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『ブラックホーク・ダウン』 映画はゲームではない。リドリー・スコットがハリウッドに魂を売った作品。

評価 ☆



あらすじ
1993年ソマリア。米軍は多国籍軍大規模作戦に参加する。30分で終了する予定だった任務で軍用ヘリコプター、ブラックホーク一機が撃墜された。生存者と死体収容のために米軍で救出作戦が開始されるが、命を顧みない敵兵のゲリラ攻撃によって、事態は次第に深刻さを増していった。



リドリー・スコットはハリウッドに魂を売った監督である、と断言してもいいくらいの映画だった。正直、リドリー・スコットのことを「どうしようもない」と思う日が来るなんて考えられなかった。初期の頃の志など、どっかへ行ってしまった。 なんなんだ! これは! 久しぶりに頭にきた。



『ブラックホーク・ダウン』は2001年の映画。監督はリドリー・スコット。出演はジョシュ・ハーネットなど。実際にソマリアであった「モガディシュの戦闘」を題材に、多国籍軍とゲリラの戦いを描いている。



理由はいくつかある。この映画を面白いという人が多いことも変だろう。「ホンモノの戦争みたいだ」「リアルだ」という。だまされてはいけない。これは映画である。



映画の中にホンモノなどない。砂埃で目が見えなくなることもないし、大量の血の匂いも、死体の焦げ付く臭さもしない。誰も脱糞しない。一番近いのはよくできたシュミレーションゲーム。ゲームみたいだ、というのが一番まともな感想である。



戦争の本質とは何か? を問いかけるわけでもない。この映画は単なる戦争ごっこゲームの延長である。兵士の孤独? 兵士の苦悩? おいおい、このレベルじゃないだろう。きれいすぎる。



ソマリア人たちの描き方はエイリアン、ゾンビ、ゲームキャラでしかない。なんだそれ? そこに何かの意図があるのか? あるとすれば深さが足らない。戦記高揚という意味なのか。よくわからない。別に戦争反対主義者になれというわけでもないが。



もうひとつ気になったのは、映像的なセンスがないことだ。昔のリドリー・スコットには映像に哲学があった。光と影に対する敬意が感じられた。『グラディエーター』もひどかったけど、それ以上に『ブラックホーク・ダウン』には映像に対するこだわりがない。



『ハンニバル』は完全に映像から逃げていた。リドリー・スコットはもう立ち直れない。良い監督だったのに金に目がくらんで魂を売った人間の作りあげた映画がどんなものか、興味のある人は観て欲しい。本当にひどかった。




追記



「ファンは保守的である」という表現がある。僕はかつてリドリー・スコットファンだった。だからか? 彼の最近の映像には本当に失望する。もしかしたら再び素晴らしい映像美を見せてくれるのではないかと期待をしたりもする。しかし、現実はそう甘くない。それが人生なのだ。



初出 「西参道シネマブログ」 2007-04-20



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