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020_ひとりバイト

 大学生の頃、初めてアルバイトというものをした。私の高校は田舎の進学校風公立高校のため、特別な理由がない限り、アルバイトは認められない。しかし、私の両親はお金に厳しく、書籍も満足に購入できなかった。購入するためにはプレゼンが必要で、そのプレゼンで納得できなければ購入不可。

「お小遣いで買いなさい」

と判決が下るが、私の当時のお小遣いは月5000円。高校生で携帯電話を持ってしまったばっかりに、その携帯電話の月々の利用代に、お小遣い5000円は全額消えていくのだ。

 しかもその携帯電話とやらは、今は懐かしいiモードで接続され、電話とわずかなEメールしかできない端末であった。今思うと、そんな貧相な機能の端末に、月々5000円も支払っていたなんて、コストパフォーマンスが悪いにもほどがある。が、当時は高校生といったら携帯電話で、友人や恋人と毎日メールをする、というのが定番だったし、憧れていた。

 正月に期待できる親戚からのお年玉も、離縁や死別で年々親戚が減っていくため、高校生くらいになったときは、10000円にも満たなかった。もらえるだけ御の字で、当時はありがたく受け取っていたが、結局お年玉に手を付けられずに机にしまい、「使わないなら貰うわ」と兄弟に盗られてしまった。

 とまあ、とにかく金がない、儲ける術もない私に、アルバイトという経済社会への参加、一人で稼ぐことができるという自己効力感にあふれた活動は、私の大学生活を純粋な活気で、満たすはずだった。

 大学入学時、とにかく何かアルバイトをしたいと思い立ち、アパート周辺を散策した。断りを入れておくが、私の生家がある田舎では、職に就くためにはコネが必要で、田舎に残った高卒は、親戚や知り合いがいつのまにか職をあてがってくれるのだ。公務員ですらコネで就職していると公務経験をしたことがない大人たちが言っていた(実際はちゃんと公務員試験を受けている)。
 それぐらい、私は田舎で生きていて”入社試験”や”面接”という存在を知らなかった。もちろん、就職のための情報誌があることも知らなかった。おそらく本屋に置いてあるだろうパートタイム募集誌も、埃をかぶって目立たない棚が定位置だ。そもそも、田舎には本屋が無い。

 私のアルバイト探しは以下のようなもので、周辺を散策し、コンビニや個人居酒屋の扉に貼ってある『アルバイト募集』のポスターを見つけては、月々5000円の携帯電話で写真を撮っていた。部屋に戻ると、時給や窓から垣間見えた店の雰囲気など情報を総合的に比較判断して、アパートから5分のところにあるコンビニに決めた。

 そこで驚いたことに、履歴書なるものが必要であることと、事前に面接のアポイントが必要であることを教えられ、追い出された。

 引っ越ししたばかりでぼんやりしていた私はそのことを大学の友人に話した。すると、さも当然というように

「そらそうよ」

と返答された。

 このときの赤っ恥ときたら、たまらないものがあった。
 なにもかも知らず、一人で判断して行動してしまった結果である。友人は私を大学生協に連れていき、そこに設置されてあるアルバイト募集誌を手渡した。特集ページには、『入学スタート、初めてのアルバイト常識5選』とタイトルがあり、そこでやっと”履歴書”やら”面接”やらが必要であることが分かった。
 書き方まで指南があったが、それよりも無知で注目されたことが恥ずかしくてたまらなかった。どうして高校の先生は、こんな大事なことを教えてくれなかったのだろうか。先生はアルバイトしたことないのだろうか。

 100円均一ショップで履歴書を購入し、4枚で800円の証明書用顔写真を用意し、いざアパートから5分のところにあるコンビニに面接に向かった。
結果としては、落ちた。理由は分からない。
 コンビニの面接に落ちた人間ということで、大学のクラスでは出来損ないの印象がついた。『いつも一人でなんかやっている奴』という印象は、思いがけない失敗をするエンタメとして大学4年間消費された。

 その後、個人経営の居酒屋にアルバイトとして入ったものの、月々3万円にも満たない給料は食費に消え、1年かそこらで辞めてしまった。個人居酒屋でアルバイトは私一人だけであった。だから向上心を持って勤めたり、就職活動につながるエピソードを集めたり、ましてや旅行など目的をもった労働をみんながしているとは知らなかった。

 社会はなにも教えない。人生で初めて労働をして得た知見は、そういうことだった。なんとも寂しい、経済社会デビューであった。

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