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オホーツク老人

本というものは不思議な縁(えにし)で繋がってゆく目に見えない力が確かに存在する。
その氷山の一角から海底深くに伸びてゆく想像もできない深淵まで、私達をいざなってくれる。そこに至る道は、酸素ボンベもウェットスーツもライトも高度計もいらない。
ただ自身の知的好奇心さえあれば、本の世界は自由に、縦横無尽に、二次元、三次元、果ては量子の世界までも連れて行ってくれる。

きっかけは『知床旅情』でした。
元歌は森繫久彌氏ですが加藤登紀子氏の歌声で一気に流行歌になります。

元々は『さらばラウスよ』という詩を森繫久彌氏が作り即興で曲をつけたようです。映画撮影でお世話になった地元羅臼の人々への感謝を込めた歌でした。

歌詞の中に決定的な書き換えが『知床旅情』にはあって、
森繫久彌氏もその部分は加藤登紀子氏に抗議したそうですが、結局直されることはなかったようです。

森繫久彌氏主演の映画『地の涯に生きるもの』という撮影がS35年に当時の羅臼村で撮影されてました。その当時はまだダートの国道しか通じておらず、ウトロと羅臼を結ぶ観光船すらなかったということです。
もちろん、知床連山を越える知床横断道路の着工は昭和38年で、まさに羅臼は地の果てでした。

森繫久彌氏の映画『地の涯に生きるもの』に影響を与えた小説が、
戸川幸夫氏の『オホーツク老人』です。

戸川幸夫氏は動物文学の草分け的な作家で、1954年動物小説「高安犬物語」で直木賞を受賞しています。

この小説に目を通した森繫久彌氏は、即座に映画化を決定して、羅臼にて撮影をスタートさせます。

このエピソードはひょんなことでwebで知りました。
北海道STYLEというHPです。

私はこの記事に目を通し、どうしても『オホーツク老人』を読んでみたくなったのです。
レーベルではすでに絶版のようです。
地元の図書館で検索してみてもどうにも引っかからない。
そこで北海道文学全集(立風書房 S56年初版)という全集を見つけて、片っ端からタイトルを追っていくと、18巻目でやっと見つけました。
その時の感動はなんとも言い表せなく

見つけた!

と胸が高鳴りました。

ストーリーは寂しくも切ないものです。
夏の間、知床の番屋は泊まりこんだ漁師たちで大いににぎわいますが
一たび冬を迎えると、極寒の地で一人の老人が『留守番さん』として
孤独の一冬を過ごします。
おもな目的は、網をネズミの害から守る猫たちの世話で、
すでに家族を失った老人にとって、この猫たちとの暮らしが生きるよすがにもなっていました。

こんなエピソードがあります。
年老いた猫を番屋の主は餌代惜しさに殺してしまおうと考えます。
しかし老人は、「この猫も頑張ってネズミを捕って働いてきたのだから、
後生だから殺さないでくれ命を全うさせてくれ」と命乞いをするのです。

しかし、弱っている猫はまた、オホーツクで生きる猛禽類には、生きるための食べ物となっていくのです。

この小説の中では、後半に流氷が小説のキーポイントになっていきます。
流氷は春の訪れと共に、沖合に去って行きやがて消えていきます。
待ち焦がれる春への希望ですが、やがてその流氷によって事態は暗転していきます。そのストーリーの流れと描写がほんとうにうまい。

生きる、というために生き物たちは日々壮絶な戦いを仕掛けます。
私達は、生きるために殺し殺されという、そこまでのぎりぎりの生存の厳しさはありません。
その代わり仕事をしお金を稼ぐ。お金がなければやっぱり生きていけない。

人はどこまで孤独と向き合えるのだろうと考える。
この老人の様に死と対座する時に、悟りとも諦めともつかない孤独との場面で、真っ黒な鴉が現れ、やがて数を増し、沈黙を知らない。
そこには孤独を感じさせない、死に向かう儀式にも感じられた。

戦後の昭和の時代に書かれた小説は、表現も死に対しては、今の小説よりもかなりリアルで生々しい。これもその時代の空気でしょうか。

その表現のリアルさの中に、生きることの本当の厳しさ、物語から飛び出した現実を思い知ります。

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