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019_ひとりロシア語検定

 ロシア語検定はほかのどの資格試験・検定試験よりもハードであった。

 前回、ロシア語を独学する話をした。その中で、どうせなら検定試験でも受けてみようと思い立ったが、無事に合格したことをここに記録しようと思う。
 ロシア語検定、正式にはロシア語能力検定試験は、日本の民間資格で東京ロシア語学院が実施母体である。4級が易しく教本を理解していれば誰でも合格できるレベルで、1級ともなると文章量・設問量・求められる完成度が各段に上がる。

 受験者数で比較すると、第82回検定試験では4級は243人に対し1級は75人だ。合格率は、4級で約61%に対し、1級ではわずか約9%である(整数のみ記載)。

 似た試験にテエルカイがあるが、こちらはロシア連邦認定の国家試験だ。ロシアに移住または市民権を得たい場合、ロシア語能力検定ではなく、テエルカイ(трки)を受験してほしい。

 なにはともあれ無事に4級を受験し合格したのだが、その受験会場が面白かった。

 私が受験した会場は、中心地街よりも少し外れた大通り沿いにあるところだった。近くに巨大な大学があり、風光明媚な山林が受験会場の窓から見える。交通の便は良くも悪くもなく、地下鉄やバスも近くを通っていたが、私は時間に遅れてはならないという気概と、ただでさえ受験前でナーバスになっている身体に、公共交通機関と言うもっと気を遣う移動手段を選択することはありえなかった。私は徒歩で、会場まで向かった。片道50分である。

 軽めの運動をしたあとは、意外と頭がスッキリするもので、血圧も胃の調子も万全であった。さっさと座席について、テキストを開き復習したい。試験は午後からなので、時間的余裕を活用したい。受験生なら、だれもがそう思うだろう。

 受験会場につくと、受付は無かった。テーブルすらもないため、「そんなものか」と会場の扉を開けた。受験会場は、会議室一間を借りた簡易的な場所だった。民間の趣味講座などをやっていそうな、教室のような空間だった。黒板もある。妙に落ち着くその教室に入ろうとしたとき、2人の高齢の男女が弁当を食べていた。
 はっと気づくと、女性のほうから

「外で待ってろ」

と注意された。2人はスーツ姿で、午前は同試験の別の級が受験していた。あの2人は試験官であった。確かに受験時刻まではまだ30分ほどある。

 私は廊下で待機し、会場となる教室が見える場所に立っていた。よく観察すると、たびたび受験者らしい人が扉を開けて入ろうとし、女性に追い出されていた。ここは日本だが、ロシアらしい(偏見)洗礼を受けてしまった。

 やっと開場になり教室にはいると、2人の試験官が食べていたであろう弁当の匂いが教室に充満している。気を利かせた女性が窓を開けるも、外は無風のためなかなか換気が進まない。

 高齢の試験官が試験の説明をするが、弁当の匂いが気になる。マスクを付けて受験しようと思ったが、試験最後にテクスト朗読があるから、結局は外さなければならない。

 不快ではないが、気になる弁当の匂い。いや、結構不快だと私は思う方で、どうせならカレーみたいなはっきりした匂いの強い弁当であればよかった。充満していた弁当は、だしや醤油で煮たような総菜、漬物の独特の発酵臭、菜っ葉のえぐみのある匂い、それらが混ざった匂いだった。

 試験は進む。
 受験生は20名程度で、ほとんどが20代かそれ前後の学生のようだった。数人、年齢が分からない男性もいた。私の隣に座った男性は、おそらく10代後半の青年だった。背は私より小さいが、元気が良さそうであった。しかしこの少年のような青年、試験最後にとんでもないことをする。

 試験最後の方でテクストの朗読という試験がある。小さなレコーダーが配布され、指定された文章を朗読する。アクセントや語彙の繋がり、発音の規則変換が出来ているかをみる試験だ。元気よく、はきはき落ち着いて朗読すれば、チェックされることはない。

 しかし、私は落ち着いてなどいられなかった。朗読を始めたとき、隣の少年のような青年が、大きなはきはきした朗らかな声で、片言の朗読を始めたのだ。それはロシア語と歯にても似つかぬ、日本語読みだった。

 よくインターネットでアジア人やヨーロッパ人の英語の発音のクセを比較する動画がある。クセ程度であれば、まだよい。そのクセが強すぎると、爆笑を生む。図らずも私は朗読中に笑ってしまった。本人は至って真面目で、真剣に受験している。それゆえ気にせず、どんどん読んでいく。私の耳に次々に聞こえてくるクセの強い日本語読みのロシア文が、私の朗読を阻害していく。だれか、助けてくれ。

 日本語読みが悪いわけではない。むしろ、発音を気にしすぎて、実戦で話すことができないのであればそれは本末転倒だろう。しかし、日本語と欧米で使用される言葉の発声の仕方には決定的に違いがある。
 日本語は単語ごとに発音するが、欧米の言語は前置詞や接続語を後続の単語と繋げ、流れるように発音する。今まで聞いてきたロシア語は、まさしくそれだ。ロシア語の検定を受けるのであれば、ロシアっぽく朗読する苦労も必要ではないかと思う。

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