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苦しみの正体 転換期をどう生きるか

今年もあと僅かになってきましたね。私自身が今年の一字を上げるとすれば「苦」です。

クライアントさんとのセッションでも、いろいろな苦しみに出会った一年でした。コロナというのは、社会や経済という目に見える影響ではなく、私たち1人1人にも目に見えない影響を与えています。

大きな問題が起こった。今まで感じたことがない葛藤や疑問が湧いてくる。それは、表面的には歓迎できないものも多いです。ただ、苦しみというのは決して悪いものではありません。サインなのです。

苦しみというのは、大きな転換期と言えます。人生の節目には必ず苦しみがあります。今、あなたが苦しみを感じているとすれば、ターニングポイントに立っているといえます。

社会にとっても、個人にとっても、今年は大きな転換期といえるのではないでしょうか。

この苦しみをどう捉えるかで、これからの人生は変わってきます。


今年をいかに終わるか。

そして、来年をどうはじめるか。


2回に分けて、苦しみについて考えてみたいと思います。一年を総括する参考になれば幸いです。

仏教では、「生老病死」を4つの苦としています。苦しいのは生きている証なのです。

「苦しくていい」

子供の頃から理由のない「生き苦しさ」を感じていた私は、この言葉で許されたように感じました。そこからです。苦しみの探究がはじまったのは。

一言に苦しさといっても、いろいろな苦しみがあります。

私は子供のとき、なぜ人はこんなにも残酷なのか。自身はなんでこんなにも嘘つきなのか。思うようにならないのか。生きることが辛くて苦しかったです。

もう少し軽い苦しみもあるでしょう。何かをやりたいけど面倒くさいというのも私にとっては苦しさです。

また、人の悪口を言わずにはいられないときがあります。そのとき一瞬は気が紛れるかもしれませんが、後味はいいとはいえません。悪口は苦しさから一時的に避難している行為といえます。

苦しみというのは、人によっても違いますし、感じ方もさまざまなだと言えます。ある人がとても苦しいと感じていても、同じ状況になった別の人はそれを苦しさとは思わないかもしれません。

私自身、苦しみを探究する中で、苦しさが教えてくれていることに気づきました。そして、苦しさには大きく分けて2つあります。

前回の記事で今が一番幸せとお伝えしましたが、苦しみは今もあります。ただ、苦しみの質が変わりました。

一つ目の苦しみはエゴが生み出す苦しみです。自分自身が生み出す苦しみといってもいいと思います。日常の中で感じる苦しみです。以下のようなものがあるでしょうか。

・思い通りにならない
・時間がなくて焦る
・人の行動や言動に心が動揺する
・過去のつらかった経験が思い出される
・人と自分を比べる
・自分にないものばかりを欲しがる
・お金や名誉、評価への執着
・未来を考えると不安になる
・病気

もう少し深い苦しみもあります。これは生まれながらにして与えられた環境、生育歴、犯してしまった過ちなどから生まれる苦しみです。

・生まれた環境
・トラウマになっていることや身体の病、精神的な疾患
・犯してしまった過ち。
・自分ではどうにもならないこと

苦しみというのは、その人にしか分かりません。他者はその苦しみを理解することはできません。そこにまた「孤独」という苦しみが加わるのです。

苦しみが深くなっていくほど、解決することは難しくなっていきます。自分では解決できない。解決できないことは悪いことだとジャッジしがちです。しかし、そうではないのです。

解決できないからこそ、自分という執着を手放せることができるのです。

苦しみは深いほど、与えられた試練になっていきます。

自分が作り出しているエゴから生まれた苦しみと試練が作り出している苦しみは違います。エゴが作り出す苦しみは生きようすることから生まれる苦しみであり、試練から生まれる苦しみは生かされていることの苦しみといえます。

