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『武士の家計簿』 ユニークな内容だが、森田監督はこの映画を撮りたくなかったのでは?

評価 ☆



あらすじ
江戸末期、加賀藩の金沢城算用場にぱちぱちとそろばんの音が響いていた。算用とは会計を司るという意味。加賀百万石には大勢の算用者を抱えていたが大多数が下級武士の出身だった。猪山直之もそのひとり。直之は見習の頃から「算盤馬鹿」と呼ぶほど会計計算が得意だった。



映画を観ていると、たまに熱のようなものが伝わってくることがある。その映画に関係したひとの多くが「ああ、本当にこの映画を撮りたかったんだろうな」というのがわかるのだ。不思議なものである。



逆の場合もある。ゴージャスなキャスト、スタッフを取り揃えても「なんだ? 」という感じがすることもある。いわば野球で言うとフロントとスタッフの思惑が一致していない感じというのか。そういうのは興ざめ。



2010年公開の『武士の家計簿』は、残念ながら後者のような感じが伝わる作品だった。監督は森田芳光。出演は堺雅人、仲間由紀恵など。キャストも悪くない、スタッフも良い。でも、この映画にのめり込めない。熱がまったく伝わって来なかったからだろう。



ちなみに、ここ数日、僕は日本全国を旅していて、この映画を観たのは金沢だった。映画の舞台も金沢である。本当に偶然なのだが、そのせいで最初は興味深く楽しめた。経済から武士の生活を検証するという視点は面白かった。原作は歴史学者・磯田道史で「武士の家計簿『加賀藩御算用者』の幕末維新」が元になっている。



中盤あたりからだんだんと「いったい、この映画は何を描きたい? いったい何を観せられているんだ? 」と感じる。森田芳光監督の作品はかなり観ているが、最近の映画になると、なぜかそんなふうに感じることが多くなった。観終わった後に「森田監督はこの映画を撮りたかったのではない」というのが僕の結論。少なくとも乗り気ではなかったのでは?



もう少し考察を加えよう。黒澤明監督の『七人の侍』は、当初、武士の一日がどのようになっているかを調べて企画を練っていくうちに、次第に変化したものだという。多分、森田芳光監督もそのあたりを企画しつつ、膨らませようとして、こっちにたどり着いたのかもしれない。しかし、途中であまり面白くないことに気づいたのか、それとも映画的でないと思ったのか。



「意外と面白いじゃないか」と言うかもしれないし、「職業として監督をしているんだから、仕方ないんじゃないか」とも言える。だが、愛情を持てない企画や作品は創作しないほうがいい。仕事のより好みはできないかもしれないけれど、気の進まないものは極力避けるべきである。その方が結果的にクライアントにも、観客にも、喜ばれることになる。



主役の堺雅人も、仲間由紀恵も、中村雅俊、草笛光子そして松坂慶子なども悪くない。しかし、全体としての方向性がわからない。日本経済の現状に斬り込むのか、日本人のいまの生活を反映させるのか、中途半端な感じが拭えなかった。



昔の森田芳光の映画はそんなことはなかった。どの映画にもしっかりとした視点があり、彼ならではのアプローチがあり、そこに感動できた。良くても悪くても、彼は彼らしさを貫こうとした「こだわり」が伝わってきた。誰からも愛されようなんて気持ちはぜんぜんなかったのだろう。



彼も年齢を重ねた。でも、そのスタンスで本当に良いのだろうか? 小津安二郎がいくつになっても、どんな映画でも小津であったように、鈴木清順があの年でも清順なように。映画監督は常にスタイルを保つ必要があるんじゃないか、とも思う。森田監督もいつまでも森田であってほしかった。残念な感じがする。



でも、この映画はネット上での評価が高い。不思議なものである。



初出 「西参道シネマブログ」 2011-10-10



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