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頑張らないから見えてくるもの 間違えて笑える人になろう!!

前回の記事に引き続き、ボーッとすることについてお伝えします。前回はスポーツについてでしたが、今回は「仕事」についてです。

前回の記事はこちら「真の集中力とは 頑張りすぎる集中の罠」

仕事でボーッとしていると、どうなるでしょうか。

まず、間違えます。

最近、食堂でボーッとするのをテーマにしているのですが、レジで金額を打ち間違えます。また、発注を間違えたり、頭で考えている言葉とは別の言葉が飛び出たりします。

ボーッとしてみて気づいたのは、次のようなことです。

それは、いかに間違えないように頑張っていたかということです。

間違えないようにするというのは、一言でいうと、頭で考えて努力している状態です。

これを「頑張る」というのです。

コーチングのセッションでは、クライアントさんに「なにを頑張っているのですか」と尋ねることがあります。

こう質問すると、言葉に窮されることも多いです。あなたはいかがですか?

頑張ることが当たり前になっていたり、頑張ることが目的になっていて止められなくなっていたり。



間違えない人は優秀かもしれませんね。隙がありません。

頑張っている人に共通しているのは、緊張感です。

緊張感は、部分的な集中の一つの形です。緊張感は相手との間にバリアを作ります。

この緊張感は頭で作っているものです。頑張ろうとするほど、緊張感は高まります。

ボーッとすると、この緊張感が緩みます。緊張感が緩むので、間違えるのです。

緊張感がある人とない人では、間違えたときの反応が違います。

緊張感がある人が間違えると、周りにも緊張が走ります。間違いについて触れてはいけない雰囲気が場を凍らせます。

一方で、緊張感のバリアがない人は、間違えたときに、周りから笑われます。このバリアのない状態が柔らかいコミュニケーションのはじまりと言えます。

緊張感がある人との対話は固いです。一方で、緊張感がない人との柔らかい対話には、笑いがあります。そこに面白いアイディアがいろいろ湧いてくるのです。



坐禅でも、頑張り過ぎるときがあります。

いい姿勢、いい呼吸、そして寝ないこと。

先日、坐禅をしていて、寝ないように頑張っていることに気づきました。

たしかに坐禅では寝てはいけないとされています。しかし、寝てもいいと思えると、ふっと全身の力が抜けていき、自然に力みが抜けていきました。すると、周りの音や身体の感覚が、逆に研ぎ澄まされていきました。そして
結果的に、寝ないのです。

先程の食堂の話に戻ります。最初はレジを打ち間違えたりしていましたが、だんだんレジの打ち方が変わっていきました。

次第にゆっくりと打つようになったのです。

また、それまでは懸命にレジの数字を凝視していたのが、お客さんの表情を見るようにもなりました。常連さんとの楽しいコミュニケーションも生まれています。

結果として、今はほとんど打ち間違えることがなくなりました。



頑張る人の特徴は、手を抜けないことです。手を抜くのが怖いのです。

食堂では、どこかで自分が一番頑張らないといけないと思っていました。これまでの人生で率先垂範を大事にしてきたのだと思います。

食堂でボーッとすることを始めた当初は、頑張っていないのではないかと不安が襲ってきました。

そうすると、キュッと頭の一部に力が入るのが分かりました。

頑張ると、身体にも力みが発生します。ときどき頭が痛くなることがあるのですが、無意識に身体に負担をかけているのです。

しかし、頑張っている人は、その力みに気づけません。普段から頑張って力んでいるので、力みが普通になっているからです。



力んでいる人は「エネルギーが強い」という特徴があります。

強いのは、仕事においてはいいことだという人もいらっしゃると思いますが、エネルギーが強いと、表現が断定的になったり、無駄に声が大きかったりします。

強い言葉は相手に威圧感を与えます。

あなたは、強い言葉が飛んできたとき、どう感じるでしょうか?

私は断定的な人は好きではありません。意見が違うと攻撃されるのが怖いからです。強い人には表面的に合わせておいて、それ以上の関わりを避けようとするかもしれません。

しかし、自分自身も手が抜けないモードのスイッチが入っているとき、頑張って強くなる傾向があったのです。



ボーッとすることで、力みが起こったときに気づけるようになります。

手が抜けないモードは、まさに力んでいる状態です。このとき身体が固くなり、視野が狭くなる傾向があります。それが言葉の強さになります。

一方でボーッとしていると、目が柔らかくなり、周りが見えてきました。

お客さんが食事をしている顔、スタッフの動き、全体の流れが見えてきたのです。私が頑張ることで全体の流れを邪魔しているのではないかと気づきました。

私が前に出すぎていることで、スタッフの動きを妨げたり、やる気を削いでいるのはないかと。そこから私はお客さんの前に出るのではなく、後ろに下がりました。

すると、スタッフの動きが変わってきたのです。その姿は以前よりも、イキイキしているように見えました。

頑張らない今の私のポジションは、スタッフの手が足りないときのサポートと洗い場になりました。

手を抜くことで、自分がすべき役割が変わってきたのです。



「頑張る」ことと「ボーッとする」のは、どちらが良い、悪いではありません。交互に体験していくことで、いい塩梅の心の張りが生まれてきます。

頑張る→ボーッとする→頑張る→ボーッとする

手を抜くのもいっしょです。交互に体験することで、部分への集中と全体への目配りのバランスがよくなりました。

頑張る→手を抜く→頑張る→手を抜く

「ボーッとする」「手を抜く」ことで、優秀ではなくなるかもしれません。しかし、だからこそ見えてくるものがあります。

頑張っているモードの私の言葉は、間違えないように常に緊張感があったと思います。私が思っているよりも言葉が強くなっていました。

一方で、ボーッとしているときには隙があります。周りの音や場の雰囲気を吸収して、次第に柔らかく自然体の言葉になっていきます。



頑張っているときの仕事。それは「自分の仕事」にこだわっている状態といえます。

自分が満足できるか。自分がどう見られているか。

「自分の仕事」になっているとき、確かにあなたは頑張っているでしょう。
ただ、「自分の仕事」は部分的な仕事といえます。あなたが自分で決めた役割を果たそうと、もがいている状態といえます。しかし、自分だけで果たす役割には限界があります。

間違えないように頑張っていると見えない世界があります。見えない世界…「自分の仕事」の枠の外といってもいいかもしれません。

ボーッとするのは、自分を手放すということです。「自分の仕事」という意識が薄まることで、全体の仕事が見えてくるのです。その中で、あらためて自分という役割が浮かび上がってきます。



ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

今回は、頑張っている方へのエールになればと思い書きました。

私が出会う方々は頑張っている人が多いです。そして頑張っているからこそ、苦しみも多いと感じます。

頑張ることにこだわるのではなく、いかに頑張ることを手放していくか。

そのために、頑張ることの真逆を体験していくのです。私自身、ボーッとすることを取り入れることで、新たな境地が見えてきました。

先日は、また頑張っていました。そのとき、どこからかある言葉がやってきたのです。

「楽にいていい」

これは私自身のテーマかもしれません。ボーッとすることで、少しずつ「楽」という感覚が体験できるようになってきました。

それは「楽ではない」という状態に気づけるようになったからなのです。

ぜひ、あなたも真逆の体験をしてみてくださいね。いろいろな発見があると思いますよ。



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