『白昼の通り魔』 映画文法としては最高レベル。ベルトリッチの『暗殺の森』が凡庸に思えるほどだ。
評価 ☆☆☆
あらすじ
ある夏の信州の農村、川の氾濫によって畑を駄目にした篠崎の娘であるシノは、ホップ栽培とニジマス養殖を計画する。資金を村長の息子である源治から借りた。代償に彼女は彼に身をまかせる。
大島渚監督の作品を多くは観ていない。『戦場のメリークリスマス』『愛のコリーダ』『夏の妹』『東京戦争戦後秘話』『青春残酷物語』くらい。面白いし、才能があるとはもちろん思うけれど、いま一歩踏み込めない。「大島渚という映画監督はどう評価していいのかわからないな」というのが正直なところだった。
もちろん『戦場のメリークリスマス』や『青春残酷物語』は文句なく面白い。でも、大島渚らしさというか、この監督だけの何かを感じ取れなかった。しかし、1966年公開の『白昼の通り魔』はそうではない。本当に素晴らしい。出演は河口小枝、小山明子、佐藤慶など。
彼の才能を全編通じて感じさせてくれる。カメラアングル、モンタージュの斬新さはまさにヌーベルバーグ。トリュフォー、ゴダールたちを凌駕する素晴らしさである。特に前半10分はあまりの映像のキレの良さに圧倒された。
中盤には古臭いカットも出てくるし、内容もちょっと疑問なところが多くなる。それでも、量産される現在の邦画に比べれば格段に面白い。丁寧にカメラの構図が決められ、モンタージュの妙味を存分に引き出している。ベルナルド・ベルトリッチの『暗殺の森』のような感じと表現すればいいか。いや、ベルトリッチの方が凡庸に思えてくるほど。映画を志すひと、映像関係者ならば、この作品は絶対に観るべきである。
映像が素晴らしいのに比べるとストーリーはさほどではない。ドラマは自由と平等を謳った若者たちの集団(コミューン)の崩壊。農村と都市との問題、貧困と富裕、知性と野性、愛とセックスなどの問題が入り乱れる。このまま展開していくと連合赤軍まで話が延長しそうな題材である。時代的な要素が大きいのかな? つまらないわけではないが、魅力的かといわれたら疑問符が湧く。
登場する人物像は悪くない。川口小枝、小山明子、佐藤慶、戸浦六宏という主要な四人は存在感がある。 特に佐藤慶がいい。まるで中上健次の小説から抜けだしたような野生的な魅力。小山明子は知的に美しく、川口小枝は母性的な魅力を醸し出す。彼らが魅力的に見えるのはモンタージュやカメラアングルが良いからだ。ある時はセクシャルで、ある時はのけぞるくらい美しいショットで画面に登場する。
大島渚という監督の、ナイフのように鋭敏な感覚で撮り上げた秀作。すでに1966年にこのような作品が日本で登場していることにも驚く。日本映画はどれだけすごかったんだ。
初出 「西参道シネマブログ」 2014-07-01
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