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『消えた天使』 アヴリル・ラヴィーンの演技も? がつく。人気薄のレストランで出されるディナーのようだ。

評価 ☆



あらすじ
性犯罪登録者の監視を続けてきた公共安全局、ベテラン調査官のバベッジは、ある日、後任の新人調査官アリソンを指導するように命令される。若く経験の浅い女性アリソンは、最初のうちは従順なものの、次第に手荒とも思えるバベッジの調査方法に反発を覚えるようになっていった。そんな中、10代の少女の失踪事件が起きる。



僕は『インファナル・アフェア』という映画が好きなので何度も観直している。いったい誰がこの映画を作り上げたのか? という疑問がずっとあった。普通ならば監督であるアンドリュー・ラウが作ったという答えになるだろう。だが、映画は監督だけのものではない。総合的な芸術だから、そのカラーが誰によって作られるかはわかりにくいし、ある意味では重要ではないかもしれない。でも、気になっていた。



2007年公開の『消えた天使』はアンドリュー・ラウ監督のハリウッド進出第一作である。リチャード・ギアを主演に迎えている。クレア・デインズも共演している。映画のトップシーンは寂しい何もない荒地から始まる。このシーンはどこかで見たことがある。そうだ。『セブン』のラストシーンと同じような風景だった。『消えた天使』が『セブン』の延長線上に描きたいという監督の意図なのだろうか。題材もテーマも似ていた。



次の台詞が登場する。「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。 おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ」。ニーチェの有名な言葉だが、この言葉を有名にしたのはロバート・K・レスラー著の『FBI心理分析官』という本。彼はプロファイリングの産みの親とも言われている。彼にインタビューをして書き上げたと言われる小説が「羊たちの沈黙」。つまり、この台詞は映画『羊たちの沈黙』と同等であることを示そうとしているのだろうか。



『消えた天使』の根底にあるのは、異常性欲(快楽殺人といってもいいだろう)そして連続殺人事件。『セブン』と『羊たちの沈黙』というふたつの作品を混ぜ合わせようとしたようだ。しかし、アンドリュー・ラウの思惑は失敗している。映画は方向性を見失い、リチャード・ギアの演技は虚しく見える。



結局、アンドリュー・ラウにはオリジナルを作り上げる力はないのだろうか。『インファナル・アフェア』は彼の力で作り上げられたものではない。やはり、パン兄弟が裏で大きく影響しているのかな?



『消えた天使』を観ると、哲学のない映画はこれほどまでに無残なものなのかがよくわかる。まるで三流キッチンで出されるスペシャルディナーのようだ。すべてが中途半端で不快だった。これを美味いと食するひともいるだろうが、少なくとも僕の口には合わない。この映画そのものにも天使はいない。タイトルと同じように。



アンドリュー・ラウ監督のハリウッドデビューにして、ミュージシャンのアヴリル・ヴィーンの映画初出演作。残念な結果でした。



初出 「西参道シネマブログ」 2008-04-07



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