見出し画像

九重から阿蘇へ(回想)

九州の山へ、そして出来る事ならミヤマキリシマの時期に・・・そして坊ガツルでテン泊してみたい。
それは密かな、でも実現不可能な事がらとして長年心の中で思い描いていた夢だった。恐る恐る相方に尋ねると難なくOKが出た。
そして初めての単独テン泊山行を実現したその記録です。

羽田から大空に放たれれば
もうそこは一人の気楽さとその先に待っているだろう初めての九州への期待で一気にしがらみから解き放たれる。
とは言うものの飛行機に乗るのはうん十年ぶり、正直怖い。
滑走路を回っていよいよ加速、あ~Gが掛かる。。。海が目の前、
滑走路足りる?。。。
が、あっと言う間に雲上へ
結構あっけなかった。。。
眼下に東京湾の船の航跡が長く長く続いて、そして消える。

大分空港にもあっけなく着陸。
待っていた別府行きのバスに飛び乗った。

別府ではバックパッカー用のとても安い宿を取ったが、冷蔵庫、自炊場があって、これがあったことが決めてでもあった。
縦走用の食材を買い揃え、保冷剤を冷凍庫で凍らせ、
なにより一番必要なカセットガスを探して奔走。。。これがないと縦走計画が成り立たない。。。

準備はOK
宿で借りた自転車で市内を散策。砂風呂で有名な竹瓦温泉にて入浴
アメニティは何もない温泉で、男湯と女湯は若干成分が違う。
女湯はナトリウム−炭酸水素塩泉(炭酸水素塩泉)の源泉掛流し、
メタケイ酸の含有量が多いので、つるつるの肌ざわりだけど、めっちゃ熱かった。先客がうめていいよと言ってくれたのが地獄に仏。。。

画像1

宿にももちろん温泉があって、さすが別府!
時間があれば「別府八湯」巡りもしてみたかったけれど、今回は涙を飲む。

画像2

別府の北浜バスセンターより熊本行きの九州横断バスに乗り込む。
別府市内を一望する高台をぬけ、やまなみハイウェイは一路由布院を過ぎ、豊かな自然の中の飯田(はんだ)高原に入ると九重の山並みはもうすぐ。
長者原を過ぎ、牧ノ戸峠までは別府から2時間弱の道だ。

牧ノ戸峠からはしばらく簡易舗装の遊歩道のような所を登る。
これが今日一番の急登(というほどでもないのだけどきつい)。。。
ザックは空港で測ったら14kg、それにウエストポーチ1kgで食材と飲料で合計17kgといったところ。
レンタカーを運転するのでスニーカーまで入れた。。。

展望台まで来れば登山道がなだらかになって、ミヤマキリシマもちらほら現れだしてちょっとるんるん気分になってくる。
こうなってくると月曜日にデカザック背負っているのは相当めずらしいと見えて気さくにみなさん声を掛けてくれる。

「50kg位あるの?」なんて二人の人に言われたw

左手にはだんだんと星生山の山並みが見えてきて斜面が少しピンクに染まっている。地図にない道から扇ヶ鼻に向かう人が随分いる。寄り道はしんどいので通り過ぎたが、なんとここはミヤマキリシマがいっぱい咲いている所だったらしい。知っていたら絶対寄ったのに。。。

ということで星生山も扇ヶ鼻もスルーしてひたすら久住山を目指す。
久住分れに来るとあれだけ青空だったのに空がだんだん怪しくなってきた。

画像4

ここにザックをデポして久住山山頂に向かう。
途中から霧雨が降ってきてあたりの展望はなく、風も心なしか強くなってきている。展望のない標柱だけの寒々しい山頂だった。

画像3

もうちょっと速く歩いていたら阿蘇の涅槃像もばっちり見えたはずだったのにと残念だ。

雨も強くなってきて展望もないので中岳すらもスルーすることにする。
久住分れから北千里浜を抜けて法華院温泉へ。

画像7

荒々しい火山の硫黄山の山腹にそって歩く道は、普段でも霧の多いところなのだろう。
うるさい位のマーキングと大きなケルンがひたすら続き、霧に閉ざされたここはまさに地の果てといった趣だ。
前方に人を発見したときは心底うれしかった。

