『エンジェル・ダスト』 石井聰亙監督の映像センスは抜群だが、物語性に難がある。

評価 ☆☆☆



あらすじ
夕刻の満員の山手線。電車内で女性が殺害されるという連続殺人事件が起こっていた。被害者の腕にどれも注射跡があった。どうやら薬物混入らしい。異常犯罪性格分析官である須磨節子は、この連続殺人事件の担当に任命される。



僕は石井聰亙監督の『狂い咲きサンダーロード』が好きで、彼の作品を比較的選んでみていた。だが、いつしか彼の作品を観ていない。興味も薄れつつある。いまは改名したそうで、石井岳龍監督という名前だという。



1994年公開の『エンジェル・ダスト』は、石井聰亙時代の監督作品。出演は南果歩、豊川悦司など。ネットの評価はあまり芳しくない。しかし、この映画での彼の映像センスは抜群である。撮影の笠松則通も素晴らしい。



地方から出てきた人間は敏感に感じる、あの都会は孤独を集めた空間、異様な世界がうまく映像化されている。そのいびつな世界で起こるサイコ・サスペンスが『エンジェル・ダスト』である。



特に僕が好きなのは車の運転シーン。ほんの数秒にも満たない、森の中の疾走するこのカットは日本映画類を見ないほどに美しい。森のシーンも秀逸。『水の中の八月』にもつながっていく石井監督の独特のイメージだろう。森の中の静かな光景は興味深かった。



だが、才能溢れる画面の集積だけが映画を構成するものではない。観客の興味が失われてしまうストーリー展開になっている。題材はいい。逆洗脳士(まるで苫米地英人氏のようである)の話で、自らが手を汚さない連続殺人の話も面白い。



動機も乏しい。連続殺人の根拠が「愛」では誰も納得できない。なんだそれ? みんながわかっていながら、これまで描くことが少なかった根拠ならば良いのだろうが。



論理性もあまりない。なぜ女性しか狙わないのか、どうして月曜日の夜6時なのか、なぜ場所にこだわったのか、それらの理由がしっかり描かれてないと納得できない。別にすべて論理的ある必要はないけれど「腑に落ちる」部分を観客の立場で丁寧に描いていない。だから、物語全体がリアリティのないものになる。



阿久礼(若松武)がそんなに須磨(南果歩)を求める理由も描かれていない。阿久が幼稚な性格であるならば、それはそれでどこかに描く必要がある。須磨と須磨の夫(豊川悦司)との関係もあやふや。



とは言っても、この頃の石井監督の映像センスは抜群。僕は『逆噴射家族』が嫌いだった。でも『エンジェル・ダスト』はいい。彼の最高傑作は『高校大パニック』(8ミリ版)か、『狂い咲きサンダーロード』か、『エンジェル・ダスト』ではないか。最新作は別のひとが作ったと考えるほうがいいんだろうね。だって改名されているんだから。



初出 「西参道シネマブログ」 2012-3-27



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