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教員の残業実態

国をあげて教員の働き方改革が進められています。
私も若い頃はがむしゃらに働いていました。
特に初任校の2年目から5年目の4年間は部活動に燃えてた、燃えさせられていた(?)こともあり、激務でした。

ただ、「若い頃は苦労は買ってでもしろ」という雰囲気があったので、勤務時間などは意識もせず、有休もほとんど使わずに仕事をしていました。

その当時の、県教委からの指示で作成していた「出退記録」がPCに保存してありました。初任校5年目、30歳の時の記録です。

ちなみに校務分掌は、3年生担任、進路指導部就職指導係、教務部教科書係、サッカー部顧問でした。
週の授業時数は16時間+会議2時間の18時間です。

毎月の時間外勤務時間の推移は以下のとおりです。

今では考えられませんが、月の平均時間外勤務時間は132時間でした。
なお、この年度末に転勤となったため、3月は引っ越しの準備もあり
これまでにないくらい休みをとっています。
おそらくこの1年前の方がもっと働いていたと思います。

中でも特に時間外勤務が1番多い5月のシートは以下のとおりです。
土日の代休の日でさえも、学校で働いていました。

1日の流れは、朝6:30から部活の朝練、日中は授業、放課後は19時まで部活、その後は学校で残務整理、帰宅後に翌日の準備といった感じです。

3年生の担任ということもあり、就職・進学の出願シーズンは特に多忙で、調査書や推薦書を自宅で1・2時まで作成して、3・4時間睡眠で出勤することも多々ありました。
また、飲み会も多く、最低でも週1のペースで深夜まで・・・
帰宅後も仕事をしていた記憶があります。

今思うとなぜそこまで必死に働いていたかわかりません。
しかし、決して私が特異なわけではなく、同じような働き方をしている先輩方は大勢いました。
そして、そのような働き方をしている先生方が評価され、学校の中心として活躍していたため、「良い先生の姿」としてモデル化されていました。
自分や家庭を犠牲にして生徒や学校のために奉仕することが、教師の美徳として受け継がれてきたように思います。
ただ、二度とこのような働き方はしたくありませんし、決して質の高い教育ができていたようには思えません。
むしろ、私のレベルが低いからこそ、「先生も頑張っているから、みんなも頑張ろう」というメッセージしか伝えられなかったのかもしれません。

当時はまだ子どもは産まれていませんでしたが、妻にはとても迷惑をかけたと思っています。
とりあえず、、、生きていてよかったです。

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