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キノコを愛した天才は多い。多分。現代音楽で知られるジョン・ケージはどこからともなく現れるキノコの姿を、どこにでも存在しいつでもひょっこりと顔を出そうとする、あらゆる音になぞらえました。確か。

ジョン・ユージの4分33浪

ロキシー・ミュージックのシンセサイザー担当であり、アンビエント音楽やDEVOなどのプロデュースで知られるミュージシャン、ブライアン・イーノも確かキノコに詳しかったと思います。また、キノコはおそらくその色彩、生態、形状からサイケデリックなイメージになぞらえられることも多いように思います。

ところで、俺は…キノコがきらいだぁあああああああっ!

どうもキノコというものの愛される特徴であるものが、私には不気味で、なんとなく嫌な感じに思えるのです。これは完全に個人の好みですので気にしないでください。昔からキノコを食べるのが苦手で、給食などでキノコが入っている場合丹念に全てのキノコを取り除いて食べていました。食べるのが苦手な人は結構いるのではないかと思います。同情いたします。しかし、私は、キノコが生えているところを見るのも正直苦手なのです。登山とか行ったら地獄ですよ。標高が上がればあまり生えていないのですが、麓の方では大体どこを見ても生えています。ジョン・ケージが世界は音にあふれていると言うのと同じくらいに、山の麓はキノコに溢れています。ジョン・ケージが世界は音にあふれているとかそう言うことを言ったかは覚えていませんが、多分そう言う趣旨のことはいたんじゃないかと推測しますし、有名な4分33秒はそういうことを表現したい側面もあったと思うのであながち間違いではないと思います。多分。

とにかく。キノコは気を抜いたときに、すぐに視界に入ってきます。これはキノコは遍く存在すると言う性質を持つので仕方のないことなのですが、気を抜くとそこにはいつもキノコが生えていると言っても過言ではないでしょう。今日も、自転車で道路を走っていて、ふと木のそばに立ち止まると、二つの黄土色のキノコが木の中程からにょきっと仲良く顔を出していたので、思わず口ずさんでいたアディオスを一時停止して小さく叫んでしまいました。その後公園の中を通った時にも、この雨の多い季節ですから、木の根元に何本も生えていました。そしてそんな木は一本だけでなく、公園に連なり生える何本もの木がそうなっていました。どうしてこんなにもキノコはどこにでも生えてくるのか。この様子だとうちの庭にも大繁殖してしまうのではないか。そうしたら自転車が取り出せないではないか…そう頭を悩ませながら自転車を漕いでいると、ある結論に達しました。そう、キノコは「木の子」なのではなく、「気抜こ」であると。そうであるからキノコは気を抜いた時にすぐに視界に入ってくるのだと。気を抜いてそばに生えてる木の根元をガン見などしてみなさい。きっとそこには遍く在るキノコがその一部をのぞかせこちらを見ているはずです。

ならば、天才であるはずのソック・リーがどうして実力を出せずに河川敷で叫ぶ羽目になっているのかも自ずとわかってくるはずです。そう、彼は「気抜こ」であるので、どうしてもテストにおいて気を抜いてしまい、最後まで集中することができなかったのです。

人間であり、甜菜であり、キノコでもあるソック・リーは、その身一つで生産者、消費者、分解者の3つを兼ねますが、それゆえに勉強では十分に力を発揮することができなかったのですね。

ちなみに、キノコ系のキャラ自体は嫌いじゃないですし、ソック・リーや前園リシュリは大好きです。

エノキが料理に入っていると、取り除くのが厄介で困ります。それでは。

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