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023_ひとり海外旅行 〜ホテル爆破予告編〜

モスクワのお土産に、上司が嫌いなチーズを買っていった。本当はチョコレートのような、西洋を感じられるものが好まれるかと思うが、パワハラ上司に好まれても仕方がない。
そもそも、モスクワにお土産を買えるようなお店は、ない。当時も経済制裁真っ只中で、スーパーの品数はコンビニの半分ほどだったと記憶している。

モスクワに降り立った私は、ロシアの空気を肺いっぱいに吸い込んだ。やっと訪れた、モスクワの地。時間は夜の20時。早速ホテルに向かわないと、チェックインすら出来なくなる。

現地のガイドボランティアに急かされて、ロシア版白タクに乗り込んだ。白タクのおじさんを、羽田空港近くをうろついている中国人とイメージする人も多いだろう。

しかしモスクワの白タクの運転手はただのイケオジだった。ラテンな顔立ちでカジュアルなスーツを着て、トヨタのクラウンに乗っていた。貧乏サラリーマンの粗末な格好が、恥ずかしくてしょうがない。

ちなみに、ガイドボランティアのおじいさんは、ロシアのおじいさんらしく、ポコンと腹が出た、太ったおじいさんだった。

ホテルに着くまでの間、ガイドボランティアのおじいさんと白タクのイケオジは、ロシア語で一生懸命話し込んでいた。なるべくその会話を気にしないよう、私は夜のモスクワの町並みが流れていく車窓を眺めた。

窓の外では、20世紀に宇宙科学を極めた彼の地には、ロケットのオブジェがライトアップされていた。ソ連時代から続く宇宙開発の輝かしい功績なのだろう。
モスクワ市民も、その巨大なロケットのオブジェを眺め、誇らしく感じているのかもしれない。しかし、科学と戦争は、いつも近いところにある。科学力の増進、新しいプロトコルやソフトウェア、新薬といった”ひとの生活を豊かにするもの”は、武力に転換できてしまうのだ。あまりにも近いところに居すぎてしまった2つの分野と人間様がともに歩むには、多くの課題が残っている。まだまだ難しいようだ。


それはそうと、到着したホテルのチェックインの列にさっそく並んだ。さすが海外、長蛇の列を捌く受付はたったの一人。しかものんびりと、座りながら受付していた。夜も遅いし、チェックインを待つ人は苛立っていた。わけでもなく。

白人も黒人も黄色人も、みんな慣れたようにワイワイガヤガヤしながら待っていた。受付があるグランドフロアには、簡単なバーがあった。チェックインを済ませて…なんて順番を決めているのは日本人だけなのだろう。チェックインどうのよりも、酒が飲みたい外国人は、ワイングラスを片手に談笑している。なんなら、受付業務を行っている女性を口説いている。私はさっそく、海外旅行の洗礼を受けた。

そんなホテルに宿泊して2日目の夕方、私は市内観光で泥だらけになった服を着替えようと、ホテルに戻ろうとした。
観光は耐久レースのようだった。
晴れていたかと思ったらいきなり雨が降ったらり、クレムリン周辺の信号機が長時間消灯し、渋滞に巻き込まれたり。(しばらく待っているとクレムリンから公用車が出てきた。話は変わるが、公用車というのはどの国も一緒で、一国の自動車メーカーが誇るバチバチにかっこいい黒塗りだった。そういえばジャガーのマークを付けた船が、どこかの絵画にあった気がした。元々船やエンジンを作っていた職人が、車を作っているのだ。ださいなんてありえない)。美術館で奮発して、3kgはあるだろうどでかい画集も買った。とにかく、ホテルで一息つきたかった。

それはそうと、信号機の位置がどうも微妙である
奥に見えるのがクレムリン

2日目の夕方。やっと帰ったホテルの前の広場に、なにやらワイングラスを持った集団がいた。何でもない日にパーティだなんて、ヨーロッパの人のやることは分からない、と傍を通りすぎ、ホテルのエントランスで驚いた。
エントランスからどんどん人が出ていくのだ。何事かと思ったが、ヨーロッパの人の考えていることは分からないため、私は着替えるべくホテルに入ろうとした。そしたら、止められた。

とにかく入るな、

とホテルのガードマンに止められた。唖然とするなか、ホテルのエントランス前のスロープに、規制線が張られた。何と言うことだろう。広場に中継車が止まっている。なにごとか⁉


規制線が張られたホテルの広場から
(画像は加工ではなく手ブレです)

このとき、私の頭をよぎったのは、ホテルの部屋に置いてきた、”明日乗る飛行機の航空券”だった。紙で持っていたのだ。
広場はあっという間に人だらけになった。なんとなく、噴水側に白人がいて、スロープや駐車場側にアジア人(といってもほとんど中国人)が固まっていた。こんな時でも、白人は酒を煽り、中国人はどこから持ってきたのか分からない豆の菓子を摘まんでいた。なるほど、大陸を歩くには、これくらい肝が据わっていないとだめなのだ。

それはそうとやばい、日本に帰れない。

私も近くのスーパーで買っていた小さめのシュークリーム30個入りの袋を破り、スロープに座って食べ始めた。夜にレストランに行く予定だったが、はたと消えた。

いくら待ってもホテルに入れない。ロシア語が分からない私は、目の前の事件に対する情報を集められないため、大使館に走った。駐車場にいた中国人が「テロだってさ」と教えてくれたが本当かどうかは分からない。シュークリームを20個食べた胃が、どうしようもなく重い。宵闇の空の下、私は走った。

たしか、渡航前に確認した外務省のモスクワ情報によると、夜は出歩くな、と言ってあったような気がしたが、かまいやしない。私が日本に帰ることが重要だ。

大使館に到着し、屈強なロシア人警備に恐る恐るパスポートを見せ、たまたま残業していた大使館職員を呼び出してもらった。呼び出す間、屈強なロシア人警備と煙草を吸っていたからだろうか。出てきた大使館職員が私より背が小さかった。なんとも言いようのない安心感があった。

職員いわく、私が泊まっていたホテルに爆弾を仕掛けたという嘘の通報が入っていたらしい。館内を検査し、規制線はすでに解除されていた。私の焦りは一体何だったのだろうか。疲労が一気に押し寄せた帰り道、時間は夜8時頃だった。商業ビルの明かりがイヤに綺麗で愉快になった。あれほど帰りたかったホテルにも日本にも、帰りたくなくなった。


ホテルから追い出された”駐車場の方の観光客”
…なぜかリムジンも集まってきた”広場の方の観光客”


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