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013_ひとり美術館~六本木~

 六本木で美術館といったら、森ビル53階にある『森アーツ美術館』しかない。それしか無いわけではないが、私は森アーツしか行ったことが無い。おかげで森アーツまでの順路と、六本木という地には、便利な列車がないことがよく分かった。いつも六本木まで行くには、東京のわりになかなか歩くなぁ、と感じている。

 美術館が好きで、お金と時間に余裕を見つけたら行くようにしている。旅先でも面白そうな美術館や博物館があったら入ってしまう。
 べつに美術や考古学や歴史に詳しいわけではない。たまに本を読んだり、テレビ特集を見たりしている。その程度である。

 美術館とひとつ取るにも様々な種類がある。
 国や県が運営母体の、いわゆる“総合美術館“。一昔前は特徴のない建物で(私の田舎では、銀行の居抜きである)、ただ展示物を並べたような無味乾燥としている。現在では観光地としての役割を見出され、同じく六本木にある国立新美術館のエントランスは地下鉄直結である。

 企業が運営母体の“特化型美術館“。その商品や製品の変遷、技術の進化を見ることができ、体験コーナーもある。先述にある森美術館や東京ステーションギャラリー、サントリー美術館など、国内にはさまざまある。企業が母体であるため、とがった企画展をやり、ホームページサイトの『ご挨拶』にみられる文化保護の強固な意志を垣間見れることでおなじみだ。
 また、会長の趣味コレクションを展示したタイプもある。これは比較的小規模だ。なにはともあれ、社会貢献に一役買っている。

 そして、個人が建設運営する“個人美術館“。草間彌生美術館や宗像志功記念館。個人的に大好きなのが、青森県三沢市になる寺山修司記念館だ。どれも個人の氏名を施設名の冠にし、その生涯や作品、作品の関連資料を展示している。

 美術館のマナーとは、一人で静かに鑑賞するというものがある。これは当時通っていた大学の講義で知ったのだが、美術館と博物館で鑑賞の仕方が違うという。美術館では作品の性質上、空調管理が徹底されている。
 もちろん博物館も厳しい管理の元展示しているが、基本的にガラスケースに入っている。対して絵画や彫刻は、額縁はあるものの博物館より近づいてみることもできる(近年、環境活動家なる不届き者どもが罪のない作品を破壊する事件が多くあり、ガラスケースに入れて作品を保護しているところも少なくない)。

 また多くの美術品は借り物であるため、展示室には必ず温湿度を測定し記述する機器が設置されている。余談だが、以前関西出身の同年代と美術館に行った際、毛髪式温湿度計を美術作品だと思っていたようで。美術館のスタッフに一生懸命質問していた。関西では毛髪式は一般的ではないのだろうか。
 ともあれ、美術作品の前で積極的なおしゃべりが厳禁なのが、美術館である。対して、博物館はある程度のおしゃべりは許容されているという。政治家のように大きな声で議論ができるというわけではないが、歴史の共有をする上で、会話は許されているのだ。共有されているのが、歴史認識なのか知識なのかはさておいて。

 私は2度、森アーツ美術館に行った。その時の展示は、『カードキャプターさくら』と『不思議の国のアリス』であった。どちらも少女たちの入場者が多く、また友達連れだったり恋人同士だったりであった。
 美術館の良いところは、入場した瞬間、その世界に引きずり込まれるところだ。この世界に、ひとりもふたりも関係ない。ましてや、通常持っていた自我すら、変容する入場者もいる。

不思議の国のアリス展
カードキャプターさくら展


 入場前のチケット列に並んでいた時、二人の(多分)カップルがいた。さすが東京、二人ともクールでおしゃれでかっこよい。特に女性は少し暗めのリップをしていて立ち姿に隙が無いくらい姿勢がよかった。目を引くため、ついつい見てしまったのだがその女性、入場するや否や相好崩し、「うううぅぅぅ、さくらちゃんかわいいぃぃぃぃ」と常に中腰であった。
 女性の周囲を気づかいなら、カップルの男性は「かわいいね、○○この話好きだったよね」と会話している。しまいには目に涙を浮かべて、「ケロちゃんと写真撮れて幸せ」と、展示物である巨大ケロちゃんオブジェに合掌していた。

 何年たっても、あの幸せそうな人の表情と言うものは、忘れられないものである。これが、文化の力か、となんだか私も幸せな気分になった。


巨大ケロちゃんオブジェ

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