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『探偵はBARにいる』 キャストにハードボイルドの歴史が見える。いつからコメディになったのか?

評価 ☆☆



あらすじ
北海道随一の歓楽街、札幌ススキノ。この街で自由気ままに生きている中年男性がいた。探偵をしているが個人事務所を持っていない。代わりに、『ケラーオオハタ』という行きつけのバーの名刺を持ち歩いている。彼に依頼したい場合はバーに電話をかける。



レイモンド・チャンドラーに代表されるハードボイルド。映画におけるハードボイルドは探偵ものに数多く見られていた。探偵限定といってもいいくらい。



ところが、ハードボイルドは廃れ、コメディという要素すら持ってしまった。テクノロジーや社会の変化を嫌い、やせ我慢を貫いて自分のスタイルを変えないことはカッコイイことではなくコミカルでしかない、ということか。



その意味で2011年公開の映画『探偵はBARにいる』で主人公が大泉洋なのも納得。監督は橋本一。出演は松田龍平、小雪など。この作品はリアルなハードボイルドを求めているが故にハードボイルドを貫き通している男がいかにコミカルであるかを示している。



だからといって、この映画が単なるコメディで成立しているわけではない。もうひとひねりあって「それでも人生ってのはわりとハードだよ」という落としどころになっている。この表現の仕方を新しいと指摘しているひとも多いけれど、70年代から80年代に映画やドラマで数多く描かれたものだ。



代表的なのがテレビドラマシリーズ『探偵物語』だろう。主演は松田優作。ちなみに『探偵物語』は後に人気アニメ『カウボーイビバップ』を生んでいるし『探偵はBARにいる』に優作の息子、松田龍平が登場しているのも偶然ではないだろう。製作者たちのリスペクトと捉えることもできる。



確かにやりたい方向性はわかる。設定もセリフもハードボイルドだし、話の展開もそんなに悪くないがテレビドラマの域を出ない。テレビドラマと映画の違いは何か? それは呼吸である。テレビドラマにはコマーシャルがある。だから呼吸をリセットできるし、そこを考えて脚本家たちは話を展開する。ところが映画にはコマーシャルがない。うまくシークエンスを進めないと話に乗れなくなる。



倉本聰脚本の映画はあまり面白い感じがしない。でも彼の映画をテレビでオンエアするとすごく面白く感じる。彼の脚本はテレビの呼吸で作られているらしい。



『探偵はBARにいる』の各々のエピソードは興味深いが、後半になると話が混乱する。話が複雑だからではない。映画的ではないからだ。主人公がどこに心の拠りどころにしているのかわからなくなる。女なのか、虫けらのように殺される一般人なのか、それとも良いひとだとわかった殺された男なのか、なんだかよくわからない。短くても呼吸が映画的ないと本当にわからなくなる。



俳優陣は悪くない。大泉洋もいい、松田龍平もいい、みんながいうほど小雪も悪くない。設定も面白い、エピソードの各々も別に取り立ててガミガミいうほどのことではない。でも、映画になっていない。



逆に映画になることを求め過ぎて失敗したのが『私立探偵 濱マイク』シリーズだ。もともと『私立探偵 濱マイク』は萩原健一主演のテレビドラマ『傷だらけの天使』を元にしている。映画になっているけれど、テレビとしては面白くなかった。



個人的に喫茶店のエロエロメイドの安藤玉恵の演技に笑ってしました。いないって、あんなメイド。でもいい描き方である。彼女はブレイクするだろう。いや、して欲しいものです。



初出 「西参道シネマブログ」 2013-6-10



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