画像5

法華院温泉は霧の下部なのかまだ雨は降っていなかった。
のどが渇いたので一気にビールを飲み干し、更に夜の分のビールとついでに日本酒も買って坊ガツルに向かう。
高層湿原のお花畑がすてきなところだ。

画像6

このテントを張る時に雨が止んでいたというのがやっぱりくせもので、
後々台風で避難小屋に避難する機会を逸してしまう。

テント場はうちの外に3張りで、週末ならきっと満杯なのでしょう。
炊事場に近くて水はけのよさそうなところに張ることにする。

そうこうしているうちに雨が本降りになってくる。
避難小屋近くに張ってあったテントの人は、撤収して避難小屋に避難したようだ。このくらいなら別になあと思っていたら、どんどん強くなってきて風も吹いてくる。
風上のテントの底があおられて持ち上がってしまうのでザックをそちらに移動する。ペグをしっかり打っておいたのが幸いだった。
ついに雷まで鳴り出して完全に撤収するタイミングを外してしまう。
今テントを出たらきっとテントが飛んでいってしまうだろう。。。
でも、まだ他に二張頑張っているのでそれでも心強い。

確か事前にチェックしていた台風の予想円は二日後が九州通過だったはず。
現実にひどくなっている以上予報をうんぬんしてもまったく意味なしで。
ささっと作っておいた青の洞窟のボロネーゼスパゲティで夕食にする。ビールも飲んじゃいます。
日本酒はなんとなく予感がして飲むのをやめておいた。これが後々思わぬ幸福をもたらす。

特にすることもなく、ひたすら読書と1時間おきのNHKの天気予報をラジオでチェックしながら時を過ごす。
雷が時々いいアクセントで驚かせてくれる。。。
しかし静寂の暴風雨というのはやっぱり気がめいる。なにか他に人臭い音が欲しい。
で、野球中継を聞く。
アナウンサーの絶叫と観客の声援がなんとさみしい心に染み込んだことか。。。

翌日、夜は開けたがとても外に出られる状況ではありません。
極限までトイレを我慢して、少し雨が弱まったところでトイレに向かいう。
今日も1日缶詰めのようで、福岡のキャンパーさんもまだ帰れないようだ。
そんな中ツアーさんが3組程平治岳へ雨具を着て向かっている。
台風だよ!風強いよ!雨降ってるし、雷だって鳴ってるのに。。。

朝食はちょっと仕方なくテントの中でカセットガスを使ったら、
あ~も~しません許してください。。。
30cm位ファイアーしてしまって、危うくテントを燃すとこだった。

動揺も一段落したところで、やはりすることもなく、2冊目の本に突入です。昨日なんとなく飲まなかった日本酒がちょ~うれしい!!!
ツマミをぽりぽりしながら、こんなのもありだよなとひとりごちる。

午後2時過ぎようやく雨も小降りになり、法華院温泉のお風呂に行く。
カルシウム・マグネシウム・ナトリウム硫酸塩泉で滑らかでいいお湯だ。

すっかり予定が狂ってしまうが、明日大船山と平治岳を登って長者原へ戻ればいいだけのこと。
法華院温泉のご親切で携帯をお借りして、予約しておいたバスとレンタカーの時間を変更した。
夕食の缶ビールを購入しこうして怒涛の一昼夜は無事過ぎていった。

画像8

昨日一昨日の風雨がうそのように空は白白と明けていった。
坊ガツルを出発する。
重いザックから開放され軽荷の背中は羽が生えたように軽やかだ。
湿気と朝の冷気と薄暗い登山道を登ってゆく心地よさ。

誰にも会わない山懐の深さを自身の体で感じる。
鳥の声がさんざめいて、木々を震わす。
この後必ずやってくるであろう山頂での喧騒の前のひととき、
私にだけ与えられた空間と時間。それを心の底から楽しむ。

