話、聞いたことないか?

実際にそんな事があるらしく、みんな自由に営みを交わすことで、「この子の父親は誰かわからない」ってことになるらしい。

ただ、悲しい話ではなく、父親の特定が出来ないからこそ、その村の男性みんなが父親として子供に接するようだ。

一夫一妻制、不倫・浮気をネタにしてメディアが人を裁く社会である日本からは考えられないと思うが、男性が理由を付けて子育てから逃げるのではなくて、「俺は父親、子供はみんな俺の子」という意識でいるのって、平和で素敵だなって思う。

以前キンコン西野さんのブログ?ラジオ?か何かでタモリさんが語った「なぜ戦争が終わらないか」というお話が印象的で、タモリさんは「愛があるから戦争が終わらない」と語ったそう。

もし自分の愛する家族が撃たれたら許せない。復讐したいと思う。だから皮肉にも愛があるから戦争は終わらない。

そんな内容だったかと思う。

この話には頷けることもあり「なるほど」とも思うが、「愛」の定義が、所有という概念を取っ払った「真の愛」であれば、そもそも争い自体が起こらないのでは?と思う。

「所有」という欲、が文明を成長させたのかもしれない。
人を駆り立てのかもしれない。

「古代の叡智を羨望し維持しようとする事は”停滞”を意味する。既存の叡智と新たな発明と混じ合わせることで”進化”する事ができる」

なんていう意見もあるが、どうもその文明進展?進化?の果てである現代を正解とはとても思えない。

「所有」が意欲を生んだのかもしれないけど、同時に貧富を生み、不要な労働を生み、劣等感を生み、孤独を生み、自害を生み、環境破壊を生み、争いを生んだとしか思えない。

そんな進化なら、要らなかったんじゃないかって。思ってしまう。

寂しそうな顔している子供に話しかけても怪しまれない社会になってほしいと、切望する。

こういった発信も、経験や知識、思考の解放というテーマを掲げているものでもあるので、私も少しずつ「所有」からの解放を実践してゆこうと思う。





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