エゴが作り出す苦しみがあります。これは生きようとすることへの執着。
エゴから離れる苦しみがあります。これは生かされている試練。

生かされているという試練を生きていくことは、簡単ではありません。今この瞬間にも宿題を与えられています。

以前の私は、欲や執着などがあるから苦しいのだと思っていました。ただ、そうではなかったのです。与えられた試練を生きるのも苦しみがあります。ただ、これはエゴとの戦いではなく、エゴとの共存のように思うのです。

決して消えない苦しさはあるけど、「おかげさまで」「ありがたい」という気持ちがいっしょにあるのです。これは苦しさと幸せがともに存在している状態です。

「苦しいから幸せではない」

以前はそう思っていました。だから、苦しさを減らそうとしてきましたが、幸せは増えませんでした。

「幸せを増やせば苦しみは減る」

だから、幸せを増やそうとしました。幸せは増えませんでした。

そうではなかったのです。苦しみがあるから幸せがある。幸せがあるから苦しみがある。2つは選べるものではなく、表と裏だったのです。

大事なことは、本当の苦しみを知ること。
本当の苦しみには、愛と感謝と希望があります。

生きる意味が見つからないときがあります。やってきたことが無駄だったと落ち込むときがあります。何かをやろうとしても気力が湧いてこないこともあります。そういうとき、幸せになろうとすると幸せではない自分とのギャップに苦しむことになります。

そういうとき、まずは苦しみを探究してみませんか。

あなたに与えられた試練とはなんでしょうか?与えられた苦しみとは?

すみません。苦しみという言葉がズラリと並んでしまいました。読んでいて苦しくなった人もおられたと思います。今回のメルマガを読み返してみて、私の中で「苦しさ」とどう付き合っていくかが生きるテーマになっていることにあらあめて気づかされました。

もし、今生きることが苦しいと感じている人がおられたら、まずは「苦しくていい」ということをお伝えしたいと思います。少しでも何かのヒントになれば幸いです。



ここまで読んでくださりありがとうございました。今回はいかがだったでしょうか?

今、食堂の準備を進めていますが、いろいろな問題がやってきます。

問題が少なければ対処も出来るのですが、複数が同時にやってくるとさすがに気が滅入ってきます。そもそも楽しむことが苦手な私にとっては、苦しいことかばかりがやってくるように感じます。

ときどき、コーチだけやっていれば楽だったのにと思うことがあります。ただ、この道しかなかったとも思います。与えられた試練という道です。

以下は最近の自問自答です。

焦ってだした答えというのは、「上手くいくかどうか」に突き動かされている。

結果から生きようとしていると、どれも浅い部分しか味わえない。たとえ上手くいっても、そのときは次の出来事への不安がつきない。これは今が横滑りしている。

結果こそ、かるーく受け止めよう。かるく流そう。

未来が軽くなるほど、今は深く豊かになっていく。


食堂をやるからには、早く結果を出したいという思いがあります。これは「上手くいくかどうか」を基準にした生き方であり、食堂をはじめる前の「古い自分」だと気づきました。

どんなに新しいことをやっても、考え方が古ければ、それは今までやってきたことと何も変わりません。

今回与えられている試練は、上手くいくかどうかではありません。頭では分かってはいても、どうしてもお馴染みの古い自分に戻りたがるのです。

今、古い自分の流れと新しい自分への流れが交差しています。渦潮の激流の中で必死にもがいています。

傷つきやすく繊細な自分は必死でなにかを守ろうとしています。以前でしたら、傷つかないように必死で早く問題を解決しようとしていました。

今は、必死で激流にとどまろうとしています。今にも溺れそうなのですが、まだなんとかなっています。

気がつけば、最近「ありがとう」という言葉が圧倒的に増えました。

人の助けを借りないとなにも進みません。困っていて助けてもらえたとき「ありがたい」という気持ちが自然に湧き出してきます。感謝は自分を謙虚な場所に戻してくれます。

今、少しずつ「古い自分」は「新しい自分」に変わっています。

おかげさまでいい修行をさせていただいていると思います。

次回に続きます・・・



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