あたりが明るさを増す頃、ぽっかりと見晴らしのよい空間に飛び出す。
自然が作り出したストーリーに乗って、そこからの風景を楽しむ。

一昨日歩いた山並みや坊ガツルも眼下に手に取るように広がる。
その名の通りの三俣山は三兄弟よろしく肩を並べる様も微笑ましい。

画像9

さらに高度を上げていくと、空が広がってぽんと段原に飛び出す。
左手に見上げる北大船山の山腹がピンクの衣をまとって、朝日に輝いている。

大船山(だいせんざん)の山頂は随分遠くに見えるけど、登ってみればあっという間の距離だった。
この山頂を独り占めする贅沢。

画像10

一昨日かなわなかった阿蘇の涅槃像も、上半身だけその姿を拝することができた。神々しい展望にここが神の地であることを改めて感じる。
京都や奈良とも違う原始の日本の香りを感じる九州。
今そこに身を置いている。。。

充分に展望を楽しんで、平治岳(ひいじだけ)に向かう。
段原に戻り、北大船山を登る。ここからミヤマキリシマはどんどんとその数を増していく。
まるでお花畑の中を歩いているよう。
蜂の仲間が忙しく動きまわる。生を感じる営みがここにもある。

画像11

自分でもどこで間違えたか全くわからないのだけれど、登山道がだんだん荒れてきているなあと思ったら見事沢地形を下っていた。
平治岳の登路がどんどん左に逸れていっておかしいと感じた矢先だった。
救いの前方には男性登山者がいた。
彼もハマったことを悟ったようで、途中から左岸に登って横に進みだした。
幸いにも左岸の先には登山者の声が聞こえていたので、私もその後に続いき、ものの数分で大戸越にたどり着いた。
一人の時間に喜びを感じていたけれど、人のざわめきがこんなにありがたいとは。。。まったく勝手なものだ。

みな、おいしそうに行動食を食べていた。
私も何か食べたいけれど、停滞のせいで今日の昼食の食料はない。
あめを口に入れて空腹をしのぐ。
あ~三俣山ってジャムおじさんの帽子にそっくりだ。。。
なぜか、展望より食べ物のことが頭を占めるようになる。

平治岳南峰をあえぎあえぎ登りながら、
「長者原についたら、なんでもいい。すぐ食べられるジャンクフードだ」
「牧ノ戸峠にいきなりだんごとか、肉おにぎりとかあったよなあ」
「長者原には何が売っているんだろう」
ミヤマキリシマを目の前に、頭は食べ物のことでいっぱいになっている。。。

画像12

南峰からも本峰からも花一色の展望が見渡す限り広がって、腹は減ってもこの場を去りがたい。やはり至福の時間だった。

画像13

充分にミヤマキリシマを堪能して坊ガツルに下ることにする。
大船山の登りより大戸越からの下りの方がはるかにゆるやかだったが、登山道はぬかるんで田んぼ状態だ。こちらの方がはるかに人の行き来が多い。

坊ガツルに着くや、急いでテントを撤収して3日間お世話になったテン場を後にする。
ここに泊まることが大きな目標だったので台風の手痛い洗礼を受けたけれど、満ち足りた3日間だった。

三俣山をぐるっと巻くように九州自然歩道に沿って長者原へ向かう。
ゆるやかな登り道が雨ケ池まで続くのが、重いザックと腹減りには随分と応える。ジャンクフードが駆け巡る脳内に辟易しながらも、
それでも「長者原に着いたら何食べようかなあ」と考えることが、いま歩く原動力になっていることだけは間違いない。
コースタイムより随分時間がかかってやっと長者原に着いた。
どろどろの靴を洗ったりしているうちに、あっという間にバスの時間がやって来た。
あ~ご飯。。。腹減った。。。と思っても時間もなく
仕方なくコーラを買って飢えを凌ぐことにする。
私の人生で恐らく最高においしいと感じたコーラだった。。。

