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『オール・ユー・ニード・イズ・キル』 映画としては古臭いタイプの戦意高揚もの。鈍感な人間ほどハマる。

評価 ☆



あらすじ
ある日、ハンブルク郊外に謎の隕石が落下した。しかし落下したのは隕石ではなく擬態したエイリアンだった。彼らは5年かけてヨーロッパを侵略。世界各地に飛び火しつつあった。エイリアンと戦うために組織された「統合防衛軍」は、機動スーツと呼ばれる最新鋭パワードスーツを導入、日々、戦闘を繰り広げていた。



昔、ノストラダムスの大予言ブームがあった。「1999年にはきっと世界は滅ぶんだ」と思って勉強しなかった子供たちもい。世界は滅ばなかったけれど、勉強しなかった自分の人生は滅んでしまった……という意味で、あの予言は正しかったのかもしれない。コホン。



このノストラダムスの大予言の中に「マルスは幸福の名の下に支配するだろう」という一節がある。よく考えれば戦争を始める常套文句だ。「平和のために戦おう! 」。どうです? いまでも政治家はこの言葉を発しているでしょう?



さて、2014年公開の作品『オール・ユー・ニード・イズ・キル』は戦争の素人である主人公が戦地に送り込まれるところから始まる。監督はダグ・リーマン。出演はトム・クルーズ、エミリー・ブラントなど。緊迫感はあるが嫌なシーンが連続する。『装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ』(アニメ)みたいな感じだ。



主人公は戦闘途中で殺されちゃうんだけど、タイムリープして最初からやり直し。何度も何度もリプレイしていくうちに臆病だった男がスキルを高めてプロになっていく。戦争版『恋はデジャヴ』です。



武器のセイフティ解除もできなかった男が経験を積んでいくうちに周囲から一目置かれるプロになるのを観て「おお、俺も経験積んだらこんなふうになるんじゃね?」と思えるように描かれている。現実と映画の世界を混同しないように。現実世界では一度死ぬと絶対によみがえらない。



原作は日本のライトノベルだが、ストーリー展開はハリウッドのセオリーを踏まえている。その点には、ほとんど興味はない。そういうのを探しているひとは、他の批評を読んで欲しい。気になったのは映画の持つ戦争擁護的な雰囲気と古典的なテーマである。



映画の中では異星人の血を浴びたことが原因で“選ばれし者”となる。つまり血が勝者の要因。能力を失ったり、手に入れたりの際にも「血の交換」が行われる。選ばれし者と血というモチーフは古い。ナチスがそうだし、KKKがそうだ。



もうひとつは戦地がヨーロッパであること。アメリカの行ったノルマンディ上陸作戦そのものだ。世界平和という名の下にアメリカがおせっかいに戦争介入してくる図式も20世紀的すぎる。



相手が、高性能な銃や武器を使う相手ではなく、砂地や物陰から突然飛び出してくるゲリラ戦法のエイリアンなのもうんざり。挙げ句の果てにエイリアンのボスキャラを倒せば終わりというオチもどうか。



司令の中枢が倒れれば、全部のエイリアンが倒れてしまう? ヒトラーを倒せば終わり? ビンラディンを殺せば世界に平和が戻る? どこまで古典的発想の映画だよ。



パワードスーツに身を包み、装備が最新化した映像であっても結局中身は古くさい。そうそう。パワードスーツの兵士が新しいのか? 生身の人間が戦争をするという発想がすでに古い。



現実世界では戦争の無人化が進んでいる。いっぱいロボット作ったほうが戦場に兵士を送る人権問題を解決できる。トム・クルーズはそれなりに頑張っているが、どことなくニコラス・ケイジに似ているエミリー・ブラントは微妙あった。このひと、奈良岡朋子にもどことなく似ている。



ご都合主義的なハッピーエンドもなんだかなぁ。バッドエンドでいいじゃないか。戦争にハッピーエンドがないことは観客が一番よくわかっているでしょう。



映像には洗脳という罠がある。注意深く観ていかないとその罠にすくい取られてしまう。特に戦争や犯罪に関する映像は気をつけよう。『オール・ユー・ニード・イズ・キル』は単なるハリウッド娯楽映画だと思わないほうがいい。



戦意高揚映画を見せられて「戦いはかっこいい」と刷り込まれて死んでいった特攻隊の若者たちと『オール・ユー・ニード・イズ・キル』に興奮するあなたとはどう違う? 作品として本当に面白いのか? むしろ危険なのでは? じっくりと考えて欲しい。



初出 「西参道シネマブログ」 2014-11-02



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