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『逃れの街』 聖書的な解釈も成立する。光と影の魔術師、工藤栄一監督の代表作。

評価 ☆☆



あらすじ
青年、水井幸二は配送トラックの運転手だった。毎日変わらない日々。「兄貴」と自分のことを呼ぶ米倉と飲んだり、競馬をしたり、などでひまをつぶしていた。ある日、昔の仲間である沼田から連絡があった。一泊させてほしというものだった。断りきれないまま、沼田がやってきた。



工藤栄一監督の『十三人の刺客』がリメイクされた。昔の名画座だったら一斉に工藤栄一特集を組むんだろうな。そういう時にきっと上映されるのが『逃れの街』に違いない。



『逃れの街』は1983年公開の映画で北方謙三の原作、工藤栄一の監督、水谷豊の主演、平田満らが出演していた。北方謙三のファンからは良い評価を得られていないし、水谷豊ファンからもそんなに良いと思われていない。それでも僕はたまにこの映画を観たくなる。



多分、工藤監督独特の演出のせいである。カッティングの妙味といってもいい。映像を重視したせいか、物語が犠牲になっているので、正直、話がよくわからなくて面白く感じない。原作は読んでいないけれど、原作のほうが数段面白いのは想像できる。話の題材や展開は興味深い。映画の方はどこか中だるみな印象を受ける。



誤解によって次第に殺人犯となってしまうその有様はアメリカンシネマの影響を感じる。同時に「逃れの街」とは旧約聖書に記された過失によって殺人を行ってしまった人々の安息の地を意味する。いわば逃亡の間にあるつかの間の幸せ。同時にそれは我々の人生をも意味しているのかもしれない。



市川崑監督がスタイリッシュな陰影なのに対し、工藤監督の陰影はリアルである。市川監督はコマーシャル的で、工藤監督は写実的と表現すればいいかもしれない。両者共、光と影に極端な陰影をつける作品を撮影しているが、受ける印象がまったく違う。工藤監督の方が腑に落ちる感じがある。



僕は好意的に支持したいが「つまんなかったよ」と言われるひとがいてもおかしくない。話が混乱しているから。でも、光と影の魔術師と言われる工藤監督らしい一本である。最近、こういう映像にこだわりと持つ監督が減ってきた。映像だけがよければいいわけではないのだが。それにしても寂しい限りである。



初出 「西参道シネマブログ」 2010-11-11



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