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京都からだ研究室 KyotoKarada Labがスタートします

コロナ禍の中で、今あなたは何を感じているでしょうか。社会や環境が大きく変化する中で、私たち個人も変化を迫られていると感じている方も少なくないのではないでしょうか。

私もその一人です。

ただ、いきなり「どう生きるか?」という問いは難しすぎます。

これまでの延長線ではない新たな世界を生きる上で、まずは「まっさらに」戻ること。

このたび、禅をともに学ぶ仲間とともに"京都からだ研究室"を立ち上げました。

からだ研究室という名前の通り、まさに「身体(からだ)とともに生きる」がテーマです。

研究室立ち上げにあたって、私の思いを少しお伝えさせてください。

これまでこのnoteでもお伝えしてきましたが、私の人生のテーマは「苦しみにどう付き合っていくか」です。

子供の頃から「苦しみ」について原因を分析し、解決方法を探していました。なんとか頭で考えて苦しみを消そうとしていたのです。

そんなとき禅の師匠となる藤田一照老師に出会い、苦しくていいのだと知りました。苦しみを嫌い消そうとするのではなく、すべてを受け入れていく方向へと変わったのです。

ただ正直なところ、今でも坐禅は苦手です。坐っていても、よく頭と身体が喧嘩しています。股関節が固いのも悩みです。息の出入りにフォーカスすると、息が苦しくなります。

坐禅会に参加して周りの方たちが、静かにドッシリと坐っているのを見ると、自分の坐禅が恥ずかしくなることもあります。

つい人と比べてしまうのも私の苦しみの一つです。このように、坐禅をしていると、さまざまな自分のエゴに気づかされます。弱く残念な自分にたくさん出会うのですが、今ではそれが面白くなっています。

ちなみに私はコーチとして人の話を聴くことが仕事なのですが、この聴くという行為は、まさに坐禅ではないでしょうか。ジャッジを手放しただ受け取る。沈黙を大事にする。また、うなずくという行為はまさに身体のコミュニケーション。うなずきながら身体が弾むとき、話も弾んでいます。一方で、身体が固まっているとき対話も固まっています。

最近少しずつですが、身体が自分とともにいると感じる瞬間が出てきました。頭で作り出していた孤独の世界からつながりへの旅がはじまっています。

もともと頭重視で生きてきた私にとって、身体性はまだまだ未知の世界です。皆さんはこれまでの人生でどのような問いに出会い、今探究されているのでしょうか。

それぞれの問いを持ち寄りいっしょに深めていく中で、きっと面白いことが起こってくるでしょう。

からだ研究室前期のテーマは『なまえを超えた自分に出会う』です。2月22日から受付を開始しました。

記念すべき初回のゲスト講師はボディワーカーの小笠原和葉さんです。

小笠原和葉さんのプロフィールはこちらから
https://bodysanctuary.jp/?fbclid=IwAR0N4foriy4WEXwQ5dZ_HOKoAMK6xpkWySpmP9HK1j5l_h9_i4B5mUdIiXA

以前、私は和葉さんのワークショップに参加したり、個人セッションを受けたことがあるのですが、「身体とつながる安心感」に包まれました。今もあのとき体験した安心感が身体の深くに残っていて、苦しくなったときの戻れる場所になっています。

25名という限られた人数で、たのしく、深く探究できたらと思っております。

からだ研究室 前期『なまえを超えた自分に出会う』
https://peraichi.com/landing_pages/view/kyotokaradalab

からだ研究室 前期『なまえを超えた自分に出会う』FBイベントページ
https://www.facebook.com/events/3783812321666945?acontext=%7B%22source%22%3A%2229%22%2C%22ref_notif_type%22%3A%22plan_user_associated%22%2C%22action_history%22%3A%22null%22%7D&notif_id=1613957439132063&notif_t=plan_user_associated&ref=notif

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