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『台風クラブ』 規制がゆるい時代だからできた作品。ラストまですごい。

評価 ☆☆☆☆



あらすじ
地方の中学に通う生徒たち。夜中にプールに忍び込むなどの悪戯をしたり、恋愛をしたり、普通の中学生活を送っていた。ある日、大型台風がやってくるという予報が聞こえる。その朝、クラスメートの理恵は彼氏である恭一の呼びかけに応えず、ふらりと東京行きの電車に乗る。



友人のM氏が故郷に戻るという話を聞いた。彼とは30年近くの付き合いだった。僕は彼と話をしていて、初めて彼と話をした時のことを思い出していた。それはサークル仲間と一緒に行った居酒屋だった。彼と何を話したのかは覚えていない。ただ、その時になんとなく彼の存在感が奇妙に浮きだっているように思えたのを覚えている。存在感が独特な男だなぁ、という印象だった。



映画も人間と同じで終わった後の余韻のようなもので決まる。『台風クラブ』は奇妙な余韻の残る映画である。公開は1985年。監督は相米慎二。出演は工藤夕貴、三浦友和など。ストーリーを追うだけが映画ではない。そこには感覚的な何かがなくてはいけない。



この物語は台風が中学校にやってくる前後の数名の中学生たちの話。唐突だし、論理性もない。筋道立てて考えようとしても難しい。そういう脚本だった(確か、プロの脚本家によるものではなかったと思う)。中学生たちが全裸になって雨の中を踊るシーンとか、焼いた銅板を女子中学生の背中に入れるとか、執拗に繰り返される暴力シーンとか、ショッキングなエピソードもいろいろある。



昔のほうが規制の枠がゆるかったんだね。相米慎二監督はそれらのエピソードを日常の一部のように長回しで丹念に切り取る。さすが相米監督。この映画を観るたびに僕は「青春の終わり」という感想を持つ。



再評価されるかどうかはわからないが良い出来の映画だ。でも過激な映画と捉えるひとが多い。この程度は当時としては特に問題はなかった。性描写の問題としてではなく、何でも「ダメ!」という規制もない。「そういうひともいるよな」という感じだ。多様性を認めるというか、社会全体としても「面倒だから許可しちゃえ」っていう部分もあった。



僕はその頃の社会のあり方のほうが好きだ。村上龍氏の発言を引用するならば「売春の方が人を殺すよりいい」。そんな感じだけどね。



正直、最近の社会のあり方は窮屈な感じがする。『台風クラブ』のような映画を作る状況は再び現れないかもしれない。何でも商業ベースばかりを考えている作品なんて面白くもなんともない。時には、ATGのような作品を観たいと思わないのかな? 不思議ですね。ATGが何かはググッて下さい。



友達が故郷に戻ることを聞いて「青春の終わり」について考えていた。僕のなかの青春は、すでに終わっていることはわかっていたけれど、それに目を向けようとしていなかった。それでも青春の余韻は現在も心の中に続いている。まるで『台風クラブ』のエンディングみたいに。それは幻想かもしれないけれど。



初出 「西参道シネマブログ」 2011-09-08



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