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027_ひとり海外旅行 ~住民編~

近所のスーパーに、3人組の外国人がよく来るようになった。それも、1組だけではない。だいたいは西および東または東南アジア人(つまりアジア全域の出身者っぽい人たち)で、ずっと一緒にいる。
しかし、いわゆる欧米人らしい白人は、いっつも一人で買い物をしている。この違いは一体何なのだろうか。

ダイバーシティ、多様性のマイナス面が表面化され、現在様々な議論が巻き起こっている。土葬をしろ、だとか、神はアッラーただ一人、だとか。特定の宗教や特定の民族が特に行動も主張も酷く、元来その土地で生活していた地域住民の生命や資産、生活が脅かされている。

主義主張や行動の源は、その人の今までの経験が関係していると考える。
例えば、親兄弟に厳しく
『この世の神はアッラーただひとりだ』
と言われながら折檻されていたらどうだろう。言葉で理解し、それと反する事象が出てくると、自分が折檻されながら信じ込まされたことが、嘘となる。
今まで辛い思いをしたその人の経験が、嘘となるのだ。そうなると、その人は自然と”自分のつらい経験”の方を守りたくなるのだ。すべての人が同様であると言い切れないが、何かを妄信する人は、可哀そうなトラウマがある場合がある。
(宗教に関して諸説あるため、必ずしも上記が正しいこととは限りません。一個人の観察として、ご参考ください。)

あとは、だいたい侵略目的に宗教を利用することもある。歴史をみると、宗教は、侵略や集金を効率的に行うには、便利な洗脳ツールだ。しかし、宗教が生み出した建物や像なんかは、当時の思想を考察するには重要な資料となることもある。

ひとりで旅行する醍醐味は、その土地に息づく生活をリアルに感じ取れるところだと思う。
観光客集団となると、地域住民は”観光客”として警戒し、観光客用のエリアに運ばれる。そこで見えるものは、確かに観光にふさわしい施設やアクティビティだ。誰かと一緒に思い出を作るには、それで十分だ。

しかし私は、思い出を作りたくて旅行に行くわけではない。私はその地域で生きている人を、生活を、思想を、本当のところを見てみたいのだ。
書籍や、とくにインターネットにある情報は、発信者の感情が必ず存在する。いい思い出をした人は、「ここオススメ!」と紹介するし、嫌な思い出をした人は、「ここは危険!」と警告する。さらに、「○○の人は○○だ」などといったラベリングもある。

2次情報ばかりを眺めていると、だんだんと、

本当のところ、どうなんだろ……

と思い始めた。そんなわけで、旅行の際は地域住民に溶け込み、住民と同じことをしたいと思うようになった。

(観光施設ではないので、写真撮影は控えました。以下、文面のみでお楽しみいただければと思います。)

モスクワ観光で真っ先に行ったことは、朝の地下鉄にサラリーマン風の装いで一緒に地下鉄に乗ることだった。早めに起床し、近くの衣料品店で購入したオフィスカジュアルな服で、出勤するサラリーマンと一緒に駅に向かった。
慣れた手つきで地下鉄のゲートをくぐり、ホームで電車を待つ。ここで重要なのは、ウキウキルンルンとした表情をしないことだ。ウキウキルンルンしながら会社に行く人間が、この世界のどこにいるのだろうか。違和感を持たせてはいけない。

よく周囲を観察しろ。驚くな、感動するな。すべては、日常だ。

そう言い聞かせて、私はある教会に向かった。
事前情報では午前に勤行があるらしい。入館のチェックは甘く、地味な服でスカーフを手慣れたように頭に巻けば、朝の勤行に参加できた。ロシア正教の教会内ではすでに勤行が始まっていた。

ミスった。

こそこそと教会内に入り、隅のほうでこっそり眺めた。勤行は厳かに、盛大に執り行われていた。修道士らしい男性と司祭らしい男性が壇上で、祈りをささげている。
壁にはたくさんのイコンがあり、隅にはろうそくなどを取り扱っている売店もあった。

勤行が終わり、周囲に人がいなくなったことを確認し、私は売店でお祈りのためのろうそくを購入した。所定の場所に置いて、念のため、この参加した教会の神様に一礼した。

勤行にはたくさんの人がいた。平日の午前ということもあり、ほとんどが高齢者だった。宗教に熱心なのは、やはり高齢者が多いのだろうか。
私はモスクワ市内を散策し、今度は小さめの教会に入った。勤行は行われておらず、寒冷地のため窓も戸口も小さいから、中は少し薄暗かった。

私はまたろうそくを購入し、しばらくイコンを眺めていると、サラリーマン風の男性が入ってきた。それも声を上げて大号泣しながら。これには驚いた。しかし、売店のおばさんは驚かず、興味ないような表情のため、私も歯を食いしばって知らないふりをした。サラリーマン風の男性は、イエスの絵がある場所へ行き(おそらく信仰者が触れられるように、手ごろな高さの台にプラスチックのカバーで飾られていた)、絵にもたれるように泣き叫んでいた。男性は30代か40代であろう。痩せた背の高い白人だった。ワイシャツにしわが寄ることも気にせず、男性は気が済むまで泣いていた。

男性が帰った後、今度は女性が来た。女性もまた泣きながら、イエスの絵に触れ傷心の様だった。女性は10代くらいだろう、ホットパンツにTシャツ姿で、絵にキスをしている。その絵(念のために繰り返すが、絵にはプラスチックのカバーがついている)は、さきほどサラリーマンの涙で濡れた絵だった。これ以上は何も言うまい。

宗教は心のよりどころなのだろう。日本では酒を飲んだりおいしいものを食べたり、温泉に入ったりして、辛い人生を乗り越える。モスクワでは、身近に教会があり、辛いなら我慢せずに、「辛い」と縋ることができるのだ。

その土地の住民の生活を実際に行って見ること・知ることは、本やインターネットからでは得ることができない知見を、実感を持って得ることができると考える。

以上について、注意点として、基本的に住民の邪魔や迷惑になってはいけません。また、住民の写真撮影や映像での記録もお控えください。


おまけ 地下鉄のカード

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