阿蘇駅には17:30に着いた。
レンタカーの手続きをし、阿蘇中腹の坊中キャンプ場の手続きをしてテントを張り、阿蘇駅前の夢の湯で入浴。
買い出しをしたり、コインランドリーで洗濯をしたりして
やっとほんとにやっと朝以来の食事にありついたのは20時をとおに過ぎていた。
テン場は私一人の貸切だった。
人もいないので、車をテントの隣に置いていいよと言われ、まるでオートキャンプ場。トイレも水洗で清潔だし、炊事場やゴミ捨て場もあって至れり尽くせりだった。

画像21

くじゅう山はその昔2つの寺があり、山岳仏教の修験の場として栄えたという。この日は食欲という煩悩に立ち向かって、ほんの少しでも修験を体感できたように思うがどうだろう。。。

画像14

昨晩、管理事務所で見た天気予報では曇りだった。
管理人さんは、「いやそんなに崩れないよ大丈夫。」と太鼓判を押してくれる。朝起きるとどんよりとした天気に今日もだめかとためいきだが、
実は雲海の下のどんよりで、標高を上げると雲海の上はまずまずなお天気が広がっていた。

画像15

ロープウェイの乗り口のPに駐車する。
隣は四国から来たパーティが準備中だった。なんとはなしに一緒に出発。
遊歩道から火口手前で右手にそれた所に登山ポストがあり、そこから砂千里ヶ浜へ下りていく。
高台に出て眺めると赤茶けた溶岩の固まったものや、侵食によって荒々しく削られた谷地形などが目を引くが、実際阿蘇のすごい所は、何の変哲もない人々の生活している大きなカルデラの中にあるわけで、9万年前の大噴火の火山灰は遠く北海道にまで届いた痕跡があるそうだ。
その巨大さと威力は山頂から感慨をもって眺めることが出来るわけです。

画像16

登山道は高台から一旦下って、地図にきつい登りとある正面の岩だらけの道を行くことになる。中々の急登だがそんなに息が切れるというほどでもなく
ふと後ろを振り向くと、一緒にスタートした四国のパーティは豆粒程になりやがて見えなくなった。

画像17

稜線に上がるといくつかの小さなアップダウンを経ていよいよ中岳山頂が目の前に迫る。大きな爆裂火口を擁する生きた山、中岳。
山頂の標識だけがお山ではないのだよと、もくもくと噴煙をあげる中岳は無言の圧力で迫る。

画像18

まだ残る雲海はカルデラの境界をいっそう際立たせて、あやしくそれでいて雄大な風景を見せてくれる。

画像19

中岳山頂からの展望をひとしきり楽しんで、というか喉が痛いので高岳に向かってまた歩きだす。
ゆるやかな稜線から高岳へ一登りの行程だ。
さらに天狗の舞台方面は名残のミヤマキリシマがまだ咲いていた。

画像20

仙酔尾根からの登山者も加わってだいぶ賑やかな稜線だ。
天狗の舞台に近づくに連れて、かすかなピンク色はだんだんにその色を際立たせていく。
その登りは土が掘れて、ちょっと迷路のように縦横無尽についている。
蟻よろしくその中をあちこち引きづられながら、舞台へと登っていく。
九重に比べると、若干盛りを過ぎているので鮮やかさには欠けるが、
咲いているとは思わなかったのでちょっと嬉しい。
天狗の舞台はそこから眺めるより、舞台にいる人を眺める方が断然おもしろいが、平らな舞台はのびのびと気持ちが良かった。
ここで昼食をとって、下山は月見小屋の方を回って中岳に戻る。

画像22

この世とあの世の界のような生物の存在も希薄な中岳、高岳だが、
ミヤマキリシマが咲き、マイヅルソウやどこにでも出てくるタデの仲間や、意外と青々している草たちにとてもたくましい強さを感じた。

画像23

人生初めての単独テン泊縦走は台風の洗礼で幕を開け閉じた。
これは後々の単独テン泊縦走でもついて回り、いつも台風に脅かされる山旅の始まりでもあった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?